第9話 それぞれの戦い

 安勝貴に案内されて入ってきたレイリは、いつもの頭巾姿に色素の薄い目で一同を見ると、静かに頭を下げた。

 その右手には紐が握られ――その紐の先は、なんと、二人の男たちの両手首をつないでいる。御用、という状態である。男たちはおびえきった表情で、視線だけ動かしてあたりを見回していた。

「レイリ! 無事でよかった」

 水遥可が近寄ると、無表情のレイリの目元がやや和らぐ。

「ご心配をおかけしました。この雑魚どもを救って参りました」

「え……?」

「果雫国の民が、恐れ多くも祈乙女を連れ去るなど、なかなかできることではありません。よほどの理由があるはずだと思いました。何か大きなものが動いているなら、このような雑魚は使い捨てられて口封じされるかもしれません。さすがに、ご領主の館の敷地内で……ということはないと思い、外で待っておりました」

 淡々と報告するレイリ。刃凪茂が逃がした男たちを、どこかで待ち構えていたらしい。

「……さあ」

 レイリは半分、後ろを振り向いた。声が低くなる。

「ここにいれば死ぬことはない。ただし、お前たちがやったことを祈乙女さまがたに話さなかったら、その限りではない」

「あ、あの、あの」

「聞いて下さい!」

 男二人は即座に、寝台の足下に膝をついた。水遥可は瞬きをしながら、「まあ、彼らに何をしたのですか、レイリ?」と首を傾げたが、レイリは黙って微笑むばかりだ。

 一方、佳月は青い顔をさらに青くして、寝台の上で身を縮めていた。

 男たちは先を競うように話し出す。

「俺たちは、雇われたんです」

「祈宮で働いて、指定の刻限になったら佳月さまが出てくるから、ヤエタにお連れしろと」

「依頼してきた人に、果花紋を見せられて」

 手繭良がはっと目を見開く。

「なんですって」

「佳月さま」

 水遥可は細心の注意を払い、寝台の横にそっと近づいたが、佳月はびくりと身体をすくませた。

「お、ねえさま」

「女官たちが言っていました。いつもは散策に出ないあなたが出るといい、まさにそのときに男たちに連れ去られたと。……あなたも、言われたとおりに行動したのですね。お父上に」 

「わたし……わたし」

 佳月は、大粒の涙をあふれさせた。

「わたし、は……お父様が、果雫国が危ないと……だから、ヤエタ石がたくさん、必要なのだと」

「戦に対する備えは、必要なことだと、わたくしも思います」

 水遥可は寝台の脇に膝をつき、佳月と目線を合わせた。

「けれど、ヤエタ石は秘宝。世にひとつ現れたら、それからしばらくは現れない。その秘密を暴いていくつも掘り出そうとした時、力は守られるのでしょうか? 石が手に入らなければ、果雫国は終わりなのでしょうか?」

「で、でも、神秘の力があるならば利用するべきでは!?」

「どうして? 使わなくてよい力もあります」

 水遥可は、自分の千里眼の力に思いを馳せながら、つぶやくように言う。

「この力があれば何でもできる、戦えば勝てる、だから戦おう――そう思うことは、とても危険なことです。裏を返せば、その力がそもそもなければ、始まらない戦もある、ということ。……陽永帝は、ヤエタ石とその採掘場を手に入れることで、開戦の理由にしようとしていらっしゃる」

「そんな」

 目を見開いた佳月に、水遥可は微笑みかけた。

「わたくし、狐ヶ杜で、遣高使の方とお会いしたことがあります。大使も副使も、駆け引きを繰り広げながら、果雫国を守って下さっていますよ。一度、佳月さまもお会いになってみてください」

「あ……」

 佳月は小さく息を吸い込み――

 その細い身体は、寝台に沈んだ。気を失ったようだ。


(ようやく、わかりました)

 水遥可は、幼いころの出来事に思いを馳せる。

 まだ、千里眼の力に気づいたばかりの頃だ。周囲の人々を戯れに『覗く』ことで、母や自分が冷遇されていることを知った水遥可は、傷ついていた。しかも、そんな境遇の母に、父の弟……叔父が何かと言い寄っている。

 水遥可は、なんとかして叔父を遠ざけられないかと考えた。そして、叔父を撃退したい、というような子どもらしい強気をもって、彼を『覗いた』。

 叔父――現在の陽永帝は、水遥可に覗かれていることを知らず、父の陽廉帝にこんなことを言っていた。

『祈宮を利用すればいい。祈乙女に、占いだけさせておく手はありません。果雫国のためになることなら、ためらうことはない』


 ――当時の水遥可には、陽永が何をしようとしているのかわからなかった。

 しかし、いざ自分が祈乙女になった時、思ったのだ。『いつか、叔父に利用されてしまうかもしれない』『自分はまだいい。けれど、この力が絵鳥羽に渡ったら、確実に利用されてしまう』――

 だからこそ、彼女は力を守ってきたのだ。

 ただ、千里眼の力を打ち明け、契約結婚に協力までしてもらった輝更義にも、自分が見たことは言えなかった。

 陽永がその後、考え直したかもしれないのに、起こってもいないこと、何が起こるかもわからないことで帝を貶めては、玄氏との関係が崩れてしまう。輝更義には、陽永の人柄を信用できない、というようなことを言うのが精一杯だった。


(今ならわかる。叔父上はきっと、あのころから今回の計画を考えていたのだわ)

 水遥可は唇を噛む。

(祈宮を利用し、ヤエタ領を手に入れて石を自由に掘り出し、高天国に攻め入ろうという計画を。わたくしの夫や、わたくしの結婚後の住まいを決めようとしたのも、先代乙女をそばに置いておけば利用価値があるとお思いになったのかもしれない。わたくしは特に、佳月さまとの繋がりが深いもの。……もし佳月さまが千里眼を持ち、それを叔父上が利用していたら、とっくに戦端は開かれていたでしょう。美弓羅さまたちが……大使をはじめとした使節団がいるのに)

 刃凪茂は、あくまでもその計画に乗っただけなのだ。混乱に乗じて輝更義を葬るために。

 彼は元々好戦的な性格であるため、輝更義亡き後に自ら高天国との戦にかかわることで、弟を殺して得る頭領の地位を揺るぎないものにしようと、そこまで考えていたかもしれない。


「手繭良さま」

 水遥可は立ち上がった。

「わたくし、祈宮に行って参ります。ヤエタ領から、守護司たちと皇家の武官たちを皆、引かせなくては」

「どうやって? もう、あなたは祈乙女ではないのですよ」

 心配そうに眉をひそめる手繭良。

 水遥可はかがみ込み、気を失っている佳月の枕元に手を伸ばした。しゃらり、と音を立て、金の頭挿花を取り上げる。

 そして、手繭良に微笑みかけた。

「わたくしにはまだ、祈乙女の資格があるのです」

「え……?」

 目を見開く手繭良に、水遥可は頭を下げた。

「行って参ります。……レイリ、ついておいで」

「御意」

 部屋を出る水遥可に、紐をほっぽりだしたレイリが続いた。男たちはまるで子供のように、どうすればいいのかと右往左往している。   

「るうな! るうなはいますか!?」

 廊下を進みながら水遥可が声を張ると、茶色い姿が庭から飛び込んできた。明るい声が弾む。

『はいっ! 御前に!』

「祈宮に向かいます。連れて行ってほしいの」

『喜んで!』

(輝更義)

 水遥可は、夜空を見上げた。

(どうか、ご無事で。わたくしは、わたくしのなすべきことをして参ります) 


 うなり声と共に、鋭い牙が襲いかかる。

 輝更義は刃凪茂の牙をかわすと、岩を回り込んで相手の視覚からいったん消え、再び飛び出した。かみつこうとしたものの、読まれていたのか、かわされる。

(力が満ちている)

 輝更義は、走る。白尾城で、しろの頭領自ら研いだ牙が、月光を受けて光る。

(水遥可さまは、ご自分のなすべきことをしていらっしゃるだろう。俺はこの戦いに専念する。それが、水遥可さまを守ることになるはずだ) 

『自ら戦いに飛び込まない奴なんか、なまっちょろい。俺は自分のやりたいようにやる。生きたいように生きる。守ってばかりのお前は勝てないね!』

 刃凪茂が挑発してくる。

 輝更義は怒鳴り返した。

『はっ、守ることの強さを知らないなんて、凪兄・・は狭いな! つっかかるばかりが戦じゃないって、見せてやる!』

 ぶつかり合ってはまた離れ、二頭の狐の戦いは続く。

 拮抗する二人の力は、いつ果てるとも知れなかった。 

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