第41話

 これで自分にもうできることはない――刃は再び訪れた病院のラウンジの自動販売機で甘い缶コーヒーを買った。


 果たして自分は今回『正しかった』のだろうか。


 最善は尽くした。それは間違いないはずだ。最善を尽くしたからこそ、わかばは自分を見失ったまま道を違えることはなかった。


 だが――


 最善を尽くしたが、加奈子を救えなかったのは事実だ。彼女があのようになってしまったのはどう考えても刃の過失である。刃の判断ミスが彼女をあのような目に遭わせてしまったことはどうやっても否定のしようがない。


 人間、ミスがつきものであることは重々承知している。

 それでも、あのミスだけは避けられたはずなのだ。

 だからこそ後悔している。

 しても仕方のない後悔をいつものようのしているわけだ。

 本当にどこまで馬鹿なら気が済むのだろうと思う。

 過ぎたことを後悔したってどうにもなりゃしないのに――


「お見舞いですか?」


 と、そこで背後から声をかけられた。突然、声をかけられたことで刃は驚いて手に持っていた缶コーヒーを落としそうになる。振り向くとそこにはスーツの男がいた。刃よりもひと回りほど歳上というところだろう。知り合いではないはずだが、どこかで見たような気がする。友好関係が極めて狭い刃に社会人の知り合いなどいないはずだが――


「ええ。知り合いがこちらに入院して、今日面会できるようになったもので。そちらも面会ですか?」

「ええ。ですが、まだ面会謝絶でした。せっかく頑張って仕事を終わらせて、半休を取ってきたのですが――残念です」


 かなり疲れた様子で男は言った。

 この男がなんの仕事をしているのかわからないが、今日半休を取るために何日か無理をしたらしいことはなんとなくわかった。

 社会人も大変だな――と、普段ほぼ無職の刃は他人事のようにそんなことを思った。


「入院してるのはご家族ですか?」

「いえ、もと部下です」


 男のその言葉を聞いて、刃の心臓に錆びた釘を突き刺されたような衝撃が走った。

 もしかして――


「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもないです。気にしないでください」


 もしもこの男のもと部下というのが加奈子であったとして、刃が彼に謝罪の言葉を口にしたところでなにか変わるわけではない。ただのくだらない自己満足だ。相手にしたって、いきなり謝られたところで困るだけだろう。


 なんと言ったらいいのかわからず、刃が黙っていると――


「以前は助けていただいてありがとうございます」


 と、男は急にそんなことを言った。

 何故、見知らぬ男からそのようなことを言われるのだろうと思っていると――


「あの日の夜――もう十日ほど前ですか――あのとき助けてくれたのはあなたではありませんでしたか?」

「あ――」


 それで思い出した。

 この男は初めて『邪神の本』と接近したとき、『邪神の本』に襲われていた男だ。


「もしかして、姿は見えてましたか?」


 姿は見られていないと思っていたが――


「いえ。違います。先日、弊社の副社長にあのとき私を助けてくれたのはあなただと教えてもらいまして」


 少しだけ恥ずかしそうにして、男はそう言った。


「あいつ――」


 本当にあの野郎はどこまで根を張っているのだろう。

 ここまでくると、もはや清々しい。

 ならば――


「あの、もと部下というのは、その――」

「ええ。藤咲です」

「…………」


 なんと言えばいいのだろう。

 自分は本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだと改めて認識させられた。


「そんな顔しないでください。彼女がそのようになった詳しい事情は把握しておりませんが、なにもかもあなたが悪いとは私には思えません」


 男は困ったような表情になってそう言う。


「そうで、しょうか」

「それに、私にしてみればあなたは命の恩人なのですから、もっと胸を張ってください。あなたのおかげで私も戦う決心がついたのです」

「……戦う?」

「ええ。今年の人事異動で来た上司がそれはもうクソ野郎でして。そいつをなんとかしてやろうと、同じ部署の人間と画策してるんです」

「…………」

「あなたがなにをしているのか私は知らない。でも、私があなたに命を救われたのは間違いなく事実なんです。もっと誇ってください」


 その言葉は、

 本当に心に突き刺さった。

 恥も外聞もなく泣き出してしまいたくなるくらいには。


「それでは私は失礼いたします。引き留めてしまって申し訳ありません」

 そう言って名も知らない綺麗な一礼をしてから男は歩き去っていった。やはり後ろ姿も疲れて見える。

「もっと誇っていい、か」


 手に持った缶コーヒーはすっかりぬるくなっていた。しかし、そんなこと気にせずプルタブを開けて一気に飲み干した。


 甘い。

 もともと甘いコーヒーだったのに、ぬるくなったせいでより甘く感じられる。

 でも、その甘さがどことなく心地いい。


 空になった缶をゴミ箱に向かって投げてみる。空き缶はゴミ箱に吸い込まれるように入っていった。それで少しだけ嬉しくなる。


 できなかったことはあったかもしれない。

 失敗もしてしまったかもしれない。

 それでも救われた人がいるのは確かなのだ。

 減点法じゃなく加点法で物事は捉えるべきなのだ。


「そうだ。今度見舞いに来たときのメロンはなにがいいだろう。調べておかないと」


 刃は少しだけ晴れやかな気持ちになって歩き出した。

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鋼と鬼と邪悪な神 あかさや @aksyaksy8870

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