第8話 窮地

『その呼び方はやめろって、言っただろ』

 狐は――刃凪茂は言うなり、ザッ、と飛び上がった。

 襲いかかられた輝更義は、岩を跳んでいったん上へと逃れた。佳月のいる小屋から、そして水遥可から引き離す方向へと走る。

 そして、崖の上で向かい合った。

『今回の件、刃凪茂が仕組んだのか!?』

 輝更義は問いつめる。刃凪茂は歯をむき出して笑った。

『いーや、俺は企みに乗っただけ。お前をどさくさに紛れて葬り去れる、いい機会だからさ』

『乗った……? じゃあ、元々は誰が』

 言いかけて、言葉を切る。


 輝更義の脳裏で、全ての出来事がひとつに繋がった。

 帝からの文を破った佳月。彼女はそれから数日後、いつもは出ない奥の宮を出て散策に行き、男たちにかどわかされた。抵抗もせずに。

(佳月さまが、父帝からの指示通りに動いたのだとしたら? 自分が誘拐されることも知っていて……)


『……皇宮の武官たちがここに着くのが、ずいぶん早いと思った。最初から、知ってたんだな? 佳月さまがヤエタに来ることを』

 輝更義は、誰かに聞かせるようにはっきりと言う。

『全ては、佳月さま救出を大義名分にして、祈宮守護司たちと皇宮の武官たちをヤエタに集結させることが目的だったんだ。そして強引に、採掘場を開かせる。陽永帝は即位前から、ここを皇家の直轄地にしたいとおっしゃっていたからな』


『ずいぶん調べたみたいだけど、証拠も何もないよね』

 あっさりと刃凪茂は言い、身体を低くする。

『そんなことよりお前、集中しないとまずいんじゃないの? 俺との戦いにさ』 

 ダンッ、と刃凪茂の足が岩場を蹴った。

(確かにな。俺は、この戦いに勝たなくてはならない)

 まるで時間がゆっくりと過ぎるように感じながら、輝更義は刃凪茂の動きを見つめ、身構える。

(佳月さまの方は、必ず水遥可さまが何とかしてくださる。俺は、俺のやるべきことをやるだけだ!)

 

 その様子を、水遥可は『見て』いた。

「ああ……そうだったのね……」

「水遥可さま? あ、あの狐は」

 安勝貴がいぶかしげに、水遥可を見ている。

(輝更義。あなたは必ず、勝ってくれる。わたくしはわたくしのすべきことをして、待っています)

 水遥可は心の中で念じ、そして洞窟の出口からそっと顔を出した。岩陰から下を見る。

 そのとき、小屋の裏口が細く開いた。

 きら、と、月光を受けて何かが光る。外を覗き、おびえた様子であたりをうかがうその頭に、金の頭挿花かざしが揺れた。

「佳月さま」

「えっ」

 安勝貴が驚いたように、水遥可の横から覗く。

「な、なぜあんな風に覗けるんです? 男たちに捕らえられているのでは?」

「安勝貴殿」

 水遥可は顔を引っ込めた。

「戻りましょう。そして、ヤエタの武官たちに佳月さまを救い出してもらうのです。あの様子では、男たちは佳月さまに危害を加えることはないのだわ」

(それも当然だったのですね。佳月さま自身が、今回の件に関わっていたのだもの。帝のご指示で……!) 

 二人は急いで、洞窟の道を戻り始めた。


 ヤエタの武官たちがとうとう、小屋に突入してみると――

 中には、佳月が一人きりだった。


 領主の館に運ばれた佳月は、疲れ切った様子で寝台に横になっている。外した頭挿花が、枕元で光っている。

 脇の椅子に腰かけた手繭良、そしてそのすぐ横に立った水遥可が、佳月をのぞきこんだ。

「佳月さま、話せますか?」

 手繭良がそっと尋ねると、佳月は白い顔を彼女の方に向けて小さくうなずく。

「手繭良さま……ご迷惑を……」

「迷惑などと、思っておりませんよ。ただ、いったい何が起こっているのか、未だにわからないのです。……いつから、あの小屋でおひとりだったのです?」

「入ったときから、です……」

 手繭良が水遥可を見る。水遥可はささやいた。

「繭さま、男たちが佳月さまを連れて小屋に向かおうとしたとき、後を追った刃凪茂さまたちに突き飛ばされたとおっしゃっていましたね。気がついたら、刃凪茂さまに助け起こされていたと」

「ではあの時、佳月さまだけが小屋に? 男たちは入らなかったのですね?」

 手繭良の言葉に、佳月はまたうなずく。

「……小屋に入れられ、戸を閉められたので、一人で閉じこめられたと、思いました……」

 刃凪茂は、その後男たちがどうしたのかを説明していない。皆、佳月が男たちに人質に取られていると思っていたからこそ、突入できなかったのだ。

 男たちは、刃凪茂が夜の闇に乗じて逃がした、と考えるのが自然である。

「これではっきりしました。男たちと刃凪茂さまは、協力関係にあるのです。男たちを見つけることができれば、さらにはっきりするでしょう」

 水遥可はこれまでのことを振り返りながら言う。

 問題は、帝と佳月だ。両者に関係があることはわかっているのだが、文は佳月が証拠隠滅してしまった今、根拠になっているのは水遥可の千里眼で見た光景だけである。

「佳月さま。ここに来るまで、男たちは何か言っていましたか? 皇家の武官たちが大勢、ヤエタに来ているのですが、到着が早すぎるのです。こうなると事前にわかっていたとしか」

「待って、おねえさま。……手繭良さま、お願いがございます」

 佳月はひじを突き、身体をひねるようにしながら起きあがった。眉根を寄せ、必死の声で言う。

「どうか、ヤエタ領を、父に任せてはいただけませんか?」

 水遥可も手繭良も、息を呑んだ。手繭良が、そっと佳月の手に自分の手を添える。

「それは、占いの結果ではありませんね?」

「はい。……私を連れ去った男たちは、果雫国の西の方の出身です。高天国に向かい合った地に暮らしていた者たちです」

 佳月は真っ青な顔で続ける。

「今、高天国は果雫国に圧力をかけています。矢面に立つのは、西の地に住む者たちです。彼らは、威圧してくる高天国の兵士たちに対抗する力がほしくて、今回のようなことを。……これから高天国との関係がどんどん悪くなれば、備えのためにヤエタ石はもっと必要とされるでしょう。皇家で管理するべきです」

「佳月さま……」

 水遥可は両手を握りしめた。

 祈乙女が、占い以外で政治に介入するのは、原則禁じられていた。神に近い場所にいる乙女の言葉は重すぎるからだ。

 皇族や貴族ならまだしも、市井の民ならば、畏れてすぐさま従ってしまうほどに。

 佳月はさらに、驚くべきことを告げた。

「もし、手繭良さまが決断して下さるなら、皇家の武官たちがこの地をこのまま守ってくれるでしょう」

(まさか、最初からそのために、あの武官たちは来ているの……?)

 水遥可と手繭良は再び、視線を交わす。手繭良の視線は苦悩に満ちていた。

「……佳月さまが連れ去られたことは、世間には秘されています。このまま皇家と祈宮の武官たちがここに居続けたら、ヤエタ領は皇家のものになった、祈乙女と帝が共にそのことを認めた、という風に世間に知れてしまう」


 そのとき。


「母上! 水遥可殿!」

 寝間の外から、安勝貴が声をかけた。佳月のいるこの場所には今、手繭良の侍女や武官たちは近づかない。

「どうしたの」

「レイリ、という娘が、目通りを願っています」

 水遥可ははっとして振り向いた。

「レイリ! わたくしの侍女です、無事ですか!?」

「はあ、その……無事すぎるほど無事というか」

 彼の声は、すっかり困惑している。

「佳月さまをさらった男たちを、捕らえた、というのですが」

「え? 水遥可姫の侍女というと、あの、幼い」

 手繭良が、戸惑いを顔に浮かべる。しかし、水遥可は逆に表情を引き締めた。

「ここに通してください。おそらく、求めていた情報がきたのです」

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