第149話 王庭

 僕は今、王都の中心にいる。そのはずだ。

 魔導の山羊と魔物の山羊と、一塊になってなだれ込んで、王宮の目の前にいる。実際、目に映るものは全て、かつて見慣れた王の街。此処は王都だ。

 そのはずなのに、吸い込む息が違う。鼻の奥で、知らない類の冷たさが込もっていく。鎧の隙間、滑り込む風も、冷え切っているのにどろりと絡みつくような。

 そして空には、陽が見えなかった。明るくはあるのに、光には暖かみも温もりも、何も感じられない。息苦しい。

 悪夢の中にいる。そんな言葉が頭を過ぎった。見えるものと感じるものがズレて、頭の奥で焦燥が止まらなくなる、嫌な夢の中。

 呆けている場合ではないのに。


「何がなんだか、という感じだね。それは本来、こっちの台詞だったんだけれどね。本当に、何がなんだかだよ」


 無貌の男が、恐らくは愉しげに笑っている。奴は、此処が『果て』だと言っていた。


「だって、もう会えないと思ってたんだ。君らは『果て』には来ない。君の大事なその娘、シエスちゃんだっけ? 彼女、結局いつまで経っても魔素に酔わないし、呑まれない。『果て』を取り込んでぴんぴんしてるなんて、僕にだって想定外だよ。そんな人間、これまで見たこともない」


 男の語りを半ば無視して、けれど視線は外さずに周囲の気配を探る。

 シエスとルシャは僕のすぐ傍にいる。無事だとは思う。けれど此処はもう、僕らの知る世界ではない。

 目の前の顔無しは、何も気にせず語り続ける。眼も口もないのに、笑みを浮かべているのが目に浮かぶほど、躍った声。


「だからもう諦めてたんだ。残念。シエスちゃんが元気なままなら、君が魔素を消しに『果て』へ来る理由もない。ああ、もったいない。せっかく見つけたと思ったのに。魔を討ち滅ぼしうる、僕をぶっ潰せる勇士バガトゥイリをさ」


 話す内容は、よく分からない。碌でもない話なのは分かる。出会った時、気紛れにシエスを害したこの男の狙うものなど、僕らにとって良いものである筈がない。


「……ロージャ、兜、かぶって。はやく」


 シエスがきゅうと手を握って、僕に意識を向けさせる。答えるより先に、発動句を口にして、兜で頭を覆う。


「魔素がおかしい。吸っても吸っても、なくならない」


 シエスは目を見開いているようだった。声は普段通りに揺れず、いつもよりは低く、警戒だけが滲んでいる。驚いているのか、戦いているのかまでは分からない。

 この、僕を包む濁りが魔素なのだとすれば。感じ取れない僕にすら、質感を伴う違和感。此処は本当に、『果て』なのだろう。

 まだ魔素酔いの兆しはない。酔って済むような濃さではない気もする。僕は今、未知の只中にいる。鎧と兜で遮っていても、魔素に漬け込まれているようなものだ。僕の身体に何が起きてもおかしくはない。けれどまだ、大丈夫。


「そりゃそうさ。君らの世界の、全ての魔素は『果て』で生まれる。此処で魔素が溢れない訳ないだろう? そんなことよりほら、聞いておくれよ」


 語りは続く。僕の前で、左右にふらふらと数歩、歩いては引き返す。僕らへの害意も警戒も、今のところは何も感じられない。

 ガエウスは無事だろうか。無事だろうけれど、彼も同じように、此処へ飲み込まれただろうか。

 見たことのない異変を感じて、牙を剥くように笑っているような気もする。ガエウスならむしろ、『果て』の中にいない方が怒り狂うだろう。ガエウスなら、どこにいても誰よりも問題ない。


「それでさ、つまらないから、暇つぶしで王都でも滅茶苦茶にしてやろうと思ってさ。ちょうどなんだか、守りというか、魔を弾く誰かか何かがいなくなって、緩んだ気がしたから、折角だしね。近くでせっせと魔物を殖やしてたんだ。僕らが出会ったときのように。そしたら急に、あの忌々しい『門』が降ってきて、何事かと覗いてみたらなんとまあ、君たちがいるときた」


 目以外で周囲を探る。無貌の男と僕ら以外に気配はない。

『果て』には魔物が溢れていると思っていたけれど、僕が思うよりずっと超常の地だったようで、どこからどう見ても、王都の一角にしか見えない。王都の空気には感じられない、気色の悪い濁りと凍えが満ちているものの。


「いやあ嬉しくなっちゃってさ。驚かせようと思って、着替えたり化けたりして、ちょっと目を離してたら、これだよ。シエスちゃんのさっきの魔導、僕の育てた魔物も、なんなら近場のダンジョンも、ぜんぶ消し飛ばすくらいヤバいやつだったからね。ギリギリ間に合ったけど、『門』は壊れて、開いてしまった。いや、もしかするとさっきのに『鍵』も載せていたのかな。本当に、恐ろしい娘だよ」


 無貌の男の、視線が変わった。僕を見るでもなく、中空に漂うでもなく、僕の隣、シエスを見据える。初めて、シエスを相手に、声音が変わった。

 鎚を、『一心ナドルィフ』を握り直す。森で初めて振るった瞬間から、その柄はひたりと手に馴染んでいる。顔無しが動けば、意識すらせずに踏み込める。

 けれど男に動く気配はなかった。


「君はそれでいいのかな。君はどちらかといえば、ロージャよりこっち寄りだと思うけどな。それほどの腕なら、魔の極致、その先まで極めて、思い切り振るってみたいと、そう思うだろうに」


「魔導はそんなに簡単じゃない。そんなに良いものでも、ない」


「なんだ。君は不思議な娘だね。誰より魔に愛されているのに、慎重で臆病で、すっかり人間そのものじゃないか。よくもまあ、そんなに真っ直ぐにいられたね」


「あなたが未熟なだけ」


 シエスの冷たい突き離しに、無貌の男は一瞬止まって、いっそう楽しげに、くははと笑った。


「ああやっぱり、君たちは良い。良い感じにちぐはぐだ。強いのに、何も知らない。……知ったら、もっと面白くなるのかな?」


 また僕に向き直る。手を大きく広げて、何かを披露するように、愉しげに大げさに揺れる。


「折角だ、ネタばらしといこうじゃないか。僕もあれから色々見て回って、勉強したんだ。君らの世界のこともさ。少し聞いておくれよ」


 この男はまだ語り足りないようだった。

『果て』も彼に合わせて、耳をすませるように一段と静けさを増した気がした。


「だいたい、おかしいとは思わないかな。長いこと、世界中に冒険者が溢れていたのに、誰も『果て』には届かなかった。もちろん、ヒト同士で争って、道を隠していたというのもあるけれど。……これはこれで、腹立たしいイカサマではあったよ。ほんとに。おかげで僕は何百年も待ちぼうけだったんだから。まあそれは今はいいか。話を戻すと、大昔もさ、君たちみたいな化け物はたまにいたんだ。その彼らが、王国だか帝国だかが隠したくらいで、世界のどこにも『果て』を見つけられないなんて、流石におかしい」


 すらすらとよく喋る。『果て』の真実に興味はあるものの、敵から聞く話を信じて、あまつさえ気を取られる訳にはいかない。

 それにこの男は、僕らと会話するつもりはないのだろう。ただ語りたいだけだ。長いこと独りでいると、人は自分のことだけで精一杯になる。


「僕もずっと、『果て』は君らの世界と繋がっていると思ってたんだ。君らが地面に真っ直ぐ線を引きながら、四方八方に走れば、いつかその線は『果て』に行き当たる。でも、実際はそうじゃなかった。繋がってないんだ。君らと僕らの世界は、ほんの一部だけ重なっているだけなんだ」


 世界の重なり。いよいよよく分からなくなってきた。神獣の語った歴史といい、この男の『果て』といい、最近は僕の理解を超えて壮大で、大袈裟な話ばかり。

 冒険はそこまで、理詰めでなくていい。新しく目に映るもの、感じ取れることが全てだ。真実を探るのは、旅から戻って、宿で思い切り寝て、腹を満たして、その後でいい。


 半ば聞き流して、警戒を怠らない。『果て』に辿り着いたなら、次はどうやって此処を潰して、元の王都に戻るかだが、いつも通り、さっぱり手を思い当たらない。


「僕は生まれてからずっと『果て』にいた。目の前にある景色も法則も、次の瞬きの後には消え去って跡形もない。そんな世界が当然と思って生きていたんだ。でもそれは君らの世界のいつかのどこか、それと時折重なり合って、流れ込んで来ていたのかもしれない」


 世界の法則。かつてヴィドゥヌス校長が僕らに見せた、丸く青い球体――僕らの世界が脳裏に浮かぶ。

 魔素に意思を乗せて、世界を縛る法則を捻じ曲げる。魔そのものである『果て』では、捻じ曲げるも何も、何もかもが不確かなのだろう。

 警戒を一段高める。そんなあやふやな世界で、気を張ったところで、何が起きるか予測がつくとは思えないものの。


「『果て』は結び目だよ。確りと固まった領域である君たちの世界と、曖昧で気紛れで、何だって望める僕たち魔の地、その重なり。『果て』と言うよりは、入口でもあるし、出口でもあると言った方がいいのかもね。時折君らが偶然転がり込んでくれたから、餌場に最適で、僕らはずっと『巣』と呼んでいたけれど」


 シエスがまた隣に来て、僕の腕に触れていた。目を一瞬だけ向けると、珍しくあからさまに心配そうな目をしていた。

 銀髪をくしゃりと撫でる。まだ身体に異変は感じていない。けれどのんびりとはしていられない。奴の言うように、此処は彼らの『巣』なのだから。


 手を考える。

 周囲にまた意識を向けると、遠く後ろに、微かな気配を感じた。恐らくは馴染みのある、やかましい僕らの仲間のもの。確証はないけど、ふっと安心してしまう。

 まだ遠いけれど気配が見えるのは、隠す余裕もないほど、この状況に狂喜しているからだろうか。


「『果て』がなんで生まれたか。それは分からない。今となっては興味もないよ。さっき話したことだって、僕の推論でしかない。本当の姿はまた違うのかもしれない。でもこうして重なり合ったおかげで、君らは魔という力を手に入れて、僕らは――というか今のところは僕だけだけれど、知と理を得た。平たく言えば、言葉と、感覚と切り離してモノを考える力をね。なぜ僕だけなのかは、力ある僕らにはまだ知も理も不要だから、ということだと思うね」


 無貌の男は、僕らが真剣に聞いていないこともたぶん知った上で、語り続けている。隙だらけに見えても、僕の動きを待っている。

 ガエウスがいるなら、最悪正面突破も一手だ。ナシトがいないことだけが不安材料だけれど、そのことは無理やり無視する。ナシトが間に合ったとしても、ほぼ間違いなく隠れて近付いてくるだろうし、それを僕には察知できない。訳の分からない男だから。


 僕らがどう動こうと先手はどうやってもこの男が取るだろう。此処は彼の領域で、彼は楽しむ気でいる。

 ならば、僕らは堂々と構えて、後手で迎え撃つ。かっこよく言い切ってみたけど、正直それしか考えつかない。ガエウスには笑われるだろうな。

 だから、誘い出す。その手が何なのか、少しでも炙り出す。そう思って、口を開く。


「『果て』の成り立ちをありがとう。それがなんであれ、僕らは今から、その重なりとやらを潰すよ。そのために来たんだ」


「まあそうだよね。別に知っても、変わらないよね。君はひどく慎重だし、いつも不安に突き動かされてる。シエスちゃんが魔喰らいに呑まれる可能性がほぼないといっても、君がそのまま放っておく訳もないか」


 無貌の男は肩を竦めて、おどけてみせた。


「でも、君らヒトは、それを許さないと思うよ」


「……」


「決まった形で生まれて、決まった場所で、しなければいけない呼吸をして、初めから決められたような日々を生きて、死ぬ。そんな世界で、魔導だけが何もかもを変えられる。そんな唯一無二を、ヒトは捨てられない」


 そこまで知っているのか。

 王国と帝国の、魔素と魔導への拘り。栄華のためか、民の幸福のためか、いずれにしてもこの男の言う通り、人は『果て』を隠し守っている。

 ……王国宰相はこの男についても知っているのだろうか。国とも結びついているとすると、最悪だ。でも『果て』を王都と重ね合わせる、そんな無茶をあの宰相が許すとも思えない。

 いよいよ次の手が見えなくなってきた。でもまあ、これもいつものことか。


「心を載せれば、全てを変えていける。それが僕らの世界だ。その世界をいちばん望んでいるのは、君らだろう? だから『門』で縛って、世界中から『果て』を忘れさせて、魔素が流れ込んでくる今の世界を維持したんだ。たとえいつか魔に蝕まれて滅ぶとしても、君らは望みを簡単に叶えたいと思ったんだ」


「一緒にするなよ。全員がそう願った訳じゃない。だから僕らは、此処にいるんだ」


「そう。そこだ。不可解なのは君たち――いや、ロージャ、君だ。君の力が不思議だった。君らの世界は、魔素なしじゃあ歪まない。それを君は、無理矢理捻じ曲げている。君の心だけで」


 顔無しの声が変わった。

 低く低く、探る声音を隠しもしない。


「昔も似たようなヒトはいたよ。本当に極稀に、『果て』を理解して、世界と世界の重なりを見つけて、隔たりを踏み越えてくる英雄は、みな『志』を備えていたんだと思う。戦った頃は気付かなかったけどね。皆、魔を操ってもいたから。そうなんだ。彼らも結局は、魔ありきの、支え付きの『志』だったんだ。神獣のそれとは違う、混じり物だよ。だから僕にも躱せた。混じっているなら、それは結局、僕らの魔と似たようなものだから」


 語る声が煮立ち始める。興奮に躍っている。この男の目的は、僕だ。けれど僕の何を、見極めようとしている?

 ガエウスの気配は、まだ遠い。何かに足止め――される男ではないから、何か面白いものを見つけて、立ち止まっているのか。


「君は違う。君のは混じりっけなしの、ただの馬鹿力だ。今、この世界で、君の『力』だけはたぶん、神たる獣の『志』と同じだ。『果て』が生まれるよりもずっと前、古の、魔で萎びる前の、ヒトの意志。先祖返りってやつなのかな? ――それとも、君は僕と同じ、外れ者なのかな。僕と同じ」


 今、男の気配は、なんとなくガエウスと似ていた。目があったならぎらついていただろう。


 僕の『力』が唯一。あまり実感はなかった。

 僕の思いが、意志が、誰よりも強靭だった? そんな筈もない。ユーリの手を掴んでいられなかった、違う男に惹かれていくのを眺めているしかできなかった、自分の望むものを失うのがただ怖かった、それだけの想いが、そんな大層なものであるとは思えない。

 誰にだってあるだろ。失恋の一つや二つくらい。そんなありふれたもので特別扱いされても、逆に酸っぱい気持ちになるだけだ。……失恋で目覚めた力なのは本当だから、全て否定する訳にもいかないのがなおのこと苦々しい。


 困ったな。僕の話をされても、困る。

 僕と今から戦いたいというだけなら、単純で良いけれど。それだけとも思えない。


「……あなたは、わかってない」


 逡巡していると、シエスが一歩、前に出ていた。なぜか妙にむすりとしている。


「魔導も、ロージャも、そんなに簡単じゃない。わかった気で、しゃべらないで」


 いつもの無表情で言い放つ。

 今反論すべきなのは、そこじゃないような気もするけれど。

 シエスの喧嘩腰に、まだ反応はない。相手がどう動いても、いつでも守れるように、意識だけを研ぎ澄ましておく。


「シエス、こんなときに、煽ってどうするんですか」


「煽ってない。ただの事実」


「……それは、そうですけど。ロージャの強さは、貴方には分からない。独りである貴方には」


 シエスに誘導されて、ルシャまで。

 無貌の男の気配が、僅かに剣呑とした。


「君たちには分かるのかい? 傍にいて、守られているだけの君たちが?」


 初めて、声から戯けと嘲りが消えた。糸口になるかもしれない。

 そう思うのに、僕の口も勝手に動いていた。


「守られているだけじゃないさ。一緒に『果て』まで来た。皆で目指した通り、望んだ通りに」


 二人は仲間だ。お姫様じゃない。そこだけは譲れない。救われているのは僕の方なんだ。

 言ったところで、この男には分かるまい。僕らは絶対に理解し合えない。根っこのところが違うものでできている。

 ならもう、言いたいことを言うだけだ。


「此処が最後って訳でもない。『果て』を潰しても、森の向こう、海の向こうにも知らない世界がある。もっと面白い冒険がある」


 ヒトの業だとか、魔の真実だとか、そんなものはどうだっていい。

 僕らが知りたいのはもっと単純で、意味も理由もなくて、ただ目の前に広がり続ける、そこに在る世界そのもの。それこそが僕らの冒険であるはずなんだ。



「世界に果てなんてないんだ。僕らはもっと先に行くよ」



 仲間と一緒に、知らない世界を見に行く。そこで感じる全てを、仲間と分け合う。

 僕の望みはそれだけだ。



「やっぱり君らは最高だ。強くて、望むままに生きるくせに、その望みが意味不明で、ちぐはぐで」


 無貌の男は、元の調子に戻って笑った。

 全て演技だったのかもしれない。けれどたしかに何かが決定的に変わっている。きっと、直に動く。僕の直感がそう告げていた。


「生まれて初めて、神ってやつに感謝したくなったよ。この世界を生み出した、重なり合って『果て』を生み出した、神なのか偶然なのか、なんでもいいけど、この出会いを生み出した、大いなる何かに」


 おもむろに男が両手を再び掲げてみせた。

 瞬間、大地が揺れた。いや、揺れたというより、歪んだ。


「此処で君と戦えば、僕はきっと見出だせる。僕が、僕だけが悟性を得て、呪われた故を。知と理の先に、何を目指すべきなのかを。同じ外れ者の君が、歩む理由を見つけられたように」


 シエスとルシャの腕を掴む。

 此処は『果て』で、魔素の塊、魔導そのもののようなものだ。つまり、いくらでも形ごと、存在ごと変わりうる。

 その証拠に、僕らの足元は脈動するように蠢いていた。景色が四方に流れていく。前方の王宮は跡形もなく消えていく。冷たく青白い空だけが変わらずにある。


「でも、ここで小休止だ。まずは舞台を整えよう。少しだけ、ほんの少しだけでも後へ取っておくと、楽しみはもっと楽しいものになるから。この喜びを、もっと噛み締めてから、噛み潰したいんだ」


 歪んだ景色が整っていく。僕らが移動させられているのか、空間ごと作り替えているのか。

 前方、少し先に、見覚えのある石床が広がっていた。規則的に並べられた、人の手で作られた、闘うための場所。かつての一瞬を思い出して、動悸がした。

 信じられないが、此処は、王宮の中の鍛錬場。僕がかつて闘技会で、王の前で鎚を振るった『王庭』。あの日、僕の全てが変わった地に再び立っている。


 シエスが僕の横で、何かを唱えていた。

 気付いたときには、鋭い氷柱がひとつ、矢よりも疾く、無貌の男へ飛んでいた。


「一旦、失礼しよう。君の強さを、直に味わう前に。それが生まれたところを見返してみたいんだ。その戦いも、きっと壮絶で面白いものだっただろうからさ」


 氷片が突き刺さる寸前で、男は消えた。景色と一緒に、歪んで溶け込んで、見えなくなった。

 シエスはむぅと不満げな無表情。


 同時に現れた気配が、四つ。『王庭』の端に立っている。どれも見知ったものだった。

 あれは幻影ではない。魔導で生まれたものではない。顔無しが化けた姿でもない。

 彼らはたしかに、王都にいた。僕らと同じく、『果て』を攻略しに。その筈なのに、嫌な確信が僕を満たす。



 "お招きしておいたよ。君の過去を。さあお入りいただこう。『蒼の旅団』"



 声だけが流れていた。今日いちばんの、嘲りが込もっていた。

 ソルディグと、その隣でユーリが、僕に気付く。

 その瞳まではまだ見えない。



 "まず、見せてもらうよ。君は本当に、乗り越えられたのかな?"


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