第10話


 俺は誠時代、この瞬間を待っていた。


「私はあなたのなんなの?」


 そう言われたら、


「もう俺を信じられないならば……お別れだな?」


 と切り替えして、ジ・エンドにするつもりだったのだ。



 でも、誠は死んだ。


 誠が死んでなお、森川は、過去に自分が誠にとってどのような人間だったのか知りたいと叫ぶ。真琴が何者なのか知りたいと叫ぶ。


 俺は、困惑していた。


 それが、なぜ、森川にとって大事なのか、どうしてもわからない。



「誠は、平凡で目立たなくて何もとりえのない私を、大好きだって言ってくれたわ……。世界で一番大事にするって言ってくれたわ……。それは、いったいなんだったの? 私は……いったいなんだったのよ!」


 そんな言葉は、女を落とすための、巧言令色ってヤツだろ?

 少なし仁っていうだろ?


 だが、俺の口からはそんな言葉は出てこなかった。

 誠という立場を離れて俺を見ると、俺はなんてひどいヤツなんだろう。

 森川がかわいそうで……愛しくてたまらない。


「誠は……そうね、あなたのことを好きだったと思うわ」


 俺は口から出任せを言った。

 一瞬、森川が大人しくなる。俺は、少しほっとして続けた。


「でもね、誠は遊び人だから……。あなたがまぶしすぎたんじゃない? それにね、堀井君って誠の友達。彼が、あなたのことを好きだったから……。応援したくなったのよ」


 やった。

 我ながらいいアイデアだ。


 これで、誠は森川を堀井に託したことになり、晩生の堀井のために告白もしてやったことにもなり、しかも、最終的に俺は堀井になるのだから、やっぱり森川は俺の彼女となる。

 俺は、少しだけいい気持ちになって口元で笑った。


 しかし……。

 女心はそんなに簡単なものではなかった。


「何が、応援よ……何がまぶしいよ……」


 森川は、内面に怒りをたぎらせていただけだったのだ。


「私は、物じゃないわよ! 私の気持ちを無視して、勝手に友達なんかにあげないでよ!」


 まさに、どかーーーんと音がした。


 森川はいきなり俺の元へと歩み寄り、上目で睨みつけた。

 俺はすっかり圧倒されて、後ろへ一歩、また一歩と引いた。


「誠は、あなたがいたから、私なんてどうでもよかったのよ! あなたに私の気持ちなんか判らないでしょ!」


 すっと目の前に指を突き出されて、俺はのけぞった。


「その綺麗な顔! 綺麗な目! 綺麗な髪! それに均整の取れたスタイル! 何もかも恵まれたあなたになんか、私の気持ちなんかわかりっこない!」


 そう言うと、森川はわっと泣き崩れた。


「私なんか、顔は平凡、胸はぺちゃんこ、下半身デブで、いいところなんて、何もないんだから!」


 俺は、やっとわかったような気がする。

 俺という男は、森川のコンプレックスにつけこんで褒め称え、いい気持ちにさせて、使い捨てようとしたのだ。誠は、森川にとってやっと芽生えた女としての自信だったに違いない。

 俺は、森川の肩を抱こうとした。

 いつも抱いていた肩が、なんだかガラスのように繊細に見えて、怖くて触れることができない。


「さとみ、ごめん……」


 つい、謝ってしまった。


 森川がいきなりきっと睨んだ。


「あなたに馴れ馴れしく呼んでなんてもらいたくはないっ!」


 そう……。

 森川にとって、俺は恋敵なのだ。俺は誠ではなく、真琴なのだ。


 森川はびっくりするような行動に出た。

 いきなり立ち上がると、笑ってみせたのだ。


「あなたは言ったわよね! 誠とあなたは身ひとつだって! でも、私がそんなこと許さないわ! あなたなんか、死んだって誠の側になんか置いてやらない! 私が先に行くんだから!」


 そう怒鳴ると、森川は俺を突き飛ばし、いきなり崖に向かって走り出した。


「うわ! さとみ、やめろ!」


 俺は地べたにしりもちをつきながらも叫んだ。


「あなたなんかより、私がどれだけ誠を愛していたか、見せてやるんだ!」


 そう叫ぶと、森川の姿はあっという間に消えてしまい、その後に大きな悲鳴が響いた。



 ぎゃーーーー!

 マジかよ!



 平凡が服を着ている……と思っていた森川の大胆かつ情熱的な行動に、圧倒されつつ、俺は恐怖に打ち震えていた。

 が。さらに信じられないことが起きた。

 薄闇が迫る目の前を、何か風が走りぬけた。

 圧倒的存在感の筋肉の塊。堀井であった。


 それは、まさに最初の計画通りのことではあったのだが……。


「森川ーーーー!」


 彼は、叫びながら崖にまっしぐらに走っていった。

 そして、俺が背中を押すまでもなく、あっという間に崖の向うに姿を消してしまった。

 すでに暗くなりつつある。足元がよく見えなかったのだろう。そのうえあまりのスピードで走ってきたので、崖っぷちで止まれなかったのだ。


 ど・ボーーーーーン!


 波の音とは違った大きな水音が聞こえた。

 俺は、慌てて崖下を覗き込んだ。


「マコ姉さまぁ! ばっちりですよぉ! さあ、早く、呪文と口づけをしてきてくださいよぉ!」


 満面笑顔でVサインを出す姫子と、姫子に助けられて呆け顔の森川がそこにいた。

 ちょっと予定は狂ったが、すべては計画通りに進んだのだ。

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