七 それぞれの選んだ道で②
梅雨入りしたっていうニュースが、バカバカしく思える。
それくらい、今日の金池町は青空が広がっていた。
ビル風が吹くところは上昇気流も強いのか、トンビが気持ちよさそうに翼を広げている。怪我して入院するまではこうやってのんびり空を眺めるなんてことはしてこなかったが、今こうして見上げてみると、改めてその大きさに驚かされる。同時に自分の小ささにも気付かされて、なんだか、胸にぽっかりと穴が開いたような気分になった。
「どうだヒロト、身体の調子は」
「ぼちぼちってところだな。幸いそこまで重症じゃないから、だいたい一ヶ月もありゃあ退院できるだろう。そしたら……」
遥か上空で、鳥の鳴き声が響き渡った。
ひと呼吸置いて、肩をすくめる。
「めでたく俺は豚箱行きってわけだ。窃盗罪、不法侵入、子どもの誘拐。さてさて、一体どんな重罪が押し付けられるのやら、想像したくもないな」
「……まあ、れっきとした犯罪だからな。懲役数年は免れんだろう。ただ、優子ちゃんの一件次第では、執行猶予付きになると考えたほうが良さそうだ」
「優子の件?」
俺が反芻すると、マサチカは微笑みを浮かべた。
「優子ちゃんを連れて行こうとしていた叔父さんがいたって言ってただろ。実は、やつがある犯罪組織の幹部だってことが事情聴取で明るみになったんだ。それで、組織まとめて御用になったらしい。良かったな、お前の手柄だそうだ。犯罪履歴がある身でも、表彰くらいはされるかもしれん」
「はあ」
何となく、あの叔父さんから犯罪臭がするとは思ったが、まさか本当にそうだったとは。人間、どれだけ見た目を繕っても無駄だってことかな。
「でも、俺が罪を犯したってことに変わりはない。多くの人間を悲しませてきたんだ、執行猶予が付いても付かなくても、罪は償うさ」
俺がしてきたことは、少なくとも知らない誰かを不幸にしてきた。ならば俺はそのツケを払う必要がある。そうでもしないと、俺に明日を夢見る資格はない。
「……お前ならそう言うと思ったがな」
マサチカはいろいろな感情がこもってそうなため息を吐いた。
「優子ちゃんは上層部を説得して、俺が預かることになった。だから心配するな」
「そうか。それは良かった。本当に……良かった」
トンビか、鷲か。甲高い鳥の声が、鼓膜を震わせる。
昼下がりののんきな陽気に、少しあくびが出そうになる。
「さて、俺はちょっくら出向いてくるかね」
「出向く?」
マサチカが怪訝そうに眉をひそめる。
「入院してるのに、どこに行くんだ?」
「なあに、最近はちょっと絵画教室の講師をしていてね」
目線の先では、車椅子に座った少年が、色鉛筆片手にスケッチブックと睨み合っていた。少なくとも、退院するまでの暇つぶしにはなりそうだ。
「……マサチカ」
「何だ?」
ずうっと遠くまで広がる空を見て、つぶやく。
「俺、真っ当な人間になれるかな」
そう言うとマサチカは、短く笑った。
「なれるかな、じゃねえよ。なるんだろ」
「……ああ、そうだ」
真っ当な人間に。
明日は、今日を越えた自分に、俺は――――
「んじゃ、面接頑張れよ」
「うん。面接終わったら、また連絡入れるね」
「おう」
由紀を面接会場まで見送り、俺はなごみロールが一本入った箱を提げて、金池の街を歩く。
不思議な気分だった。由紀と一緒に街を歩いて、由紀が食べるために俺が金を出した。少し違う点もあるけど、あの時と同じ状況だ。
それなのに、今はとても清々しい思いに溢れている。
街のいたるところからエネルギーが湧き出ているような、妙に高揚した気分だった。すれ違う人の顔も、全てが嬉しさというか、名状しがたい、でもとにかく前向きに生きていけそうな、そんな感じだった。
味わったことのない感覚だからうまく表現できないけど、こういう状態を本当の脳天気だとか、楽天的っていうんだなとうわの空で考えた。意識がふわふわと、いったんもめんのように浮かんでいるようだった。
あの時の俺は、ひとりで街を歩きながら、自分は神に見捨てられた、値踏みされたと皮肉げに語っていた。
今は、その考えが根本から間違っているということが良く分かった。
由紀みたいな人間だって、失敗するときは失敗する。
俺みたいな人間だって、必要としてくれる人がいたりする。
結局過去の俺が言っていた神ってのは前を向いて生きていこうとしていなかった俺の逃げ道で、全て神のせいにしてしまえば何とかなると考えこんでいたに違いない。
己を俯瞰してみるというのは少し気恥ずかしいものがあったけど、見つめなおすことでしか得られないものもあった。
こんなことを、俺みたいな人間が考えたところで何が変わるかなんて分かったもんじゃない。だけど考えなければ、変わるものも変わらない。蓋を開けなければ、何があるかは分からない。いくら推測を立てても逃げ道を拵えても猫が生きているのか死んでいるのかなんて分からないように。
こういうの、なんて言うんだったか。
哲学的なことには疎いのでよく覚えてない。
……だから、小難しく考えるのはやめだ。
「結局は、今より早いスタート地点なんてねーってことだな」
見えないはずの白線が、目の前の地面に現れる。
在りし日の俺は、この白線よりも遥かに遠い場所に立っていたように思える。
今はそれが、すぐ近くの足元にまで近づいていた。白線はいつだって自分の足元にあったのに、俺はそれから逃げ続けていた。目を合わせないようにしていた。
そして、それこそが誤りだったのだと、ようやく気づけた。
笑いたいなら、変われ。
変わりたいなら、まず動け。
あの日から今日までの間で俺が学んだことは、つまりはそこに収束する。
たとえ見当違いだったとしても、構うもんか。
こうして俺は自堕落な生活から抜け出し、明日を夢見る人間のひとりとして生きていくことを決意したのであ『You got a mail.』なんだ。携帯にメールが届いた。人がせっかく決意を新たにしていた時に、一体誰だ。
ダメダメだーとため息を吐きながら、携帯の画面を開いた。
それは、ある蒸し暑い六月のことだった。
件名:ご回答ありがとうございました
本文:
みなさん、様々な回答をありがとうございます。私としても嬉しく思います
結論から言わせていただきますと、人は生まれ変わることなどできません。
ですが、それでも人は生まれ変わりたいと願います。なぜか?
それは、生まれ変わってでも、成し遂げたいこと――夢があるからです。
その夢がどんなことであろうと、その人が生きていくための道標になることは、みんな分かっているはずです。
それでも生まれ変わりたいと願うのは、今の自分が嫌いだから。
今の自分は嫌っていただいて結構です。
だから、明日の自分を、好きになってください。
明日は、今日の自分を越えた自分になる。生まれ変わるというのは全く違う人物になって人生をやり直すということではなく、今の自分を脱却し、生物が脱皮するように、少しずつ変わっていく事です。明日なんていうのは所詮ただの概念で、今日の延長線上にあるというのは分かりきったことです。
だから私たちは、いつ死んでも後悔しないように、今を一生懸命生きていくしかないのです。
明日、生まれ変われたら、何になりたいか。
それはすなわち、
「今を生きるために、何をするべきか」ということと同じなのです――――
◯
こうして、彼らの偶然と必然とが交りあった物語は、一旦の収束を迎えて、しかしこれからもまだまだ続いてゆきます。
彼方の地平線が、どこまでも続いていくように……
……おや? これで終わり?
そういえば、あの人はどうなったのでしょう?
「と~~り食~べに行こう~~」
聞く人が聞けばなんて古い選曲だと思うかもしれない。私も古いと思う。
強いてタイトルをつけるなら『鶏にまつわるエトセトラ』とでもなりそうな歌を歌いながら、私は五〇〇円玉を握りしめていつもの定食屋に入った。
来客を告げるチャイムが鳴り、店員が案内する前に渡しは定位置に着席する。さすがに店内ではこんな変な歌は歌うまいと思って閉口した。
もう何度もからあげ定食を頼んでいるせいで、店員は私のもとに駆け寄って「からあげ定食でよろしいですか?」と確認するだけにとどまった。私は大袈裟にオーケーオーケーアイライクカラアゲベリーグッドセンキューと答えた。周囲の客の目線が少し冷たく思えたけど、すぐに出てくるだろうあつあつのからあげで中和すればいいやとか、そういう適当なことを考えた。
それにしても、この待ち時間が私は嫌いだ。
私はからあげを食べるためにここに来ている。だからからあげがなければ私がここに来た意味はない。つまりこうして据え膳の完成を待っている時間は、私史上最も無駄な時間だと考察する。どうしよう。よし歌でも歌おう。
「あ~つ~いか~~らあげをどれでも全部並べ~て~」
どこからか「古っ」と噴き出す声が聞こえた。どこのどいつだ。とっちめてやろうか。怒りを露わにして立ち上がったその時、ジーンズのポケットに入れていた携帯がかすかに震えた。
「なーに? まーた迷惑メールかなんかー?」
自分でもよくわからないテンションで、ヘラヘラしながら私は携帯の画面を開いた。私はすぐに、それが迷惑メールだとしても、ただの迷惑メールではないことに気がついた。
本分が完全に空白で満たされているのだ。
そして、件名にはたった一文、こう記されている。
『明日、生まれ変わるとしたら、あなたはどうなりたいですか?』
ひとつながりの明日 【旧】鹿田甘太郎 @Chameleon
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