【ショートショート】羽音

佐藤佑樹

羽音

「今年はさ」

 太ももにとまった蚊をぴしゃりと叩きながら、君はぼんやりと呟いた。何ともなしに。

「あんまり暑くないね」

「うん」

 僕も上の空で返事をした。

 君の声は少し低めで小さいから、よく注意していないと聞き漏らしそうなんだ。

 蚊は、ブーンブーンと羽音をさせながら、ずっと僕らの周りを飛び回っていた。ただただわずらわしかった。君はさっきからずっと太ももに手をあてているよね。ポリポリポリ。

「暑くないほうが、過ごしやすいじゃん」

 僕を見た。ボリボリ。

「でもせっかくの夏じゃんか」

 君はちょっと口をとがらせた。僕は冬のほうが好きだけどな。

 今年は初詣、楽しかったなぁ。焚き火の火の粉でコートに穴があいていたね。君は少し泣きそうだった。おみくじは大吉。珍しく声をあげて喜んでいたんだ。

「なんでよ。夏生まれのくせにぃ」

 べー。舌をぺろっと突きだす。

 遠くで風鈴が鳴った気がした。チリン。君の髪がさらっと動く。君はまた何かを呟いた。蚊は、まだ僕たちの周りを飛んでいた。

「あのさぁ…」

 僕はずっと何かを言いたかったんだ。

「あのさ…」

 でも、忘れた。

 たぶんこれから暑くなるんだろうな。そんな予感がした。これから何かが始まっていくんだ。夏を、好きになる。

 ブーン。パンッ。両手を合わせた君がいた。

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【ショートショート】羽音 佐藤佑樹 @wahtass

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