桜のぱぁと咲くところ
白檀
本文
桜のぱぁと咲くところ、爺はぼんやり仰いでいた。
花のにおいは陽射しに照らされて、庭じゅうをふんわりと包み込んでいる。
爺の見ているあいだに、順繰りに開き切った花は、順繰りに風に吹かれて消えていく。
ぱぁ、ふわり、ひらひら。
ぱぁ、ふわり、ひらら。
猫は、しばらく前から爺の様子に気付いていたが、知らぬふりをして、隣で丸くなっていた。
ちらりと目を馳せると、爺はどうやら、先程よりもずいぶん薄くなっているようだ。
気付いてないのか、と舌を打ち、猫は、わざとらしく伸びをして問うた。
「爺よ、何を思う」
爺は薄れたままに、猫を見遣らず呟いた。
「じきに、儂も行くでな」
「どこに」
「妻のところに。この桜の花びらにのって」
「花びらじゃ落ちる」
「妻も、落ちて死んだ」
爺はそう言って、再びぼんやりと桜を仰いだ。
「落ちて死んだら、どうなる」
「土に還る」
「土に還れば、どうなる」
「桜になる」
猫は諦めて目を閉じて、再びまどろみの中へおちていった。
ぱぁ、ふわり、ひらひらり。
ぱぁ、ふわり、ひらり。
陽射しが顔に差し込んで、再び目を向けると、爺は更に薄くなっていた。
爺は先程と同じように、ぼんやりと桜を仰ぎ続けている。
猫はさすがに恐ろしくなって、体を起こして向き直った。
「爺よ、俺はどうなる」
爺は薄れたままに、猫を見遣らず呟いた。
「じきに、ぬしも来るやろ」
「どこに」
「儂のところに。この桜の花びらにのって」
「俺は爺とは違う」
「儂も、妻にそう言った」
爺はそう言って、いよいよ薄くなっていく手を丹念に眺め、満足の溜息を吐いた。
「じきに、儂も行くでな。じきに、儂も薄くなるでな。薄くなれば、桜の花びらに乗れる。花びらに乗れば、妻のところに行ける」
「爺は逃げている」
「妻もそうだった。誰もがそうだ」
「俺は違う。爺は一人で逃げておれ」
猫はそう言って庭先へ飛び下り、桜の幹を駆け上った。
猫が枝から枝へと飛び移るたび、桜はひらひらと散って落ちる。
「止めろ、大馬鹿者」
我に返った爺の静止に聞く耳を持たず、猫は、一番高い枝の先へ登り切った。
「爺、見よ。俺はこの庭から出てやるぞ」
猫が勢いよく反動をつけ、塀の向かい側へと跳ぼうとした瞬間、しなりにしなった枝は、付け根からぼきりと折れた。
驚いた表情を残したまま、猫は真下にどさりと落ちて、そうしてとんと動かなくなった。
後にはただ、猫が散らした桜の花びら、ひらりひらりと舞い散るばかり。
ひらりひらりの花びらは、猫に積もって見えなくなった。
そうしてひとり、桜がひらりと舞い散るところ、爺はぼんやり仰いでいた。
桜のぱぁと咲くところ 白檀 @luculentus
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