第150話 もう決めた
『蒼の旅団』が、こちらを見据える。
僕らと同じ目的を持つはずの一団。何度も共に戦って、それでも僕らには理解できない。彼らの戦う意味も、背を預けたくなる温かさも、一度だって感じ取れたことはない。
ただ今回は、一つだけ違った。
視界の先、ユーリが僕を見つめている。真っ直ぐな眼が僕を捉える。
結った黒髪が風に揺れていた。揺れているのはその黒だけ。
久しぶりに、懐かしくなる。いつもは隣にいたから、こうして正面からその瞳を受け止めることはそこまで多くなかったけれど。
見つめられる時は、僕にはいつだって大事な一瞬だった。よく覚えている。
蒼い瞳。瞬きもせず、脅すでもなく、ただ想いの固さだけをぶつけてくる、貫く視線。
懐かしい。僕の好きだった眼。僕がずっと背を追い続けた女の子。
僕が惹かれたユーリが、また目の前にいる。どうやらもう迷いは無さそうだった。僕への拘りも怯えも感じない。
ほんの少しだけ嬉しくなる。兜を被ったままで良かった。きっとシエスもルシャも良い気分はしないだろうから。
変わりきった王都の中心。冷えた空気に、なんとなく諦めがつく。
この邂逅が、何ももたらさない訳がない。顔無しと彼らとの繋がりなど思いつく手掛かりもない。けど、数瞬の後に何が始まるかは、もう分かっている。
「ロジオン」
最初に口を開いたのはソルディグだった。
「君が『果て』を目指したのは、何故だ」
珍しく、口調には感情が乗っていた。惑うような悔やむような、常の冷たさとは違う毛色の歯切れの悪さ。
闘技会のときを思い出す。僕の『力』を、力だけを見ていたソルディグ。
「さてね。はじめは違ったけれど、今は、そうだな。皆が必死になって隠そうとするから、どうしても見てみたくなった。だから此処まで来た。皆で」
その程度だよ。本当に。
君ほど真摯に、徹底的に『果て』を目指していた訳じゃない。シエスの未来のためではあっても、僕らはその道行きを確かに楽しんでいた。
「……眩しいな。初めて、自分が嫌になるよ」
ソルディグが視線を外す。初めてのことのように思えた。
なんだか初めて、彼が人間に見えた。底の見えなさは変わらずとも、今なら多少はまともな会話ができそうな気がした。
それすら彼の策の内かもしれないけれど。だとしても、そうまでする意味を僕には看破できるはずもないから、捨て置く。
それよりも僕には、初めて見えた彼の腹の底らしきものが気になった。
「『果て』を潰すんじゃなかったのか」
ソルディグは僅かに俯いていて、僕の嫌いなあの眼は、射抜くような瞳はよく見えない。
「出会ったときから、さっきのさっきまでずっとそれが、君の願いだったんじゃないのか」
「あの言葉に嘘はなかった。あの瞬間は、それが最善手だった。だが、今は――」
“ああ、駄目駄目。見たいのはそういうのじゃないんだ”
脳裏に響く声。ざらつきがちくちくと、頭の何処かを刺すような。
“話が違うなあ。君たち、因縁の間柄なんだろう? 大切な人を騙して、奪い合って、利用して殺し合う。そういう、バチバチの関係なんだろう? ねえ、エルフさん”
エルフ。
その言葉で初めて、ソルディグの隣、ユーリ以外の影に気付いた。
ルルエファルネ。『蒼の旅団』の、ユーリを仲間と誇っていた森人。その表情は、ひどく強張っていた。
「黙りなさい。宰相に何を吹き込まれたかは知らない。けれどユーリを、私たちを使っている気でいるなら、貴方を先に、ここで殺すわ」
殺気を隠そうともせずに、虚空を睨んでいる。彼女がいるなら、きっとナタも、僕らを殺そうとしてナシトに弄られたあの娘もいるのだろう。
ルルエファルネの言葉の意味を考えそうになって。ただその暇はなさそうだった。
“ああいいね、そういうの。でも、ひりつく方向が思ってたのと違うな。しょうがない”
パチリと、指を鳴らす音が何処かから聞こえた。
瞬間、ぐにゃりと目の前の何もかもが溶けた。『蒼の旅団』もユーリも、塵紙を握り潰したかのように、滅茶苦茶に形を変えていく。
すぐ隣にいたはずのルシャもシエスも、姿も気配も歪んで、あやふやになる。
眼の奥がずしりと重くなる。魔素酔いの始めに似ている。魔素が無理矢理、身体中へ染み込むような錯覚。
「大丈夫」
あえて声に出していた。二人に届いているかは分からない。でも、僕は大丈夫。この程度で手は震えない。
あの無貌の男が、ただ僕を魔素ですり潰すとは思えない。これは、下ごしらえだ。根拠のない確信があった。
僕という玩具を遊び尽くすために、世界を作り変えている。此処が『果て』ならば、それも可能なのだろう。
“さて。向き合うのは、誰と誰が良いかな。もう少しきちんと話を聞いておくべきだったかな。つい先走って間違えて、面白みが減じてしまうのも、愉しい証だよね”
歪んでいく。ついに自分の身体さえ輪郭が分からなくなる。
なぜだか帝国へ向かう船旅を思い出した。これは船旅というより荒波そのもの、波の中の水滴ひと粒になったような気もするけれど。
シエスは船酔いになっていないだろうか。
「シエス、ルシャ。しばらく持ちこたえて。どうなってもすぐに、迎えに行くから」
声を発したつもりで、音になっていたかは分からなかった。でも、意志こそが『果て』を動かすものならば、届いているだろう。
「おいおいなんだよっ! 俺を除け者にするたぁ、いい度胸だな、ユーリ! ロージャっ!」
溶けていく世界に、だみ声が響く。
ぐしゃぐしゃになった視界の端で、どうしてかまだはっきりと、ガエウスの姿が見える。
笑ってしまう。ガエウスは世界の果てでも、揺らがない。
「何がどうなってんのかいまいち分からねェが、ここまで来たらなんだってかまわねえ! ロージャ! わかってンな!」
どうしてユーリと僕がいるのが分かるんだろう。彼の見えている世界と、僕の呑み込まれた世界は見え方がまるきり違うのかもしれない。そもそも、ガエウスが見ている世界なんて、最初から僕のとは似ても似つかないのかもしれない。
いつか同じ世界を、同じ視座で見ることができるだろうか。
「ガエウスは、こんなときでも、バカ」
シエスのぼやきが聞こえた気がした。ガエウスには聞こえていないことを祈る。
僕は応えて、告げた。
「ああ。ぶっ潰そう」
気に入らないもの、僕らを邪魔するもの。それが何で、誰であろうと。
何より僕らの冒険に、ケチをつけようとする全て。
蹴散らしてみせる。乗り越えていく。その力が、僕らにはある。
僕らの旅は全て、僕らのものだ。
まどろみは一瞬だった。
気が付くと僕は、村にいた。
一目で気付く。王都のはるか北の端にあるはずの、僕が生まれ育った村。
思わず振り向くと、想い出よりもいくらか冷えた日差しと、奥には見慣れた小さな山が見えた。
木こりとして何度も分け入った木々。
驚きよりも先に、懐かしさが胸に来る。造られた風景でも、僕らの見た
「……『果て』とは、なんなのかしらね」
視線を前に戻すと、目の前にはユーリが立っていた。
細身の剣を抜いて、ぶれずに僕を見据えている。僕の挙動、鎚を握る指震えさえ見逃さないとでも言うように、眉をきつく絞っている。
かつてなら、背筋が寒くなっていた。瞳の強さは、かつて以上。
「王都にいるはずなのに。匂いまで村にいたときと同じ。夢の叶った瞬間としては、これ以上なく最悪ね。……本当に悪趣味な、魔物」
ユーリ以外の気配はない。きっと顔無しは何処かで見ているのだろう。
確かに、悪趣味極まりない。この場所も、『蒼の旅団』が僕らに立ち塞がる理由も、僕とユーリを並べるのも。
でも少しだけ、感謝したい気持ちがあるのは胸の内に留めておく。ユーリももう、気付かないだろう。
「ユーリ」
兜をしたまま向かい合って、呼びかけて、次に何を言いたかったのか、一瞬詰まってしまう。
僕らは今、戦うのだろう。でもその理由を、特に知りたいと思っていないことに気付いて、止まってしまった。
もう、言葉を交わす必要さえない気がした。
「今更何を言ったところで、貴方はもう変わらないでしょうけど」
不自然に止まった僕に、ユーリは語り始めた。語らずにはいられなかったように見えた。
正義感は、今も彼女を支えるものなのだろう。
「ソルディグには妹がいて、『魔素病』なの。その娘を救うために、『果て』を目指していた」
ユーリの表情に、陰はなかった。ただ事実として語る。伝えて僕を動かそうとは思っていない。
瞳には覚悟だけを感じる。ユーリももう、決めているようだった。
「でももう、『魔素病』は不治じゃない。王国が、宰相が魔導での治癒の道をつけた。実際に、マリィ――妹は、初めてぐっすり眠れたの。ここ数年で、初めて」
魔素病。神の獣が、ヒトから遠ざけたもの。
それをヒトが、今度は自分の手で克服する。そうなっても何もおかしくはない。人は全てを乗り越えていける生き物だから。
「ソルディグの夢は叶った。魔導越しの姿でも、マリィを見た彼は、泣いてた」
彼の惑いが、今なら理解できる。
彼の強さを支えていた想いが、全て誰かのためであったのであれば、僕のそれと然程変わらない。得体が知れない不気味さを放つほど、隔絶した覚悟だったというだけで。
でもまあ、それはそれ、だ。
「それで」
僕の促しに、ユーリの瞳が僅かに揺れる。
僕がかつてソルディグに感じたものを、彼女は僕に見たのかもしれない。
それでもユーリは、怯まなかった。
「貴方たちを、先には行かせられない。私たちには、魔導が必要だから。『果て』は、必要だから」
剣の柄を握り締めて、ぎりと鳴る。
「だから止めるわ。私たちが、私が、貴方を」
風を斬る音と共に、ユーリの剣が、僕を向く。敵意が迸る。もう眼は真っ直ぐに、僕を刺している。
戦う理由は十分。それは分かった。納得もできる。
何より、ユーリは決めた。なら今の僕に、何を言う権利もない。
「笑っていいわよ。変節したって、夢を捨てたって、詰っても――」
でも、ひとつだけ聞いておきたかった。
「そんな言い訳がないと、僕に剣を向けられないのか?」
遮って、ユーリが止まる。
僕の言ったことを、うまく呑み込めなかったようだった。それはそうだ。僕が言っているのは、ただひたすらに馬鹿なことなのだから。
鎚を少しだけ持ち上げる。応じるように、ユーリが腰だめに構える。その警戒が、なんだか可笑しかった。かつてとは逆のように思えて。
「僕はこれから、君と戦う。でもそれは、君が立ち塞がるからじゃない」
自分で言って、何か違う気がして、訂正する。
「いやまあ実際は、君が邪魔をするから、ではあるんだけど。でも少しだけ、嬉しいんだ」
続く言葉を、少し躊躇う。
シエスとルシャには、届かないことを祈る。今の想いではない、過去の残滓だとしても、二人には僅かだって不安になってほしくなかった。
でもこの瞬間だけは、ユーリだけに向き合う。二人には、後でどれだけだって謝ろう。
「ユーリ。君のことが大好きだった。いつまでだって守りたかった。でも、それと同じくらいにさ」
ユーリの表情は、変わらない。僕の心も同じ。
僕も彼女も、もう決めたんだ。
「ただ、君の横にも並びたかったんだ」
ユーリに認められたかったのか、自分を認めたかったのか。
いずれにせよ、ユーリはもう仲間ではない。だから守れない。でも、もう一つの望みは、偶然に今、叶える機会を得た。
「だから。代わりに今、叩き潰すよ。君を」
告げて、切り替える。
目の前の敵に、常の戦場のように、敵意を込める。
瞬間、ユーリは数歩後ろに跳び退いていた。距離が開く。
「怖いなら、引いた方がいい。君相手に手加減なんてできないから。君が、僕の知る君なら、だけど」
全身に『力』を込める。意思の圧をまた一段、上げる。殺意をぶつける。
「何度も手合わせをした。僕が君に勝てたことは、ほとんどなかった。正直、勝てる気もしなかった。君はずっと、真っ直ぐだったから」
ユーリはもう退かなかった。兜の下で、笑いそうになるのを堪える。
「今は、どうかな。僕は強いよ」
僕は強い。
どう生きたいかも、どうやって生き抜いてきたかも、全て握り締めている。誰に支えられているかも、もう見誤ることはない。
そう信じている。
「……泣き虫が、よく言うわね」
僕を向くユーリの剣に、鋭さが増して見えた。見えない僕にさえ感じられる濃さで、魔が剣先に奔る。
魔導剣。僕と別れた後も鍛錬を怠らなかったのだろう。
「もう、決めたの。私も、私の選んだ道を行く。今度こそ私の意思で、貴方のいない未来を。捨てた私を恨むなら、どこまでだって恨みなさい。身勝手だとは、言われずとも知っているわ」
今度こそ堪えきれず笑ってしまう。ユーリらしい。
恨みなんてないさ。僕はフラレただけだ。今はそう思う。
ユーリは今でも、大切な幼馴染だ。共にいられなくなっても、望むものが違っても、過去は変わらない。捻くれきっても、絆は絆に変わりない。
そう信じる。
「安心なさい。情けないとは思わないから。貴方はずっと立派になった。村を出てすぐ、洟垂れだった頃よりはね」
ユーリも笑う。皮肉屋で、軽やかに嘲る。
郷愁が一瞬、鼻を突きかけて、振り切る。
「僕も好きにするよ。だから」
懐かしむのはもう終わりだ。
かっこつけるのも、もう終わり。
「死んだら、ごめん」
殺す気なんてないけど。
でも、ユーリ。僕だって男だ。
あの日に道を違えて、こうして敵として向かい合う結末になったのは、全て僕が弱かったせいだったとしても。
あの時の惨めさを、ユーリは知らない。
知る必要はないと知っていても、それでもやっぱり、腹は立つ。
僕の心も矜持も、何もかもを踏みにじった。
そうさせたのは僕でも、そうしたのは君だ。
全てが終わった今、八つ当たりで一発くらい殴ったって、いいだろう。いいはずだ。
かっこ悪すぎるから、言わないけれど。
「はっ。やってみなさい」
鼻で笑って、ユーリは消えた。
応じて、僕も踏み込む。
跳びながら、果たして一発で済むだろうかと考えかけて、止めた。
気が済むまで殴ってやろう。そう決めて、飛び込んだ。
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