第6話 ヤエタの異変

 彼女の黒い瞳の奥に、青い光がともる。

「……奥の宮にいる、佳月さまが見えます。欄干に近づいて……ああ、やはり手に持っているのは文のようです。でも……あまりよく見えません」

「…………」

「端から、ちぎろうとして……あっ」

 びくっ、と、水遥可は身体を震わせた。よろけた身体を、輝更義はすぐに支える。

「どうしました? 何が書かれていたんですか?」

「な、内容は、途切れ途切れなので……でも、文字が」

「文字?」

「陽永帝です」

 水遥可は輝更義の袖に捕まるようにして、言った。

「帝の筆でした。佳月さまは、陽永帝からの文を、破って……」

(お父上のいうことには、従順だと伺っていたが。……それとも、捨てることで文の内容を秘密に?)

 輝更義はいぶかしんだが、水遥可が眉根を寄せて目を閉じてしまったので、「るうな!」と声をかけた。狐姿のるうなが駆け寄ってくる。

「水遥可さまはお疲れだ、移動しよう。背中に乗せてくれ。火鈴奈、休ませて差し上げてくれ」

「宿を取る。輝更義は早く行け」

「ああ。頼む」

 輝更義は狐の姿になった。水遥可がるうなに捕まりながら声をかける。

「輝更義……」

『ありがとうございます、水遥可さま。助かりました』

「どうか、お願いします」

『はいっ。佳月さまの様子がわかったら、必ずお知らせします!』

 彼は言うと、尾を引きながら向きを変え、走り出した。すぐに部下の狐が続く。

 るうなが声を上げた。

『レイリ殿、水遥可さまと一緒に私の背に乗って。水遥可さまを支えて差し上げてほしいの』

「承知した」

 レイリが言われたとおりにする。水遥可は目を閉じたまま、るうなの首のあたりにもたれた。

 火鈴奈はるうなの横に立つ。

「宿のある通りはこちらだ」

 ともに歩き出しながら、ふと火鈴奈はレイリに声をかけた。

「まだ、お小さくあられるのに、レイリ殿も大変だな。まさか水遥可殿が、あなたまでここにお連れになるとは思わなかった」

 するとレイリは、薄く笑んだ。

「私なら大丈夫だと、水遥可さまはわかっておいでなのでしょう」

「……?」

 意味が分からない火鈴奈だったが、軽く肩をすくめ、とにかく水遥可を宿へ連れて行くことに専念した。 

 

 輝更義と部下がヤエタ領に到着したのは、その日の夕方だった。

 空には一番星が光り、邸へ続く道は木々の陰になって薄暗かった。遠くで、鳥の鳴く声が聞こえている。

 ヤエタの武官たちが道を見張っていたため、輝更義たちは名乗ってから領主の館へ向かった。

『ものものしい雰囲気ですね』

 あちらこちらに立っている武官たちを見て、部下の一人がつぶやく。輝更義も目を走らせ、そして息を呑んだ。

『……この武官たちは、ヤエタ領の者たちだけではないぞ』

『えっ?』

『見ろ。額当てに紋が入っている』

 言われた部下たちは目を凝らし、そしてやはり息を呑んだ。

 周囲を警戒して回っている武官たち、その約半数がつけている金属の額当てには、五枚の花びらと五枚の葉が重なり、中央に上下にとがった種子のような形がしるされた紋が打ち出されている。神話に登場する架空の植物、花と葉と種子がひとつに描かれた、それは――

『果花紋! 皇家の武官たちだ』

『なぜヤエタ領に』

 いぶかしがる部下たちの声を聞きながら、輝更義は考えを巡らせた。

(佳月さまの破いた文も、帝からのもの。……今回の件には、帝が関係している) 

『とにかく、領主に目通り願おう』

 輝更義は館に入った。

 謁見の間の奥には、卓と大きな椅子が二つ置かれている。そのうちのひとつに、ぐったりと身を沈めていたのは、先々代の祈乙女・手繭良たまゆらだった。

「手繭良殿!」

 輝更義が足早に近寄ると、彼女はゆらりと視線を巡らせた。前に会った時は、五十歳を越えていても少女のように溌剌としていた彼女だが、今は表情に疲れがにじんで年相応に見える。

 それでも、輝更義を認めると、手繭良は表情を明るくして身体を起こした。

「輝更義殿、まあ、よくお越しくださいました!」

「ヤエタで異変があったと聞いて、跳んできたのです。どうなさいました、お身体の具合でも」

「少し疲れているだけです、大丈夫。……異変を聞いておいでになったということは、あなたは今回の件には関わっていらっしゃらないのね?」

 ヤエタ領主の責を負う彼女は、表情を引き締める。輝更義はうなずいた。

「俺はただ、佳月さまが行方不明になったと聞き、何か手助けできればと思って駆けつけただけです」

「……ふふ。皆、そうおっしゃるのよ。でも、輝更義殿は本当にそうなのでしょう」

 手繭良は苦笑しながら首を振る。

 そして、声を潜めた。

「今朝、早くのことでした。頭巾と布で顔を隠した男たちが、佳月さまを連れて現れたのです」


 男たちは領主を呼びつけ、手繭良が応対した。彼女は息子にその地位を譲る直前だったが、まだ領主である。

 彼らは佳月の命を盾に、手繭良にあることを要求した。

 ヤエタ石の採掘場に案内しろ、と。


「それは……ヤエタの最大の秘密では」

 輝更義がささやきかえすと、手繭良はうなずく。

「私は、この男たちの目的はヤエタ石を奪うことかしら、と思いました。けれど、あの石は……そう簡単には採掘することができないのです。そう言ったのですけれど、彼らは聞く耳を持たず……。とにかく、私が男たちと佳月さまを奥の谷に案内しました」


 館の裏手は、山になっている。その山を貫く洞窟を抜けると、緑あふれる谷があった。谷の奥が、採掘場に繋がっている。

 これ以上奥に、男たちを入れるわけには……と、手繭良は時間を稼ぎながらためらった。


「そんな時です。刃凪茂殿が、数頭の狐たちと現れたの」

 手繭良は眉をひそめる。輝更義はうなずいた。

「佳月さまがヤエタにいらっしゃることは、刃凪茂が祈宮に知らせてきました。下手人がモンザイから東へ向かったと聞いて、後を追ったようです」

「そうですか。男たちは、守護司たちの姿に驚いて……」

 谷には石を採掘する者のための小屋があり、男たちは佳月を連れてそこに向かい、走った。

 刃凪茂と部下たちは手繭良を突き飛ばすようにして追いかけ、その場は入り乱れ――

「気づいたときには、私、刃凪茂殿に助け起こされていました。男たちは佳月さまを連れ、小屋に立てこもったと」

 手繭良は腕をさする。

「刃凪茂殿は、男たちが佳月さまをここに連れてきた以上、目的はヤエタ石だろうとおっしゃいました。そして、石をいくつか、男たちに差し出すわけにはいかないか、と。採掘に行く者は自分が必ず守る、部下は連れていかない、自分だけが行って秘密を守ればよい、と……」

 手繭良はため息をつく。

「でも私、踏ん切りがつかなくて。佳月さまには申し訳ないのですけれど、数百年、守られてきた秘密です」

 輝更義は考え込んだ。

「……待ってください。別に、刃凪茂は採掘場までいかなくてもいいですよね。小屋のところで、男たちを牽制しながら待っていればいい。採掘する者が、石を掘って戻ってくるまで。そうすれば、秘密は漏れません」

「…………」

「…………そう、言わなかったんですか?」

 手繭良はしばらく黙りこくったあと、諦めたように、ため息をついた。

「あなたには、打ち明けましょう。今、石は、ないのです」

「えっ」

 輝更義は息を呑む。手繭良は両手で、顔を覆った。

「男たちの要求がヤエタ石なら、私には佳月さまをお救いすることができないのです……」

「そんな」

「石がないことを知られたら、佳月さまの命はないかもしれません」

 手繭良は、赤くなった目を輝更義に向けた。

「それに、そう、先ほど輝更義殿が言ったように、刃凪茂殿が採掘場までついていくと言い出したことも、不審でした。だって、男たちも石を要求したのではなく、採掘場に連れて行けと言ったのですもの。私、ただひたすら、秘密を明かすことはできないと言って突っぱねながら、時間を引き延ばすことしかできなかったのです」

 手繭良の憔悴した様子は、それ故だったのか、と輝更義は納得する。彼女は額に手を当てた。

「皇宮の武官たちにも、何とかしろと言われましたが、どうすることも……」

「そうだ、皇宮の武官たちがいましたね。なぜ来たんですか? 刃凪茂が呼んだ?」

 輝更義が短く問いつめると、手繭良は袖で目元を押さえながら言った。

「呼んだのかはわかりませんが、祈乙女が占いをすることができなかったのですから、すぐに何かあったと知れます。帝に報告が上がり、皇女を救い出すために、皇宮からも武官たちが遣わされたのでしょう。帝にとっては、愛しい末娘ですもの」

(それにしては、早すぎる)

 輝更義は考え込んだ。

(俺でさえ、今ようやくここに着いたのだ。皇宮の部隊がすでにヤエタにいるのは……)

「……とにかく、刃凪茂やほかの者たちに知られないように、ひとまずは狐ヶ杜のヤエタ石をここに取り寄せましょう。何かに使えるかもしれません」

「できますか?」

「ちょうど、所有者の研師が近くにおります。その研師に話してみます。それで、刃凪茂は今、どこに?」

 輝更義が尋ねると、手繭良は疲れたように、椅子の背に身体を預けた。

「小屋のところだと思います。交渉を続けると言っていました。息子もそこにいます」

「俺も、そこまでは行って構いませんね?」

「どうぞ。案内させましょう」  

 手繭良は、侍女を呼んだ。

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