第11話 今度は、二人で

 占いの結果を受けとった陽永帝は、文書を足下に叩きつけたそうだが――

 どうあれ、祈宮の乙女を利用し、ヤエタの神秘を乱してまで戦を始めようとした自らの行いを、悔い改めざるをえなかった。

 戦さえ始めてしまえば、皇家を守る存在である狐神の一族も、果雫国の部隊を守らざるを得ない。そうしてなし崩しに玄氏を戦に引きずり込もうとした、そのことについても、利舜儀の怒りを買った。

 その結果、帝の権威は大きく失墜した。果雫国中の守りの拠点は、これまでよりも厳しく玄氏に統括されることになり、高天国との交渉も大臣や大使たちなど現場の者たちに一任されることになった。

「なーんか、大使が忙しくなっちゃったみたい。私、もう一度高天に戻って手伝うわ。は? 第二妃? なんの話?」

 美弓羅はさっさと、高天国に戻っていった。

   

 そして、この計画に紛れて輝更義を暗殺し、次期頭領として戦を率いるつもりでいた刃凪茂は、一度は玄氏に連れ帰られ手当を受けたが――

「これまで、次期頭領の座を巡る争いは、身内のことと多めに見てきたが……刃凪茂。祈宮守護司を率いる身でありながら乙女をかどわかし、危険にさらし、また一族が認めていない戦を帝とともに引き起こそうとした罪は重い」

 狐ヶ杜。玉砂利の上に両膝をついた刃凪茂を見下ろし、利舜儀は玄氏の裁きを言い渡す。

「狐牙刀の剥奪、ならびに玄氏追放を申し渡す。改悛せよ」

 傷が完全には直りきらないまま、狐牙刀を差し出した刃凪茂は、顔に大きな傷跡を残している。彼はその顔をうつむけ、黙って頭を深く下げた。

 そして、そのまま狐ヶ杜を出て、姿を消した。


 レイリが、水遥可とともに利舜儀に目通りを願ったのは、それからすぐのことだ。

「絹帝国の西の地にも、その土地の神々の血は残っています。私はそこから、果雫国にやってきました」

 利舜儀を前に、レイリは淡々と打ち明ける。

「ある人に、果雫国の話を聞いて、興味を持ったのです。玄氏にも会ってみたかった。そんな話をする人物に、お心当たりは?」

 試すように言うレイリに、利舜儀は目を見開き、即座に答えた。

うな! 結海木ゆうなぎだ! いや、しかし、我が妻は絹で亡くなったものと……」

「亡くなったのですが、かの地の神に気に入られまして。ウーナ、と呼ばれ、一族に迎えられました」

「……は」

 利舜儀は額に手を当てた。

「それはまた……なんと言えばよいか。……さすがは我が妻、と、言っておくことにしよう。そうか……西の神は寛容であられるな。果雫国の狐神も一族になさるとは」

「そのウーナから、玄氏のことは色々と聞いておりました。物見遊山をするうちに、たどり着いたのは祈宮でしたが、そこに玄氏もおりましたし、私は祈乙女の女官見習いとして働くことにしたのです」

「そうか。レイリ殿、玄氏も喜んであなたを迎え入れる。……そして、結海木のはっきりとした消息を聞くことができて、嬉しく思う」

 椅子の背にもたれる利舜儀に、レイリは聞く。

「後添いは、娶られなかったのですね」

「突然、妻は死んだらしいという知らせがきただけだったからな。気持ちの区切りがつかなかったのだ」

 利舜儀は晴れ晴れとした顔で笑った。

「しかし、彼女は次の生を歩んでいるのだな。それならば、私もまた、前を向いて進むとしよう」


「水遥可さまっ! ただいま戻りました!」

 皇宮の任務から帰ってきた輝更義は、離れに飛び込んだ。

 彼の崇拝してやまない美しい人が、卓でふみを読んでいた顔を上げ、困ったように微笑む。

「おかえりなさい、輝更義。そんなに急がなくとも、わたくし、逃げませんから」

 今回の件には、輝更義も水遥可も大きく関わっているため、利舜儀を含む関係者にあれこれと説明せねばならなかった。そのため、水遥可は小雪野の生家に帰るわけにはいかず、狐ヶ杜に滞在していた。

「早くお会いしたかったんです。……あ、佳月さまからの文ですか?」

「ええ」

 水遥可はうなずいて、文に目を戻した。

「だいぶ、気力を取り戻してこられたようです」


 佳月は極秘のうちに祈宮に戻り、一度だけ霽月が復活したことは記録には残されなかった。

 水遥可が頭挿花を佳月に返したとき、佳月は悪夢から覚めたような目をして、やや呆然としながらこんなことを言った。

「私、思ってもみなかったのです。父上が、間違うことがあるなんて。帝は果雫国にとってよいことだけをするのだと、そう思っていたのに……」

「間違えない人など、おりません。だから、支え合わなくては。帝と祈乙女は対の存在、支え合うのも大事なことです。もしわたくしが間違えたら、佳月さまが教えてくださいね」

 水遥可が微笑むと、佳月は泣きながら答えた。

「間違って、ごめんなさい。そして、教えて下さって、ありがとうございました」

 祈宮に戻った彼女は、また以前のように文を山ほど書き始めた。水遥可にも、そして今度は手繭良にも。


「お二人の元・祈乙女に支えられて、佳月さまもきっと立派に、つとめを果たして行かれるでしょう」

 輝更義が言うと、水遥可は「はい」と微笑んだ。

「権力の失墜した陽永帝はもう、独断で何かすることはできないはずですし、佳月さまもご自分の考えて動くようにおなりになるはず。もし、わたくしに何かあって佳月さまに千里眼の力が移っても、大丈夫でしょう。ああ、ひとつ重荷が降りた気分です」

 そして彼女は、ほっ、と息をつく。

「ヤエタから武官たちが撤退し、元通りになったことで、ヤエタ石も元の通りに戻ったと聞きました。それに、わたくしの力のことも言わずに済みそうで、安心しています。これで全部、落ち着いたのですね」

「そ、そうですね」

 輝更義がうなずく。


 ……互いに様子を伺うような、沈黙が落ちた。


 ふと、水遥可が腰を浮かせる。

「わたくし、そろそろ」

「待ってください!」

 ぱっ、と輝更義が立ち上がり、水遥可の手を取った。

「あっ?」

 よろめく水遥可を、輝更義は引き寄せる。

「行かないでください!」

「え、あの、そろそろ火鈴奈殿と庭でお茶のお約束をした時刻なのですが……だめでしょうか」

「あっ、そ、そっち」

 輝更義はあわてて、パッと手を放す。


 水遥可は、自分の胸にその手を抱き込んだ。

 そしてそのまま、迷うような様子でうつむく。


「……水遥可さま?」

「輝更義……」

「はい」

「わがままを、言います。ごめんなさい。でも」

 水遥可は消え入るような声になる。

「もう一度、ここを出て行くなんて、わたくし、できそうにありません」

「……み……水遥可さま」

 輝更義は身を屈め、彼女の顔をのぞき込んだ。水遥可は目元を赤くし、その視線から隠れようとするように顔を背ける。 

「あのときだって……やっとの思いで離れました……それなのにまた、戻ってきて、しまって」

「水遥可さま」

 愛しい人の苦しげな声に、輝更義はどうしたらいいのかと混乱しながら右手を伸ばした。水遥可の胸元にあった手をもう一度、握る。

 そのまま、左手は自然に、彼女の頬を包んだ。そっと自分の方を向かせる。

 なめらかな頬を、涙がすべりおちる。

「水遥可さまが、俺と同じ気持ちだなんて」 

 輝更義は、水遥可の潤む瞳に見とれながら、夢うつつの気持ちで言葉をこぼした。

「これは……夢かな……」

「ゆ、夢だなんて……! 目覚めてひとりだったら、わたくしは」

 水遥可はしゃくりあげる。

「あなたが恋しくて、死んでしまいます……!」


 その言葉を聞いた途端。

 輝更義は、水遥可の頭を一気に引き寄せ、唇をふさいでいた。


 ――刹那の、そして濃密な時間が流れ、二人は再び見つめ合う。

「おおお……やってしまった……ずっと我慢していたことを……っ」

 呆然とする輝更義に、水遥可は首を横に振る。

「もう、わたくしのことで何かを我慢なさらないで」

「あああ、そういうとこですよ、もう!」

 輝更義は水遥可をかき抱く。 

「どうか、俺の側に。これからも俺の元にいてください。これからどうしたらいいか、考えましょう。二人で」

「二人で……」

「そうです」

 一度、腕を緩め、額と額を合わせながら、輝更義はささやく。

「ヤエタでは、俺たちはそれぞれ、互いを信じて一人で行動しました。でも今度は、二人で」

「そう、ですね」

 水遥可もようやく、微笑んだ。

「わたくしたち、本当の夫婦になりましょう」


 庭の池を眺めていた火鈴奈のところに、レイリがやってきた。

「レイリ殿」

「火鈴奈殿、申し訳ない。水遥可さまは今日は来られなくなった。それを伝えにきたのだ」

 もはや頭巾をかぶっていないレイリに、火鈴奈はうなずく。

「わかった、わざわざありがとう。お忙しい方だからな」

「そうだな、お忙しそうだった」

「レイリ殿のことも聞いたのだが……侍女を続けるのか?」

「水遥可さまのお側にいるのは、楽しいからな」

 レイリは薄く笑み、そして続けた。

「水遥可さまの代わりといっては何だが、少し話してもいいか?」

「もちろん」

 火鈴奈が答えると、レイリは隣に並ぶ。

「単刀直入に聞くが、火鈴奈殿は玄の頭領殿を……利舜儀殿のことを、慕っておられるのだろう?」

 ひゅっ、とおかしなところに空気を吸い込んでしまい、火鈴奈はむせた。

「ごほごほっ! げほっ! ……な、な、何を」

「輝更義殿とは絶対に結婚したくない、というのは、その父御の方を慕っておいでだからだ。そして剛胆な火鈴奈殿が、利舜儀殿の前でだけはしょっちゅう、どもる。うん」

「うん、じゃないっ。わ、私は」

「話は変わるが」

 いきなり梯子を外すようなことを言って、火鈴奈をずっこけさせながら、レイリは池の方を眺めた。

「私がわざわざ利舜儀殿に正体を明かしたのは、結海木のことを伝えて利舜儀殿の心に区切りをつけてもらうためだ。結海木も――ウーナも、それを望んでいた」

「いや、だから、その話は私に関係あるか?」

「ううむ。これで利舜儀殿が後添いをもらう気になり、男子でも生まれようものなら、また色々と状況は変わってくるのだろうなぁ」

 まるで独り言のように、レイリは言う。火鈴奈は息を呑んだ。

「……末子相続……すると、輝更義殿に第二妃は必要ないことに……?」

「輝更義殿がどうしたいのかは、聞いてみないとわからないけれどもね」

 レイリは、ふ、と子どもらしからぬ微笑みを火鈴奈に向ける。

「退屈な話をして申し訳なかった。暇つぶしになったならいいが」

 その時、遠くから呼びかける声がした。

「レイリ殿ー! どこー? ちょっと手伝ってー!」

「るうな殿だ。それでは失礼」

 さっさと立ち去っていくレイリを、火鈴奈は呆然と見送った。


◇   ◇    ◇


 それから、半年ののち。



 狐ヶ杜では、改めて、輝更義と水遥可の結婚式が行われた。

 ヤエタの事件の時、水遥可にまだ祈乙女としての資格があったのは、輝更義と水遥可がこの事件が起こることを見越して白い結婚をしていたため……と、関係者は理解している。

 だから、今回こそ本当の結婚をする、というわけだ。


 花嫁ばかり見ている花婿、恥ずかしげな笑みを花婿に向ける花嫁は、それはそれは幸せな様子であり――

 白尾城からもヤエタからも、多くの客が祝いに訪れ、盛大な式になった。


水遥可の千里眼の力は、それから先も、祈乙女の歴史には記されていない。

ただ、二人の間に生まれた子はたいへん聡く先見の明を持ち、玄氏に、そして果雫国に、よく貢献したと伝えられている。



【降嫁おとめと守護ぎつね  完】

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降嫁おとめと守護ぎつね 遊森謡子 @yumori

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