第5話 皮膚と鼓膜だけで、つながる感覚。
彼女は私を手招く。あれから数年が経過しているのに、私はいつまで経ってもこそばゆい感覚だ。
彼女は私を一人の人間として許して望んだ。否定することは無いが、許されないことはきちんと止めてくれた。
あのメッセージは結果として彼女に届いた。直通ではなかったが、彼女が目に留めてくれたのだという。じゃあ一緒に歌いませんか、と彼女は返事を送ってくれた。
彼女と一緒に歌う。同じベロアの目隠しを着けて。視覚を奪い、音に集中する。
彼女が触れるほどに近くにいるのが、衣擦れと息遣いの音でよく分かる。この瞬間、私は世界に彼女と二人っきりではないかと錯覚する。それは、彼女に伝えたことはない。
同じようにして、彼女は他の誰かとも歌うのだ。
独占欲のようなものを自分の中に感じて、少し恐ろしくなった。
ある日、いつもと同じステージの上で彼女は私の手を取った。柔らかく小さな手のひら、細い指の感触がよく分かる。皮膚越しに彼女を感じた。
「いつもこの瞬間、二人っきりになったみたいで、特別な感じがしない?」
いたずらを思いついた子どもみたいに、彼女が笑っているのがささやき声から伝わった。
きっと、この密やかなステージの上の幸せを、彼女のぬくもりを、頼もしさを、きっとお母さんは知らないままなんだろう。知っても、理解できないと思う。
そうだとしても、離れたところから私を見ていてほしいと思う。
理解されないとしても、見守っていてほしいと願うことは悪くないと思う。もしかすると、他の誰にもこの感覚は共有できないものなのかもしれないのだけれど、そんな貴重な感覚を彼女と共有できて、私はとても強く嬉しく思った。
ねえ、おかあさん。私は出来損ないの駄目な娘かもしれないけれど、あなたが望んだ理想の娘ではないのかもしれないけれど、私はここで生きることに決めました。
そこから見ていてください。手の届かないところから。
あなたが羨ましくなるくらい、立派に楽しそうに生きてみせるから。
ねえ、おかあさん。
私を産んでくれて、ありがとう。
今なら、心からそう伝えられる。
ステージの上。彼女と二人っきり。彼女の手を握って、震える声で私は歌った。ベロアの目隠しは涙を隠してはくれなかった。彼女が私の頬に唇を落とし、涙を掬った。
孵化予定/ベロアのリボン 明里 好奇 @kouki1328akesato
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