音楽のある情景

鹽夜亮

In Utero

 ああ、何もしたくないな、と思った。

 その一言で片付けることのできる一日だ。三月○日。特に何があるというわけでもなく、ただそこの年月日があるだけの「ただ」の一日。

 冒頭の通り、私は、何もしたくなかった。とにかく何もしたくなかった。ほとほと考えてみると、人間の身支度というのも、なかなかに面倒なものだ。歯を磨き、顔を洗い、適当に毛髪を整える。その一連の動作も、こういった時には面倒に思える。

 窓の外に目を向けると、春のあたたかな日差しが目に飛び込んだ。ぽかぽかとした日光は、私に「春眠暁を覚えず」という言葉を思い返させた。脳がふんわりとアルコールに漬けられたように麻痺しはじめ、四肢は徐々に重く……まあ、つまるところ、私は起床したばかりだというのに、ひどく眠かった。幾分か埃のにおいがする柔らかい掛布団が、甘美に二度目の睡眠を誘う。

 間抜けな欠伸を繰り返しながら、私は重い身体を垂直に起こした。目の前のテーブルには、適当な濃さで淹れた安物で、最初から酸化したような風味のするインスタントコーヒーと、雑多なケーブル類、ヘッドフォンと携帯音楽プレーヤー。投げ捨てられたように無造作に置かれた腕時計。目薬…点鼻薬。

 コーヒーは良くも悪くも予想通りに不味かった。しかし、美味かろうが不味かろうが苦みはあるし、カフェインは入っている。目を覚ますという目的だけを考えれば、コストも手間も理にかなっている…。ぐちゃぐちゃに絡まったヘッドフォンのケーブルをほどきながら、何を聴こうか考える。鼻孔ではまだインスタントコーヒーの香りが燻っている。

 Serve The Servants oh no…とショットガンで自殺した男が耳元で嘆く。搔き毟るようなギターが心地よい。春の日光には似つかわしくないむさ苦しさと爽やかさのなさが、逆に心地よい。

 ノイジーなBGMに覆われた脳で、何をしようか考える。時計は10時26分を指し示している。

 Hey!Wait!とヘッドフォンががなりだしたあたりで、私は考えるのをやめた。このまま聴き浸る一日も、きっと有意義だろう。そんな風に考えながら、冷めたコーヒーを飲み干した私はもう一度毛布にくるまった。

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音楽のある情景 鹽夜亮 @yuu1201

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