七 それぞれの選んだ道で①
本格的な梅雨の季節が到来したが、本日の金池は晴天に包まれている。こんな貴重な日には、河川敷かどこかでのんびり昼寝なんかするのもいいだろう。春と夏のまじった少し暑い空気を風がかき回して、少し涼しくなるのを楽しんだり、季節外れの川遊びをするのも一興だ。
「で、どうして俺がケーキ選びに付き合わされなきゃならないんだ」
「いいから早く! バイトの面接までそんなに時間ないんだから、行くよマリオ!」
そして甲斐田由紀という人間はとても自分勝手だ。
俺はバイトも何もない平日の昼下がり、ニュース番組を流しながらチャコと一緒に昼ごはんのフルーツグラノーラを食べていたというのに、近所の小学生のようにチャイムを鳴らしまくって登場した由紀は、突然俺を連れ出した。なんでも、弟の見舞いにケーキを買って行くということだが、それならばどうして俺が選出されたのだろうか。
「ひとつ言っておくが、俺はケーキを見る目なんてないぞ」
「大丈夫。最初から期待してないから」
ならばどうして俺を連れてきたんだろうか。別に移動用の車を持っているわけでもないぞ。
「あ、ちゃんと財布持ってきてるよね? まあそんなに高くないとは思うけど」
「甲斐田さん。ひとつお尋ねするけど、財布はお持ちで?」
「持ってるわけないじゃない」
「自慢することじゃないから。まさか、俺に買わせる気か」
「よく分かってるじゃない。マリオだからコインたくさん持ってるでしょ」
「あーなるほど」
上手いこと言ったつもりかこの甲斐田性なし由紀は。
恐れていた事案が発生した。たしかに財布だけ持っていくと窃盗罪で捕まってしまうが、財布の持ち主である俺を連れて行けば犯罪にはならず、合法的にケーキを買える。よく考えたもんだ。
「納得すると思ったかバカめ! 俺もそこまでアホじゃないぞ!」
「え、それじゃあ払ってくれないの?」
振り向く由紀の眉尻が下がる。もう嫌な予感しかしないぜ。
「いや、そういうわけじゃなくてだな。ホラあれだ、一方的に押し付けるのはどうかと思うという議論だ。割り勘とかならまだ理解もできるかなーみたいな。なんて言うんだろうな」
「……あの時、言ってたよね。『俺がオマエを守る。金も出す』って」
「いや確かにそんな感じのこと言っ……ちょっと待て。なんか尾ひれがくっついてないか」
「それに」
由紀は俺より少し前に歩くと、振り返った。
「智志は、私と一緒に、生きてくれるんでしょ?」
「……おぅ」
あの時のことを掘り返されるのはただの辱めなので、俺は諦めて財布としての人生を歩むことに決めた。さらば基本的人権。チャコに「サイフ」と呼ばれないことを祈ろう。
平日の昼間とはいえ、金池の駅前中央町は人通りが多い。歩行者天国とまでは行かないが、少しでもぼーっと歩いてれば誰かしらにぶつかってしまいそうだ。そんななかを、由紀に手を引かれながら俺は歩く。
「んで? ケーキ買うのはいいとしてどこで買うんだ」
「そうそう、その話をしようと思ってたの」
由紀は両目を輝かせながら言う。
「この近くにグラッチェっていう隠れ家的なお店があってね。そこのなごみロールっていうロールケーキがすごく美味しいらしいんだー。それでね、一度食べてみたいと思って」
「なんだろう。本当に今から、弟の見舞いを買いに行くんだよな?」
「当たり前じゃん。智志は何を言ってるんだか」
呆れたように由紀は手をひらひらさせる。
「あ、ホラホラあそこのお店!」
「いらっしゃいませー」
「なんで店員じゃないお前が挨拶してるんだ。というか何しに来た」
「いやー、暇だったもんでつい」
たはーと頭を掻きながら瀬戸は笑う。
俺のバイト先がバレてしまってからというものの、瀬戸は毎日のようにグラッチェに来ている。毎回何かしらお菓子を買って帰るから外へ放り出すわけには行かず、かと言ってさながらカフェにいるかのようにくつろぐ瀬戸を放置するわけにも行かなかった。平日で客が少ないからまだいいものの、これが休日の混んでいる時間だったら商売上がったりだ。特に俺がレジ担当の時間帯は、瀬戸がほぼ一方的なマシンガントークを繰り広げている。ほとんど営業妨害。
「それにしても、加奈子ちんの式は素晴らしかったねー! 飛び入りゲストのリューマくんもやって来たし」
そして毎回、黒歴史の話をする。勘弁してくれ。
「もうその話はいいだろ。どれだけ俺を辱めれば気が済むんだ」
「えー? かっこよかったよー? 式の最中に会場に乗り込んできて、肩で息をしながら『俺はお前のことが好きだった! だからお前の幸せを祈る!』だなんて、なかなか言えないからね」
「人の心にローラースケートで踏み込んでくるんじゃねえよ」
思い出しただけで赤面しそうになる。
どうかしていたのかもしれないな、俺は。
「でも、加奈子ちん言ってたよ。小泉くん、変わってない。面白い小泉くんのままだ、って」
「へえ」
それは初耳だ。俺は警備員につまみ出されたから、式場の扉にもたれかかってタバコを吸うくらいのことしかできなかった。成宮が面白がってくれたのなら、まあ、良しとするか。
チリン、と風鈴の音がなる。来客だ。
「ホラホラ、お前は隅でおとなしくしてろ」
「はいはーい」
俺は子どもをあやすように瀬戸を誘導し、即座に接客スマイルを浮かべる。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさい……」
「なごみロール! なごみロール三つください! 美味しそうなやつ!」
「なんで三つも買うんだよ。せめて二つでいいだろ。見舞い用と個人用」
「それだとおやつがないじゃん」
「個人用はおやつじゃなかったのか……」
「なごみロール三つですね、かしこまりましたー」
男女のカップルのようだ。なんか、どこかで見かけたことがあるような気がする。はて、どこだっただろうか。この間、瀬戸と行った映画館か? それとも、喫茶店だったか? うーん、最近物忘れが激しくてよく覚えてない。
それにしても騒々しいカップルだ。閑古鳥が鳴く時間帯にカップルは珍しい。
「なごみロール三つで、三二四〇円ですね」
「ん? ああそうか、消費税って八パーセントに上がったんだったな」
「コンビニ店員のくせにそんなことも覚えてないの? マリオって白痴なの?」
「消費税忘れてたくらいじゃバカ認定はされないだろ」
口には出さないが、俺はバカだと思う。
「ちょうどいただきましたので、レシートとお品物でございます。ありがとうございました」
「やった、なごみロール! よし食べよう」
「もう食べちゃうのかーそうかー」
あーだこーだ言い合いながら、カップルは騒々しく退店していった。一体何だったんだ。嵐のような客だった。菓子屋グラッチェに元通りの靜寂が戻る。ただ一人を除いて。
「いやー、いいですなー、羨ましいですなーカップルは」
どのタイミングで移動したのか、店の隅に座らせておいたはずの瀬戸が、いつの間にかカウンターにもたれかかっていた。油断も隙もあったもんじゃない。
「お前でも羨ましいなんて思うことがあるんだな」
「そりゃあそーだよー。私だってイチャコラこきたいよー」
うへへー、と瀬戸は気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「そんなことより、バイト終わったらごはんでも食べに行かないー? また美味しい店見つけたんだ。その後は……そうだ、この間公開された海底真監督の『私の身体は。』観に行こうよ」
「また映画かよ。何もすることねえからいいけどよ」
やったー、と瀬戸は無邪気に喜んでいる。
そんなに美味しい店なのか。なら少しは楽しみかもしれないな。美味しい料理を食べるということは、少なくとも新作スイーツの引き出しにつながってくる。
「……ねえ、リューマくん」
「ん? まだ何か用か?」
「ふふ、なんでもない」
だが、やっぱりよく分からんやつだ。
「えーっと、六〇二号室だったかな」
「自分の弟の病室も覚えてないのかよ。というかさっき受付で教えてもらっただろ」
道すがら見事一人でロールケーキを一本平らげた(嘘だと思うだろう。だが真実です。一体どんな手法を使ったのだろうか。わたし、気になります)由紀は、俺と病院へやって来た。
目的はもちろん、由紀の弟、圭太の見舞いのためだ。それにしても、圭太とは大昔に一度会ったきりなので、果たして俺のことは覚えているだろうか。
「俺、不審者だと思われたらどうすればいい?」
「逃げればいいんじゃない?」
もっと不審だと思うな、それ。
「……あれ? 扉が開いてる」
由紀がそう言うので見てみると、確かに扉が開きっぱなしになっている。患者リストには「甲斐田圭太」「橘博人」と書かれてあった。この部屋で間違いはないみたいだ。
手を引かれ、由紀と俺は恐る恐る病室に入る。独特のシーツの香りが鼻を突く。
中には誰もいない。見渡してみても圭太はおろか、相部屋の患者もいない。スリッパがないので、どうやらどこかに出払っているようだ。由紀は残念そうに屈み込んだ。
「えー、せっかくケーキ買ってきたのにー。まあ、いいか。冷蔵庫に入れとこ」
「買ったのは俺だけどな」
「圭太、喜んでくれるかなー。お姉ちゃんの持ってきたロールケーキ」
「買ったのは俺だけどな」
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