第10話 霽月、最後の占い

 祈宮に到着した水遥可は、るうなにすがるようにしながら彼女の背を降りた。

 すでに夜が明けている。千里眼の力を使い、さらに二晩連続で狐の背に乗って駆けた水遥可は、疲れきっていた。

 しかし、これからやることができるのは、水遥可だけなのだ。


 奥の宮の手前で、老女官が走り出してきた。

「霽月さま……いえ、水遥可さま! どうしてこちらに!?」

「水鏡壇に参ります」

 水遥可はまっすぐに、女官を見つめた。

「占い花を用意しておくれ」

「な、何を。そういうわけには参りません」

 戸惑った様子ながらも、女官はきっぱりと言った。

「壇で占えるのは、祈乙女のみ。すでに降嫁なされた水遥可さまが占っては、天罰が下ります」

 水遥可は袂に手を入れ、それを取り出した。ゆっくりと、髪に差し込む。

 金の頭挿花が、黒髪に光った。

「佳月さまの代理で、参りました。そして、わたくしにはまだ、祈乙女の資格があるのです」

「み……せ、霽月、さま」

 うろたえる女官に、水遥可はうなずいた。

「さあ、占い花を。わたくしは、なすべきことをしに来ただけです。あなたも、そうしてください」

(輝更義は、わたくしの望みを……白い結婚を叶えてくれた。今、ここに立てるのは、あなたのおかげ)

 女官が、占い花の花束を持ってきた。本来なら数日前に、佳月が使うはずだったものだろう。

 花を抱えた水遥可は、疲れを覚えながらも、階段に足を踏み入れた。ここから先は、神の血筋の者しか立ち入ることはできない。

 一段、一段、引き上げる足が重い。左手で花を抱え、右手で階段の手すりにすがり、水遥可は上った。

 最上段が、遠い。


 その時、水遥可の手に触れるものがあった。脇を見ると、見慣れた顔。

「……レイリ」

「水遥可さま」

 レイリが水遥可を見上げている。祈宮に向かう途中で飛んでしまったのか、頭巾はなく、金の髪が背中に流れ落ちていた。

「お花、上までお持ちしましょう」

「レイリ……あなたは、やはり」

 呆然とする水遥可に、レイリは花束を受け取りながらうなずく。

「はい。私もまた、ここに入ることができる……神の血を引くもの。薄々、気づいておられたのでは?」


(数年前、祈宮にぽつんと現れた、小さな子。明らかに西方の血の入った外見、不思議な発音でレイリと名乗った……)

 水遥可はレイリと見つめ合う。

「西方の神の血を、引いておいでだったのですね」

「あなた方と同じです。面倒なので言わなかっただけ。果雫国を見たくて来たのですが、祈宮が面白そうだったので。あなたさまがお側に置いてくださって、嬉しかった」

 レイリは微笑んだ。

 そして、階段の先を見上げる。

「話は後にしましょう」

「はい」

 水遥可は力を奮い起こし、花束を持ったレイリのもう片方の手も借りて、階段を上りきった。


 水盤は、皇家の紋にもなっている神話の花の形をしている。そこには澄んだ水が張られ、滝から吹く風にさざ波を立てていた。

 レイリは水遥可に花束を渡して、後ろに下がった。

 水遥可は、花束を天にかざしてから、一輪、花の部分を摘んだ。水に落としながら祝詞を唱える。花びらが、一枚、また一枚と離れていく。

 残った花を水につけ、言葉を紡ぎながらゆらゆらと揺らすと、さらに花びらが一面に広がった。甘い香りが立つ。

(わたくしは、伝えなくてはならない)

 十三年祈ってきた所作は、身体が覚えている。水遥可は祈りながら、今回の件に関わった人々の顔を思い描く。

(なぜ、二つの国、揺れる均衡を、ヤエタ石という神秘を壊すことで無理に傾けようとするのか――連綿と受け継いできた神秘は、壊すためにあるのではない、守り続けるためにあるのだと、伝えなくては。わたくしにその術を、お示しください)

 花びらは、水鏡に様々な模様で、様々な光景を映し出す。

 そして、青磁色に光るものが、水鏡のなかに映し出された。


 一方、狐ヶ杜にヤエタ石を取りに行った火鈴奈は、ヤエタに引き返してきたところを、皇家の武官たちに待ち伏せされた。

 彼らは石に関する情報を集めており、火鈴奈が所有者のひとりだと知って探していたのだ。

「これからの戦に必要になります。果雫国の西では、戦の準備が進んでいます。あなたも、石を持って来ていただきたい」

 武官たちは腰の刀に手をかけている。

(モンザイで研師の需要が増えていたのも、密かに兵士を募集していたからかもしれないな)

 火鈴奈は思いながら、武官たちをにらむ。

「嫌だ、と言ったら?」

 武官たちは武器や、狐を捕らえるための大きな網を手にして立ちふさがった。

「その時は、あなたごと来ていただく」


『黙っておればぬけぬけと』

 火鈴奈の後ろで、黒い炎が渦巻いた。

 大きな黒狐が、森の陰から姿を現す。

『果雫国を守る玄氏の承認なく、誰が戦を決めたか!』


くろの頭領さま!?」

 武官たちは、うろたえて後ずさる。狐は、利舜儀だった。

「い、いえ、決して玄氏をないがしろにしたわけでは!」

『ならば帝から我に話を通すがよい! 上官に伝えよ!』

 利舜儀が一喝すると、武官たちは「かしこまりました……!」とあわてて逃げ出していった。


 火鈴奈は、のっそりと隣にやってきた利舜儀に頭を下げると、口ごもりながらつぶやいた。

「り、利舜儀さまに、お出まし願わなくとも、私が何とかしましたのに……」

『もののついでだ』 

 先ほどは怒って吠えて見せたわりに、利舜儀はさらりと言う。

『ヤエタのもめ事は輝更義に任せようと思っていたが、身内の問題が玄氏以外にまで飛び火したようなのでな。止めに来たら、この有様だ。まあ、火鈴奈と石が無事ならそれでよい』

「あ、ありがとうございます。……ヤエタ石を、勝手に持ち出し、申し訳ありません」

『構わん、所有者はお前だ。で、それをどうする?』

「状況によります。輝更義殿は今、どこに……」

 あたりを見回した火鈴奈は、とにかくすぐに手渡せるようにと、布に包んで身体に斜めがけにしていた箱を下ろした。

 ふと、火鈴奈がその場で箱を開けてみる気になったのは、無意識のうちに何かに気づいていたからかもしれない。

「あっ?」

 ヤエタ石は、いつの間にか形を変えていた。研石の形だったのが、先のとがった細長い種のような形になっている。そっと触れてみると、柔らかい。

「……そんな……これでは、刀は研げない」

 火鈴奈は呆然と座り込む。

「まだ、数回しか使っていないのに」

『何かあったのだろうな。よし、あいつを呼び止めて聞いてみよう』

 利舜儀が街道の先に鼻面を向ける。

 見ると、一頭の狐が走ってくるところだった。祈宮守護司の伝令だ。

『あっ、頭領!』

 伝令は利舜儀と火鈴奈の前で、土煙を立てて止まる。

『ご苦労。祈宮からか?』

『はいっ』

 伝令はうなずいた。身体に、紐で筒を二つ巻き付けている。皇家と玄氏に宛てた、公の文書だ。

『佳月さまのお加減が悪く、一時的に霽月さまが祈乙女に復帰なさいましたっ。これは占いの結果です!』

 利舜儀と火鈴奈は、思わず顔を見合わせた。

 ……しばしの沈黙の後、ぶほっ、と、奇妙な声がした。利舜儀が吹き出したのだ。

『つ、つまり、輝更義と水遥可殿は、夫婦ではなく……ぶぶっ……それが国中にバレることに……わっはっは! 情けない、息子ながら情けないぞ輝更義!』

「じ、事情が! 事情があったのでございましょうっ」

 火鈴奈が必死で擁護する。

「結果的に水遥可さまが、あの、その、そう・・であられたからこそ、霽月さまとして復帰できたのですから!」

『そうだな』

 利舜儀は笑いをおさめ、そして表情を引き締めた。

『そして、水遥可殿が何かに気づいていて白い結婚をなさったのに、私は気づいていなかった、ということになる。我が身こそ、情けない』

 そして跳躍し、人の姿になると、伝令から筒をひとつ受け取った。伝令は頭を下げ、すぐに皇宮に向かって出発する。

 利舜儀は、文書を開いた。


 ――ヤエタの地に汚れが迫りたり。かの地から生まれるものすべて、その身を守り封印されるべし。清浄を取り戻せしとき、花は開く――


「……ヤエタ石は、封印された、ということですか」

 文書を見せられた火鈴奈がつぶやく。利舜儀はうなずいた。

「霊力を持つ石の生まれる地、ヤエタが、意志を示したのだろう。さてさて」

 利舜儀は腰に手を当てて笑った。

「汚れ、と呼ばれたものたちは、さっさと撤退せねばなるまいな。息子どももだ」

 

 利舜儀と火鈴奈は、そのままヤエタ領主の館に向かった。

 その途中、館の手前で、山から何かがズルズルと音を立てて下りてくる。

 人の姿の輝更義が、黒くぼろぼろになったものを引きずっていた。――狐の姿の、刃凪茂だった。

「父上」

 輝更義自身も、身体のあちこちから血を流している。

「決着はついたのか」

 利舜儀に聞かれ、彼はもうろうとした様子でうなずいた。そして、無造作に刃凪茂から手を離すと、利舜儀たちとすれ違って立ち去ろうとする。

「どこへいく」

「妻を」

 彼はつぶやいた。

「水遥可しゃまを、むかえに……」

 そのまま、輝更義はふらふらと倒れ込む。

 利舜儀と火鈴奈は、また顔を見合わせ、苦笑した。

気を失っている輝更義の下から、矢立がもそもそと這い出してくる。やれやれ、といった様子で浮かんだ彼に、利舜儀は言う。

「矢立。すまんが、ひとっ走り水遥可殿に伝えてくれんか。こいつも勝ったぞ、とな」

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