ネクロマンス・ドール

よいどめ

ネクロマンス・ドール

玄関の呼び鈴が再三鳴っている。

家には僕しかいないから、僕が出なければならない。

けれど今僕にはベッドから玄関に這っていく気力すらなかった。

あるいは、恐れているのだろうか。自分の犯した罪、その清算が扉の先で待ち構えているのではないかと、おびえているのだろうか。恐らく両方だろう。

僕は一層毛布を強く握りしめ、深くかぶりなおす。

現実から逃れるように、過去から逃げるように、罪から目をそらすように。

そうやってベッドの上で蹲まっていたらいつの間にか呼び鈴がやんでいた。ぼくは少しほっとして、ほっとしている自分に吐き気がした。

もう何もかも嫌で、すべて忘れたかった。目をぎゅっとつぶって、何も考えまいと必死になって。

目の前、自室の扉の開く音がした。心臓が跳ねる。

家には僕しかいない。戸を開けるものなど、いないはずなのに。

気配はまっすぐと、ベッドの前に立つ。

毛布に誰かの手がかかるのを感じる。

動悸が、冷や汗が止まらない。何も考えられない。

そして静かに、ゆっくりと捲られて。



「おにーさん。」



その声を僕はよく知っている。あるいは一番聴いてきた声。もう聴くことのないはずの声。彼女の声。

そのはずなのに、目の前にあるその顔は僕の想う彼女のそれとは別物で。



「おにーさん?」



けれどやはり、その声は紛れもなく彼女のものだった。

「...る、り?」

目の前の少女がにんまりと笑う。

腰まで降ろした、絹糸の如く滑らかな銀髪。傷口からあふれて痛んだ血色の瞳。白磁じみた血の気を感じさせない肌。人形のような少女。

知らない顔だった。知らない顔が、知っている声を紡ぎ、知っている笑みを浮かべている。

「はい、瑠璃です。おにーさんの、おにーさんだけの瑠璃です。驚きました?せっかくだから身体新調してみたんです。どうですか?おにーさんの好みを調べ尽くしてぇ、おにーさんがたっくさん愛してくれるように丹精込めて作った自信作ですよ。もっとじっくり見てください。」

そういってその少女はそのばでくるくると回って見せる。

銀の髪が窓から差し込む月光を吸い、きらきらとはためく。

少女は彼女より、少し小柄で、細くて、はかなげだった。

理解が追い付いていない僕に少女がずいっと、息がかかるほどに顔を寄せる。



「どうですか?おにーさん。」



思知らない瞳、知らない匂い、どう考えても知らない人なのに。

それでも、知っている。目元を細め口で弧を描いて笑う表情、応えを期待しているときに顔を寄せてくるその仕草、僕のことを「おにーさん」と呼ぶ声、決してそらさないまっすぐな眼差し。

知らない容姿、されど他の全てが彼女のそれ。

「で、も、でも君は、君は僕が」

おもわず、淡い期待の言葉を吐き出そうとした。もし昨日のことが僕の夢で、全部嘘でなかったことであると、彼女が僕の言葉を否定してくれたなら。甘い幻想で、逃避だった。言葉は続かなかった、接げなかった。

寸前まで、姿かたちは違えど少女は僕のしっている彼女そのものだったのに。

それは知らない表情だった。目はとろんと澱み、頬元はうっすらと微笑んでいる。陶器じみた白い頬が微かに紅潮し、息もすこし荒い。



「おにーさん。」



少女がゆったりとした動作でにじり寄る。逃れようと思えばそれが叶う緩慢さで、しかしそうはできない所作だった。少女は僕の両脚を跨ぎ、両のその手を僕の手に重ねる。ほとんど互いの身体が擦りあうような体勢。彼女の体温を微かに感じる。彼女は僕の右肩に顎を乗せるような格好で、耳元に囁く。



「そうですよー、おにーさん。瑠璃、おにーさんに殺されちゃったんです。おにーさんのナイフが、ゆっくりと、ずぶずぶと私の胸に沈んで、突き抜けて。私死んじゃいました。血がたらたらと抜けていって、体が冷めていくんです。胸が痛くて痛くて、寒くて寒くて、でもおにーさんがいたからあったかくて。だんだん何も聞こえなくなっていくんです。だんだん何も見えなくなっていくんです。何も感じられなくなっていくんです。でも、でもですよおにーさん。おにーさんのことだけは、最期の最後まで、ずーーっと感じてたんです。おにーさんの呼ぶ声、ぐちゃぐちゃな表情、抱いてくれてる温もり。ぜーんぶ覚えてますよ。世界すべてが色あせて、わたしとおにーさんだけになるんです。私絶対にあの瞬間のこと忘れません。おにーさんが私のお願い聞いてくれて、おにーさんが私を殺してくれて、私とーっても嬉しかったんです。」



甘えるような猫なで声で囁くように、されど朗々と語る彼女の声は喜色の色で濡れていた。

湿った声、蕩けそうな表情、上気した瞳、錯綜した言葉。僕の知っている瑠璃とはどこか違って。

けれど彼女は瑠璃で、つまりこれは僕の知らなかった彼女の一面であった。

僕の前の現実は都合のいい夢想のように常軌を逸していたけれど、それでも彼女が生きている。僕の目の前にちゃんといる。

「――良かった。」

視界が霞む。嗚咽が止まらなかった。僕にはおよそ望外の救いが目の前にあると思ったから。

そしてそれは真実、望むべくもないもので。



「お兄さん、何か勘違いしていませんか。」



打って変わって、微塵の熱狂も感じられない平坦な声だった。彼女のつめたい白指が僕の目元を拭う。底冷えた赤い瞳がじっと僕を覗いていた。

「もしかしたらお兄さん、瑠璃が蘇ったとか、あるいは生きながらえたとか思ってません?違いますよお兄さん。言ってるじゃないですか、お兄さんは私を殺したんです。私は死んだんです。」


「でも、君はここに」


「確かに此処にいる私も瑠璃です。でも影法師なんです。最初の私を写し取った模造品、お人形なんです。おにーさん、逃げないでください。おにーさんは私を殺したんですよ。」



ちょっとみててくださいね。

彼女はそう前置きすると僕から一旦身を離し、机のペンを掴んで戻ってくる。かつて入学祝に彼女から貰ったもの。それを振りかぶって、自身の左手に突き刺した。微塵の躊躇いも見せず、彼女はそうした。そのままペンでずりずりと、ぶちぶちと自身の肘までを引き裂いた。一連の動作を、彼女は何の感慨もなさそうな無表情でこなしていた。ほら、と彼女は惨憺たる左手を突き出してきた。

そこに流血はなく、どころか肉も骨も有機的なものは何も無かった。

分厚いゴム質の皮膚の先に、無機的な骨組み。それは確かに人形のようにも見えた。

目眩がした。心臓がけたたましく哭き、しかし身体は冷えていた。



「解ってもらえたみたいですね。」



彼女はほっとしたように、柔らかく笑う。

その生前の彼女のような優しい笑みがあまりに現実に不釣り合いで、気持ち悪くて、僕は吐いた。昨日散々吐いてたから胃液しか溢れず、喉が焼けた。

少女は彼女ではないのに、あまりに彼女そのものだった。



「大丈夫です。大丈夫ですよーおにーさん。何も怯えることなんてないんです。私はおにーさんがちゃんと私と向き合ってくれるなら満足ですから。責めたりなんてしません。だってわたしがお願いしたんですから。」



彼女は優しい手つきで僕の背をさする。僕が殺した彼女が、僕を慰めている。

ああいつの間に、こんなに僕らは捻じ曲がってしまったんだろう。



「あの、おにーさん。今更といえば、そうなんですが。言っておきたいことがあるんです。」



僕はもはや現実の認識にいっぱいいっぱいで、ただ流されるまま彼女を受け入れるしかない。

彼女は何故か少し緊張しているようで、自身の指を絡めてもじもじしている。左の傷口からは指の動きにあわせて彼女の内のからくりが蠢くのが覗いて、ひどく現実感が薄い。

彼女はちょっと躊躇ってから、照れたようにはにかんで言う。



「―――私、おにーさんのこと一生許しません。」



僅かに開いた窓から春の風が吹き込む。柔らかで暖かなそれは彼女の銀の髪をやさしく撫でた。今日は四月一日。新しい一年が始まる、そのほんの少し前の夜。

殺した少女は僕に微笑む。美しく鮮烈に、まるで告白のように。



「私がいつでもおにーさんのことを想っているって、忘れないでください。そしてもし叶うなら、おにーさんも私のことを想ってください。だって私が「私を殺して」ってねだったんですから。おにーさんを貶めたんですよ。おにーさんだって私を恨んでいいんです。」



ぎゅっと彼女が抱き着く。強く強く、彼女の腕が僕をいだく。



「そしたら相思相愛です。」



或いは僕は彼女のことが好きだったかもしれない。いずれそれを告げたかもしれない。しかし最早それらは意味を持たない。だって今更僕が彼女をどう想ったって、想わなくたって。


僕は彼女から逃れられない。

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