第151話 ロージャ

「力」を脚に込めて、前へ跳ぶ。

 ユーリは気配ごと消えて、場所は分からない。


 けれど、左だろう。

 鎚はもう背に回って、左腕には盾がある。握り込むと、すぐに衝撃があった。

 重い。様子見も手加減もない、死を感じる本気の剣筋だった。軽く振るって弾き返す。一瞬だけ見えた黒い影はまた消えていた。

 ちらと足元を見る。踏み込みの跡は僅かに、横へぶれていた。


 追うべき向きは分からない。ただ、追い回す必要は感じなかった。

 盾を構える。気配はなくても、憶えている。



 かつて仲間だった頃、最後までユーリの疾さに追い付くことはできなかった。旅の中で、魔導を研ぎ澄まし俊敏さを増していく彼女に、何も持たない僕が追いつくはずもなかった。


 だから連携を図るために、戦う前、何度も動きを合わせた。型を決めておけば、合図さえあれば、僕にもどう動くべきか、ユーリが次にどこへ走るか、どの向きで何から守るべきかが分かる。

 数え切れないほどの型を作って、全てを無理矢理に覚えて、それでようやく戦えた。

 そのうち、型の合図は合図ではなく、癖のようなものになって、最後にはもう呼吸と同じで、染みついていた。

 姿の消し方。踏み込む方向。身体の軸の傾き。結った黒髪の揺れ方。その香りさえ、ユーリの残す全てに、僕の動きが繋がる。


 染みついて、こびりついたものは簡単には消えない。ユーリが跳んだ先、次の動きが、見えなくても分かる。

 無論、それは相手にとっても同じことだろう。過信はできない。でも、ユーリはあえて、身体の流れるままに打ち込んでくる。そんな気がした。



 馬鹿げた話だ。

 あれだけ傷つけ合ったのに、まだ何処かで信じている。僕は馬鹿だ。



 凍えた空気が、頭上で震える。ユーリの両刃剣、その一閃が降ってくる。魔導剣ではなく、ユーリごと飛び込んでくる。

 盾を振り上げて、弾き飛ばす。想像よりも重かった。勢いと、『靱』の載った一撃。

 かつてなら、間断置かずガエウスの矢が飛んできたはずだ。代わりに今は、剣の横薙ぎ。かつてよりもずっと疾かった。

 剣の腹に盾を沿わせて、いなす。そのまま、持ち換えた鎚を、こちらも横へ薙ぐ。空を切る。


 ユーリは数歩先へ退いていた。身軽さは、かつてと同じか、それ以上。


「良かったじゃない。強くなれて」


 右手の剣を軽く振りながら、ユーリが僕を見ている。僅かに笑っていた。以前ならもう終わっていたと、明らかにそう言うように。


「ずっと望んでいたものね」


 嘲笑う声音ではなかった。嘲笑いたいのかもしれないけれど、響きは違った。


「その『力』は、今度こそ好きな子たちを守るため? それともその前に、私に捨てられて、代わりに拾ったもの?」


 言葉を継いで、踏み込んでこない。僕の隙を探るという眼でもない。

 少し気が抜ける。もう話すことはないはずなのに。


「ようやく強者になった気分はどうかしら。もう魔物に怯える必要もない。人を殺して、震えて眠ることもない。国を敵に回しても、何もかも守れるんでしょう?」


「どうかな。でも確かに、震えは減ったよ」


 言い切るのと同時に、距離を詰める。踏み込んで、一歩で、鎚の届く間合いまで。跳びながら振り切った『一心ナドルィフ』の鎚頭は、先程と逆に、ユーリの剣にいなされて、空を切る。

 瞬くより先、身体が動いて、後方を蹴り上げていた。足裏で、剣の腹を押し返す。交差の折、見えたユーリの瞳は見開かれていた。新しいものを見た時の、分かりやすい表情。


 この程度で、驚くのか?


「……強いと、自分で言っていたけれど。本当に理解しているのかしら」


 また止まる。まだ話したいのか。

 何を言っても変わらないと言ったのは君なのにな。


「あの頃からは何もかも、変わったわ。力だけじゃない。あなたは、『守り手』はもう証明してしまった。強すぎる意志を」


 また踏み込む。ユーリの言いたいことは、なんとなく分かる。けれど聞いてやる気はなかった。


「二国がかりでも止められない冒険者なんて、冒険者のままでいていいはずが――」


 無視する。先と同じように、鎚を振るう。上から振りかぶって、叩きつける。

 ただ今度は、ユーリではなくその足先を狙う。『果て』の大地が僕の知る土と同じかは分からないけれど、この世界は恐らく、僕らの世界よりもずっと容易く意志に左右される。ならば、後は信じるだけだった。

 ユーリが鎚を躱す。鎚はその前、地面を抉り込む。石礫と土煙。視界を潰して、足場を崩す。


 ユーリは後ろへ跳んでいた。ただ一歩、いや半歩遅い。僕は鎚を手放して、その柄を踏んで、前へ跳ぶ。

 空になった手を伸ばす。土埃の先に、ユーリの首元が見える。それに右の指先が、微かに触れて。

 握り込む直前に、見えない何かに阻まれた。見えない壁。魔導の類。

 一瞬止まった僕と、ユーリとはまた数歩離れていた。瞳の色は、見えない。


「……貴方の無謀に沢山の人が巻き込まれて、世界中が、不幸になる」


 なおも話し続けるユーリ。無視して、鎚を拾う。


「貴方ひとりの我が儘で、大勢が死ぬかもしれない。それだけのこと、為そうとしているのを本当に、分かっているの?」


 語気が強まる。瞳が見えた。泣きそうに震えているように見えた。錯覚かもしれない。

 でも確かに、ユーリはああ見えて優しい娘だから。ソルディグもその妹も、触れ合った人々も、人一倍慮るだろう。もしかすると、僕のことまでまだ気に掛けている。


 そうだとすれば。僕の中の、幼馴染の僕は喜ぶだろう。彼女の根っこは僕の知るままでいてくれている。僕の好きだったユーリ。



 ただ、まあ。もう、知ったことではないな。




「うだうだと、うるせぇな」




 言い捨てて、生まれて初めて、ユーリに、殺意を込めた。混じり気なしの、死の気配。『果て』の大気が呼応して、暗く濁った気がした。


 ユーリを見つめる。

 その表情からは、もう何も読み取らない。


「止めるんだろ。僕を」


 もう終わったんだ。分かり合える時は。


「世界を救うのが、君の夢だったろ」


 別に世界を滅ぼしたい訳じゃない。けれど僕らが

 をそう定義するなら、そうすればいい。止めてみせればいい。


「もう、君の夢は僕の生きる意味じゃない」


 大事な幼馴染であっても。僕らの旅を、冒険を、邪魔するならば許さない。

 今ならもう心の底からそう思える。ユーリを前にしても、悔いも憧憬も、何も無い。


 だから。


「君はいつまで、僕に縋り付くつもりなんだ?」


 話は終わりだ。

 三度、踏み込む。


「……滅茶苦茶ね。ガエウスのせいかしら」


 鎚を数度躱しながら、ユーリの呟き。素のままの声。


「そうね。貴方は結局、昔からそうだったわ。頭が良くて、だから考えすぎて踏ん切りが悪くて、でも一度決めたら頑固で、絶対に譲らない」


 ユーリは剣を返してこない。ただ躱す疾さが増していく。

 ようやくか。兜をしていて良かった。口元が緩むのを見られたくなかった。


「どんな戦いでも、全て覚悟の上で、いつだって守り抜いてくれた。いつもは泣いてばかりで情けないのに、ね。脆いのに強くて、怖かった。でもその優しさがいちばん、好きだった」


 一瞬、見失う。ユーリは大きく後ろへ跳び退いていた。気配が膨らんでいく。これは、魔導剣を使う時の。


 ようやく、だよ。

 息を吐く。



 僕も好きだったよ。

 結局は僕らの未来に、今、この終わり方以外はあり得なかったと思うけれど。それでも僕は、君が好きだった。



「今度こそ、お別れね」


 兜の下で、小さく小さく頷く。これで最後だ。



 僕に魔導は見えない。シエスが星と呼ぶ、魔素の流れも。でも、それが放つ圧は分かる。

 ユーリが両手を、楽団を指揮するかのように、細く広げて。右手の剣がゆらりと、波を打つ。


 全身が粟立つ。何かが僕を呑み込む。来る。


『穿つ蒼』ペレトシーニム


 唱える言葉に、蒼が溢れ出した。

 僕にはそう見えた。視界が蒼色に染まる。僕の四方を、針のような蒼が包んで、迫っていた。


 かつて見たユーリの魔導剣は、見たままの剣閃だった。けれどこれは違う。剣からではなく、剣の延長ではなく、虚空から直接放たれた無数の穿刺。


 魔導剣じゃなくて、ただの魔導じゃないのか、これ。零す暇は勿論なかった。

 盾ではいなしきれない。背を守れない。鎚を両手で握り込む。『一心』が応えて、鎚頭と柄に刻まれた、文様が白く浮き出す。


 僕を真ん中に、蒼と白銀がぶつかる。

 この白は、僕が託されたもの。土小人たちの夢。

 カカフの顔を思い出す。そんな状況ではないのに、ふと思う。


 世界を滅茶苦茶にしていると、ユーリには好き勝手に言われたけれど。人はそこまで弱くない。僕如きが暴れただけで、滅びるようなヒトではない。

 だって僕のような馬鹿でも、此処まで来れたんだ。仲間を信じて、助けられて、支え合って。歪な想いだったとしても、貫けばヒトは、何にだってなれる。

 何処までだって行ける。それを証明してみせる。



 振るう。言葉にならない何か、腹の底の叫びと共に。

 蒼を、鎚の放つ白銀で塗り潰す。魔を討ち滅ぼす『志』、古の神獣と、ヒトの力。



 振り切って、全てを消し去って。

 けれど声がした。耳元で。



「できれば、死なないで」



 ユーリが懐にいた。鎚の柄の更に内、僕の死角。

 ユーリは全て知っている。僕の弱点も、動けない一瞬も。


『滅ぼす蒼』ウニシトシーニィ


 剣が蒼く黒く輝いていた。今度こそ、魔導剣らしい魔導剣。見えない僕にさえ、凝縮された魔の圧を感じて、口の中までひりつく。


 見たことのないほど練り上げられた魔導。

 死が迫るのを感じる。剣に纏った蒼が、真っ直ぐ僕の胸へ突き抜かれようとしている。触れれば鎧ごと、只では済まないだろう。



 けれど、ユーリは知らない。別れてからの僕の旅路を。

 この程度の死地なら、いくらでも見てきた。これぐらいで死ぬなら、ずっと前に死んでいた。

 これで僕が死ぬと思っているなら。



 馬鹿にするなよ。



 見える。ユーリの動きも、剣筋も、全て。

 かつては追えなかったものを、越えていく。


 鎚を手放す。文様と白が消える。

 腰から手斧を取る。両手で一つずつ。『力』を斧の刃先まで浸す。

 不安はある。手斧がユーリの魔導に負ければ、僕が貫かれて終わり。加えて、手斧は近距離戦に堪える造りをしていない。

 左手で、一つ目の手斧を魔導剣へ当てる。刃先の鉄が抉られる音がする。あっという間に駄目になる。

 けれど此処は『果て』だ。濃い魔素で魔導も強大になっていたとしても、それを上回る意志があれば。

 僕が此処まで来れたのは、想いだけだ。それだけは、誰にも負けない。ガエウスにだって、譲る気はない。


 一瞬で手斧が弾け飛ぶ。ただ、手応えがあった。僅かに剣の軸がぶれていた。ならば後は、ヒトを超えた疾さで。

 二本目の斧をぶち当てて、剣は僕の胸を逸れて、脇を抜けた。ユーリの眼は、まだ追いついていない。僕の方が疾い。


 そのまま左腕で、魔導剣を挟み込む。肘と脇で、叩きつけるように剣の腹を抱き込む。



 捻り切るような魔導の奔流を感じて、痛かった。

 けれど、『力』で無理矢理に抑え込む。


 すぐに、剣はその半ばから魔導ごと、砕けた。


「なっ――」


 遅い。鎚も盾も、斧も放り出して、握り込む。



 僕は殴ると言った。



 拳。左を、腹へ叩き込む。下から上へ、貫くように。

 鎧の鉄を喰い破る。ユーリは血を吐いて、宙へ浮いた。


 崩れ落ちるより先に、半歩だけ身を離す。

 拳をさらに深く握る。『力』をありったけと、常とは違うものも込めて。

 僕の腹の底、かつて溜まって濁ったものを全て。



 ソルディグの名を呼ぶ声。情けない慟哭。僕と仲間を捨てた、憎しみ。

 見ないふりをしていた全てを、ここに置いていく。




 死ぬなよ。




 せめて願いながら、振り抜く。右の拳が、ユーリの頬を捉える。

 魔導の壁を感じた。関係なかった。全てを込めた。



 目が合った気がした。確かに死を前にして、強張る瞳。でも、微笑って見えた。

 微笑っていた。不思議とは思わなかった。僕も逆だったなら、微笑っていたと思うから。


 最後に、ユーリは何かを、呟いて。





「ロージャ」





 そして、轟音が遠く響いた。

 ユーリの身体はもう何処にも見えなかった。



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フラレた後のファンタジー マルチューン @cultive173

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