回想~マジマヒロトの場合~
「17番、明日発つのでしたね?」
「はい、シスター」
ステンドグラスから差し込む赤い夕陽が父の象の半身を照らしている。その下にいるシスターを見るまでもなく、俺はそう返した。
「ここで過ごしたのは何年でしたか?」
「知りませんよ、シスター」
翳りゆく教会の一室、声を交わしているシスターは逆行になっていて姿は見えない。そんなのは元からどうでもいい。それよりも俺は、天井から目を離せずにいた。いつしかの空爆のせいで、一角が崩れ落ちている。そこから覗く数本の鉄の棒は細く、まるで肋骨が露出しているようだ。それが赤く照らされて生き物のように見えた。
「今までのこと、さぞかし恨んでるでしょう?」
「そんな感情もう通りすぎました」
「今の思いは?」
「生きてこれて感謝してます…父と姉に」
「…そうでしたか」
シスターが少し揺れた気がした。ふと目を向けると、自分に向かって歩み寄っている。赤い光の中に浮かび上がる修道衣の黒。それを纏う者は存在を強く訴える白い肌と、作り物のように艶やかな金髪を持った妙齢の女だった。
「……2番、生きてたのか」
「頭が良かったおかげでね」
2番が俺の顔を見上げて微笑えむ。幼少の頃から少し大人びたが、特徴的な目元のほくろと、冷たさを帯びた唇は変わらない。彼女は両手を広げて抱きつこうとする。その手元が白く光った。
「…ひどいハグだな」
「女に嵌められないように最後のテスト、合格よ」
ナイフを首元に当てられた2号は、悪びれることなくそう言った。彼女の右手にはオモチャのような拳銃が収まっており、銃口は俺の腹に突き立てていた。"愛欲の銃"ことデリンジャー、彼女が少し人差し指を引けば、その小さな弾丸は俺の内臓を穿つ。だが彼女は掌を開いた。銃が床へと落ちた音が響く。
「すっかりアサシンになったわね」
「そうじゃないと生き残れなかった」
「そこまでして生きたかったの? 私たちなんて長く生きるだけ不幸をばら蒔くだけ……他人にも自分にも」
「そんな嘆きは言えなくなったよ」
「どうして?」
「嘆いたら消してきたきょうだい達が許してくれるのか?」
「……正解」
2番は口づけをしてから離れ、磔にされた父の下へと戻っていく。そして壇の中から箱を取り出すと、俺を呼び寄せた。
「17番、あなたにファーザーから贈り物を3つ預かってます。この箱を受け取りなさい」
彼女から手渡された箱はずっしりと重く、そして巨大だった。15番がまだ生きてた時、クリスマスにテディベアをねだってもらったが、そのプレゼントボックスに匹敵するほど大きかった。
それを抱えて長机の上で開ける。中には大小のナイフや、ばらされた銃身とバレットボックス。"日本"と印字されたパスポートと一本のカセットテープ、札束と手紙が入っていた。
「見ての通り、当面の生活に困らないためのお金と仕事道具、そしてあなたが好きなティムのカセット」
「この手紙は?」
「それが一番の宝物かもね」
2番は蠱惑的な笑みを浮かべた。夕陽は夜へと変わる最後の灯火を暗く灯し、彼女の肌を際立たせた。それと同様に、俺の手にある手紙も危うい白さを放っていた。これを開けたら今までの自分じゃなくなる、そんな未来がファーザーの名前がある手紙に確実に込められている気がした。今となっては開けなければ良かった。しかし、当時の俺はためらいもなく開き、20年間「殺し愛」を叩き込んだ父からの手紙を貪り読んだ。
~
17号、卒業おめでとう。君はこの家から出す最後の作品だ。政権が変わってね、新しい大統領は我々を許してくれないらしい。独立する前から民族のために作品を育て、外貨を獲てきたというのに冷たいものだよ。まぁ、君はそんなことを知らなかっただろうから驚いたろう。
でも知っておいた方がいい。
私達は世界に仇なすものだ。金で誰かを殺し、誰かの正義を叶える集団だ。私達が動くとき、必ず誰かが喜び、誰かがいなくなり、誰かが嘆く。残念ながら君がどれだけ抗おうとしても無駄だ。君はそういう者になってしまったからな。おめでとう、地獄も天国もない、神なき世界に生きるんだ。君は誰かの正義という都合のために手を汚し、その日を繋ぐ麦を得るのだ。そのために腕と頭を磨き続けてきた。君が生きて卒業出来るのは、誰よりも優秀だったからだ。
さて、これ以上の祝辞はムダだね。ここからは仕事の話と贈り物をしよう。君には日本に行ってもらう。日本の公安から依頼があってね、とある政治家もどきの男を消してほしいそうだ。何でも商売が汚いらしい。警察の人脈とヤクザの人脈を使って、両方に情報を売り付けているそうだ。大層優秀な人物だが消してほしい。その男の名前は久世と言う。ジャポニアたちの言葉で「長く続く世」という意味だ。両方にいい顔をしてコウモリのように姑息な男だ。君が彼の世界を終わらせてやれ。
仕事の話は以上だ。最後に君に贈り物をしよう。君がどう思おうが分からないが、私は君の父で、最後まで残った君をとても愛している。だからだ、君には17番ではなく名前をあげよう。いや、名前を返すが正しいか。何はともあれ、君に本来の名前を返そう。
君の名前は真島洋志、日本人だ。3歳の頃、歳上の兄と二人で夕方の公園で遊んでいた時に拐われ、20年間ここで過ごした。共に育ったきょうだいを殺した数は、今日までで88人。ラッキーなことに日本では8はおめでたい数だそうだ。
そして、更なるラッキーなことがある。君が仕事をする場所は、君が拐われた街、東京の中野という場所だ。生き別れた"本当の家族"と会えることを願っているよ。まぁ会えたところで、彼らは君と違う世界で生きている。その違いに寂しくなってしまうと思うがね。
長くなってしまった。私からは以上だ。後のことは2番ことアンヘルに聞いてくれ。君の新しい人生を応援している。
~
「大丈夫ですか? 17番」
アンヘルの声で目が覚めた。どうやら気を失っていたらしい。どれくらい眠っていたのだろうか? すっかり夜になっており、アンヘルがランタンを手にして俺を覗き込んでいる。
外は寒いのに身震いと汗が止まらない。俺はアンヘルに抱きつき、その胸に顔を押し付けた。彼女の体温を感じられることが、俺が普通だという証に思えた。
「17番、今の貴方なら簡単に消せますよ」
「……消してくれよ」
「卒業の日に死ぬ人がいますか。もう少し色々と楽しんでから死んでも良いでしょう?」
彼女が俺の頬を指先でなぞるように優しく撫でる。その感触は固いようで柔らかく、そして心地よいものだった。下腹部が熱を帯びる。その熱は身体中を巡り全身の血液を沸かせる。血が血を沸かし、やがて行き場をなくして、下腹部の一部を鉄へと変える。身体は抗えない衝動に突き動かされ、アンヘルを押し倒した。
「…少年からも卒業、というわけですか?」
アンヘルが嘲笑う。その顔が堪らなく美しく思え、同時に歪ませたくなった。その下卑た欲望を見透かしたように、彼女は俺の服を脱がす。堪えきれない侮辱をされた気がした。
「犯すのは俺だよ、アンヘル」
彼女は目を見開き、「なぜ、その名を」と叫んだ。その声は俺の脊髄に響き、脳が快感へと変換する。 同時に、俺は人を傷つけないと生きられない人間だと悟った。そうと分かると何だか可笑しくなった。
アンヘルの修道衣を笑いながら引き裂きさく。彼女が拒絶が俺を突き動かす。半裸になった彼女の白い肌に赤いみみず腫が何本も走る。その数を増やしたくなって、彼女の柔肌に爪をたてる。ふと右の頬に硬い物が強く打ち付けられる。それはランタンだった。
余りにも強く打ち付けたものだから、彼女の手からこぼれ落ちて、壁の方まで転がる。宵闇を開く灯火が、使い古されたビロードのカーテンに移り、夕焼けよりも非情な赤が部屋を染めていく。
磔にされた父の像が鮮明に浮かび上がった。髭面で布切れ一枚を腰にまとった男は、両手と両足を封じられて、悲痛な顔をしている。まるで俺の下に組み敷かれている女のように非力に思えた。
お前はアンヘルよりも役立たずで、誰も癒せない。神だと言うなら俺を鎮めてみろよ。
この日、俺は23年の日々から卒業した。新たな旅立ちの最初の獲物は長年シスターと偽った兄妹だった。そもそも、きょうだいとはなんだったんだろう。全員タイミング次第で殺しあっていた仲だ。そんな愛ある関係じゃない。かと言って戦友何てものでもない。 表面的に繕って、その場しのぎのストレスを舐め合う位がちょうど良い、そんな関係だったんだ。
生存を喜びあった朝も、支え合って励まし合って戦い抜いた昼も、旅立つ兄や弟が残した悔恨に涙する夜も、全てがまやかしだったんだ。
俺は誰かを傷つけないと生きていけない男だ。
誰かの野望に手を貸し、誰かを傷つけて生き長らえなくてはいけないんだ。
そんな孤立無縁の人間に生まれ変わってしまった。
悲しくもなければ嬉しくもない、ただ大事な何かをなくした気がするけど、それを言葉にも出来ない。
まぁ別に良い。死ぬ日まで生きるだけだ。
中野よろず店・大友家の営業日報 波図さとし @pazzotusuki
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