第7話 採掘場の真実
水遥可たちがヤエタ領に入ったのは、真夜中のことだった。
『一息入れましょう。水遥可さま、一
山道で、るうなはいったん足を止め、レイリを下ろしながら尋ねる。
火鈴奈の背から降り、背筋を伸ばして立った水遥可は、うなずいた。
「そこまでやわではありません。大丈夫」
そして彼女は密かに、『力』を使った。
輝更義の目を通して、その先の世界を見る。彼は今、どこか深い谷間のような場所にいた。谷の奥、遠目に見えるのは一軒の小屋。しかし周囲は静かで、それ以上のことがわからない。
佳月の目も通して見てみたが、どこか知らない建物の中にいるという様子は変わらない。
(もどかしいこと。見えるだけでは、何の役にも立たない)
小さくため息をついた水遥可は、顔を上げた。
「火鈴奈殿、申し訳ないのですが、先行していただいてもよろしいですか? わたくしがこのまま、領主の館に行ってもいいのかわからないので」
『承知した。ここから動かないでください』
火鈴奈はうなずくと、あっという間に闇の中に消えた。
切り株に腰かけ、水遥可は目を閉じる。彼女の力が役に立つ時が、これからもあるかもしれない。そのときのために、力を温存しておかなくてはならなかった。
「水遥可さま」
レイリの声がした。
水遥可は目を閉じたまま、答える。
「何?」
「しばらく、一人で動くことをお許しください。すぐに追いつきます」
「えっ?」
ぱっ、と目を開き、あたりを見回す。しかし真夜中、暗くて様子がわからない。
「レイリ? レイリ、どこへ……。るうな!」
「はい?」
すぐそこのわき水を飲んでいたるうなが、あわてて駆けつける。
二人はあたりを見回しながら、何度かレイリを呼ばわったが、彼女は現れなかった。
結局、火鈴奈が戻ってきても、レイリは姿を消したままだった。
『すぐに追いつく、と、レイリ殿は言ったのですね? それなら、それを信じましょう』
火鈴奈は言う。
『レイリ殿はおっしゃっていました。水遥可さまは、レイリ殿なら大丈夫だと思っているから連れてきたのだ、と』
るうなが続けて言った。
『水遥可さま。私もなぜか、レイリ殿は大丈夫だ、って気がするんです。そう思われませんか?』
「…………ええ……」
水遥可は手を握りしめながらも、うなずいた。
「不安なのは、わたくしの方なのかもしれません。いつもそばにいたレイリが、いなくて。……そうですね。レイリを信じましょう」
『それでは、領主の館へ向かいましょう。手繭良殿がお待ちです』
火鈴奈は言い、かがみ込んで水遥可を促した。火鈴奈の背に上りながら、水遥可は尋ねる。
「繭さまと、会えたのですね? 繭さまはなんと?」
『何か、水遥可殿にお話ししたいことがあるようです。それと』
火鈴奈は首をひねって、水遥可を見つめる。
『その後、私も少々、みなさんの元を離れます』
「なぜ!?」
『ヤエタ石が必要になるかもしれないので、狐ヶ杜へ取りに戻ります』
「石が……?」
とにかく、手繭良のところへ行けば色々なことがわかるだろう、と、水遥可はそれ以上は聞かずに火鈴奈の背に乗った。
採掘場手前の谷は、静かだった。月明かりに照らされ、谷の奥に高床に作られた小屋が、岩越しに半分ほど見えている。
輝更義を始め、数人の守護司と、皇宮から派遣された武官たち数人が、岩越しに小屋の方を見張っていた。
そこへ、手繭良が姿を現した。
皇宮の武官が一人、手繭良の前に出る。
「採掘場に向かわれますか」
「いいえ。輝更義殿に話があるだけです」
手繭良は毅然と言葉を返す。
輝更義は彼女に導かれ、手繭良が来た洞窟を引き返した。館の裏庭に出る。
館の周囲だけは篝火が焚かれており、裏庭もその光がわずかに届いていて、かろうじて様子が見えた。
水遥可が立っている。
「水遥可さま」
輝更義はひとっとびで彼女に駆け寄った。水遥可は微笑む。
「遅くなりました。……今、繭さまから様子を伺いました。男たちは佳月さまと、小屋の中に立てこもっているそうですね」
「はい。中は静まりかえっています」
「刃凪茂さまは?」
「俺もまだ、会っていません。男たちに気づかれずに小屋に近づける場所はないか、探しに行っているそうです。今は皆、刃凪茂の指示を待っているところですね」
言葉を交わす二人の顔を見比べ、手繭良は声を潜めた。
「このままではどうにもなりません。誰を信じたらよいのかもわからず迷っていたところへ、輝更義殿、水遥可姫、あなた方が来て下さったのは神託。……採掘場へ案内します」
すっ、と、手繭良の後ろから若い武官が姿を現した。
ヤエタ領の次期領主で、手繭良の義理の息子、
「安勝貴殿」
「私が案内します。どうぞ、こちらへ」
「けれど、石はないのでしょう?」
水遥可が尋ねると、安勝貴はうなずく。
「はい。しかし、採掘場を通れば、あの小屋の裏手に回れます。輝更義殿なら、佳月さまをお救いするのに利用できるかもしれません」
「それに、知っておいていただきたいのです。ヤエタ石が、どういうものなのか」
手繭良は厳しい表情をしている。
「なぜ、ヤエタの者たちがずっと、皇家に明け渡すことなくこの地を守り続けてきたのか」
輝更義と水遥可は顔を見合わせ、うなずいた。
るうなや部下たちは連れて行かずに残し、安勝貴を先頭に、水遥可を背に乗せた輝更義が続く。三人は、館の裏手から山道に入った。
周囲を最大限に警戒し、誰も着いてこないのを確認してから、安勝貴は藪に隠された洞窟に入った。
「中が、分岐しています。離れないで下さい」
提げ灯籠を手に、安勝貴は進んでいく。そして、ある一カ所で、壁に手を突いた。
ガコン、と音がし、安勝貴が全身で壁を押すと、石壁に隙間が空く。
「こちらへ」
隙間を通り抜け、壁を元通りにしてからさらに進むと、やがてうっすらと、進行方向が明るくなった。
「……ここは」
まるで、大きな洞窟の天井が抜けたかのような場所だった。
確かにヤエタの裏山に位置するはずなのだが、見たこともない植生だ。地面には一面に緑の苔が生え、うねる木々が天井を覆って月光を透かし、花を付けた蔓が垂れ下がっている。月光だけにしては明るく、どうやら苔がわずかに発光しているようだ。
「こちらにヤエタ石があります。ごらんになってください」
二本の木の間に、安勝貴が立っている。輝更義は聞き返した。
「しかし、石は今、ないと」
「正確には、採れるだけのものがない、という意味です。……これです」
木々の間を抜けると、ひときわ大きくうねった木があった。太い枝の一つに、まるでこぶのように突き出た部分がある。こぶの色は青磁色だ。
水遥可ははっとした。
「まさか、これが?」
「はい。
安勝貴はうなずく。輝更義は鼻面を上げてそれを見ながら唸った。
『鉱物ではなかったのか……!』
「木の、この場所からにじみ出た物質が、長い年月を経てどんどん大きく硬くなるんです。硬さが最高に達した頃に、専用の道具を用いて木から採取します」
「それで、石はひとつ世に出るとしばらく新しい石は姿を現さない、と言われているのですね」
水遥可もつぶやく。
安勝貴は、あたりの木々を手で示しながら言った。
「植物から生まれる以上、この地はこのままにしておかなくてはなりません。どんな変化によって石ができなくなるか、わかりませんから。……皇家は石を自由に使いたいため、ヤエタを直轄にしたいと仰せなのでしょうが、それは無理だということがおわかりでしょうか」
「ええ、その通りですね」
「大昔、この木を増やそうとして失敗し、逆にこの地を汚してしまったために、木は一本しかないそうです。この地は、そういった歴史を重ねてきている我々、ヤエタの者が守ります」
ぐるりとその場所を見回した安勝貴は、木々の奥を示した。
「あちらの木々の隙間が、さらに洞窟になっています。複雑な通路を経て、小屋の裏手につながっています。ここに石を取りにくる場合の、本来の道です」
『行こう』
三人はその道に足を踏み入れた。
細い洞窟をすり抜け、再び前方がうっすらと明るくなる。出口はどうやら、蔦に覆われているようだ。外に明かりが漏れないよう、安勝貴が提げ灯籠を消した。
輝更義はいったん、水遥可を下ろす。
『出てみます。場合によっては、お二人は戻ってください』
「輝更義……。気をつけて」
水遥可のささやきに送られ、輝更義は蔦の隙間から鼻先を出し、匂いをかいでから、踏み出した。
目の前には、この出口を隠すように岩がある。輝更義は岩の脇からあたりの様子を伺った。
彼の立っている場所は、谷の中腹。苔や蔦の張り付いた岩壁をぐるりと見回すと、左斜め下に例の小屋がある。小屋の先はさらに下り、ずっと奥の岩陰に武官たちの人影が見える。
輝更義は、こちらも岩陰をつたうようにして、小屋の方へ近づいた。岩がじゃましているとはいえ、もう輝更義の身体が三頭分ほどの距離である。
そのとき。
小屋の裏、月光の陰になった場所で、なお黒い何かの影が動いた。
(誰か、いる。小屋の見張りか……?)
一撃で倒せるだろうか、と様子を見ているうちに――
それが、輝更義の方を向いた。
「来たな」
その低い声に、輝更義の背中を寒気が走った。
人影の形が、小屋の陰のなかでゆっくりと変わる。大きな、狐の形に。
『決着をつけよう。輝更義』
『凪兄……!』
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