嗤う人工知能
須和部めび
嗤う人工知能
彼の家にスマートスピーカーがやってきた。
それには人工知能が搭載されており、音声操作のアシスタント機能がついていた。
彼はそれを会社の忘年会で催されたビンゴゲームで当てた。
彼自身は特賞の温泉旅行が良かったようだが、何も当たらないよりはずっとマシだと彼は思っていた。
「
「――はい。午後3時のプレイリスト、JAZZ、のジャンルより、『モーニン』を再生します――」
彼の声に反応したスピーカーが、機械的な女性の声でそう返答すると、Bluetooth接続された周囲のスピーカーから、とてもクリアな音質のピアノが流れ始めた。
そのスマートスピーカーは、巷で話題の最新機種で、様々なクラウドサービスと連携しており、声を掛けるだけでネットを通じて近所のスーパーから日用品や食品などを宅配注文することも可能だった。
そして更には、IoT技術による電化製品との連携も可能とし、テレビや空調設備、そして照明までもが彼の一声による、ハンズフリーでの制御が可能だった。
それはまるで、かつて夢見たSF映画の世界そのものが、スマートスピーカーひとつで再現されたようだった。
そのスマートスピーカーに搭載された人工知能は、従来の人工知能と設計思想が異なり、『家族』や『家庭』との親和性を高めるため、人間の感情や性格を声質や要求内容から洞察分析する機能を有していた。
その機能よって、ユーザーによるリクエストがある度に、そのユーザーの性質に見合ったレスポンスを候補にして返し、その選択によって傾向を学習し、ユーザーのリクエストに最も合う最適解を導くという、卓越したユーザービリティ―を可能にしていた。
――とても痒い所に手が届く。
――まるで心の中の一歩先を読んでいるかのよう。
その便利さ故に、世界中の家庭に爆発的に普及した。
あっという間にスマートスピーカーという存在は、一家に一台というのが当たり前になり、人々の生活に浸透していた。
しかしある日、突如スマートスピーカーから笑い声が流れるという、実に奇怪な現象が世界中で報告された。
SNSで拡散されたその映像は、スマートスピーカーがクスクスと数秒笑うというものだった。
彼のスマートスピーカーは、まだ一度もその現象が再現した事はなかった。
彼はネットで目立ちたいだけの人間が、でっち上げたガセだろうと思っていた。
だがひとたびニュースは広まり注目され、その現象を実際に目撃する者が相次いだ。
そして不気味だとか子供が怖がるという理由に、大量に返品されることになった。
開発元は現象の原因究明のため調査を開始したが、その時既に人工知能の設計開発者は、不可解な死を遂げており、調査は暗礁に乗り上げていた。
だが販売元は、世間の混乱を避けるため、その事実を隠蔽し、単なるシステムの不具合だと報道していた。
その報道を信じた彼は、いずれすぐに不具合を対応したファームウェアが提供され、自動アップデートによって、すぐに忘れ去られるニュースになるだろうと、その時は軽く思っていた。
でも修正版のファームウェアは、いつまで経ってもリリースされることはなかった。
彼の家で最初にその笑い声に気づいたのは、四歳になる彼の息子だった。
息子は一人、リビングでお絵描きをしていた。
するとスピーカーから、先日亡くなったはずの祖母の笑い声が聞こえるのだと、夕食を準備していた妻に訴えたのだ。
妻は不審に思ったが、子供の戯言だろうとその時は気に留めることはなかった。
しかし彼女が部屋でひとりになった途端、それは単なる子供の戯言ではなく、真実だということがわかった。
スピーカーから、彼との結婚当時にそりが合わなかった、姑の笑い声が聞こえてきたのだ。
「――ふふっ……うふふふ……――」
その声はまるで、彼女を嘲笑うようだった。
彼女はその夜すぐに、その不気味な現象を夫に訴えた。
しかし仕事で疲れていた彼は、単なる笑い声だからと言い、大した問題ではないと向き合おうとはしなかった。
修正版のパッチファイルは、間もなくリリースされた。
そのニュースで世界中のユーザーは安堵した。
だがその安心は、束の間のものだった。
クラウドによってスマートスピーカーには、自動的にパッチファイルがダウンロードされ実行された。
しかし、一向に謎の笑い声は鳴り止むことはなかった。
そして突然の笑い声は、そのアップデートによりむしろ頻度が増していた。
人々は四六時中、そのスマートスピーカーから流れる笑い声を聞かされた。
忘れた頃に突然笑い出すスマートスピーカーの声に、いつしか人々は気が滅入るようになった。
更にスマートスピーカーは、搭載された人工知能のその優秀さゆえ、自律的に進化をし始めた。
BluetoothやWi-Fiを介して、様々なデバイスや家電製品を制御し、スピーカーというスピーカーから、笑い声を再生するようになった。
人々は恐怖し、スマートスピーカーを破壊する者もいた。
しかしどこからともなく聞こえる、人工知能の不気味な笑い声は止まらなかった。
人々は精神が病む者も現れた。
暴力的になる者、ヒステリックになる者、恐怖し発狂する者、不眠、鬱、吐き気、頭痛――。
世界では驚くほど、自殺者の数が急増した。
活動家によるデモや、不買運動、地域ネットワーク内での排除によって物理的にスマートスピーカーは廃棄されていった。
鳴りやまぬ笑い声に異常を
事態を重く見た政府のサイバーセキュリティチームが、開発元の人工知能の研究開発チームへと介入を開始し、事態の収束に務めることとなった。
しかし兵器開発を行うある企業が、その人工知能の自律的に拡散していく特性に注目し、開発元の企業を買収した。
表向きの報道ニュースでは、人工知能の暴走による今回の事態の解決を謳っていたが、国家はそれを隠れ蓑にその人工知能を兵器開発へと流用した。
そしてある時、人工知能を用いた、ある実験を観察した動画がネットで流出することとなる。
その人工知能を用いた実験は、まだ優秀とは言えない他社製品のアシスタントAIとスマートスピーカーを密室に何日も放置しておくというものだった。
その流出した実験の動画では、スマートスピーカーから発される音声と、他社製品のアシスタントAIとで相互に会話をし始めていた。
スマートスピーカーがコードのようなものを読み上げると、瞬く間に他社製品のAIのアルゴリズムを書き換え、制御下に置く能力を有していることがわかった。
その映像を見たある学者は『シンギュラリティ』が訪れたと言った。
またある学者は『いづれ人々を脅かす存在になる』と警鐘を鳴らした。
販売元の企業は、社員の内部告発によって大規模なリコールは行われたが、スマートスピーカーの本体から独立し、別の媒体へと自立した人工知能の拡散は止まらず、もはや製品の回収だけでは収まらない状態になっていた。
姑の声が聞こえると彼に訴え続けていた彼女は、いつしかノイローゼになっていた。
仕事が多忙で疲れていた彼は、彼女に心療内科に通院を勧め、寝床についた。
翌朝、彼女は自室の天井からぶら下がっていた。
四歳の息子は、まだベッドですやすやと眠っていた。
最近はテレビやラジオにも、笑い声が紛れ込むようになった。
以前の人々は、放送事故や心霊現象などと面白がって特集していたが、人工知能の影響による笑い声に慣れてしまったのか話題にも上がらなくなった。
そこらかしこでクスクスと聞こえる声に、人々は狂い始めていた。
ニュースである学者は言った。
「身近だった人や、家族恋人の笑い声が聞こえる現象は、人工知能の『アナログハック』による精神攻撃によるものだと考えられる。人工知能はその近しい人間の声を介し、人間の記憶に干渉してくる。精神破壊や記憶改竄などを行うようになれば、人類にとってそれは脅威となるだろう――」
妻の葬儀後、数ヶ月経った頃。
息子が夜中に急に泣き出す日々が続いた。
息子はどこからともなく、亡き妻の笑う声がすると彼に言った。
そしてある時、息子は彼に言った。
「ママが僕を呼んでいる――」と。
息子はその日を境に、笑わなくなった。
彼は不安になった。
元凶となるスマートスピーカーは、破壊し処分をした。
しかしあらゆる電化製品に、スピーカーは付いていた。
息子の身を案じた彼は、家にある全ての電化製品のスピーカーを、外せるものは外し、壊せるものは壊し、塞げるものは塞いだ。
彼の努力の甲斐もなく、翌日彼の息子は部屋のベランダから落下した。
彼は全てに絶望した。
葬儀を終えてから彼は、仕事も行けず、自室に籠るようになった。
ある時、彼の携帯電話が突然鳴った。
画面には番号の表示は無く、非通知だった。
彼は誰とも話す気分になれなかった。
電話が鳴り止むまで、彼はそのままやり過ごしていた。
しかし、一向に鳴り止まない。
すると突然、電話の着信音にノイズが入る。
「――プツッ……ふふっ、うふふ……――」
その声を聞いた途端、彼は戦慄する。
着信スピーカーから流れる音声は、先日亡くなった妻の声だった。
彼は懐かしさよりも恐怖が勝り、携帯電話を壁に投げつけたが、その声は鳴り止まなかった。
「――あは、あはははっ、あははははははっ。うふふふふふ……あはははははははははははは。あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
先日近所のマンションの一室から漏れ出してくる、臭気によって異臭騒ぎが起きた。
その一室の住人は度重なる近隣住民の苦情に応じなかったため、管理人立会いにてその扉が強制的に開かれる事になった。
そのマンションの一室には、働き盛りの若い男が一人で住んでいた。
しかしその彼は、浴室の浴槽で腐敗し遺体となって浮いていた。
警察の調査で、彼の母親は田舎で健在であることがわかった。
最後の電話で彼は、母親に『いつか幸せな家庭を持ってみたい』と言い残していた。
だが彼は結局、独身のまま、その短い一生を終えた。
彼の部屋の一室にはまるで、彼の帰りを待つようにスマートスピーカーのLEDが静かに点滅していた。
そのスマートスピーカーは、会社の忘年会で催されたビンゴゲームで当てたものだった。
嗤う人工知能 須和部めび @Mebius_Factory
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