#3-A「嵐の後の祀り/未確認飛竜文法」(前編)
「空、飛びてえな……」
筒次の小さなつぶやきは、すぐに周囲の灰色と交ざって消えた。
「いいねえ、どうやって飛ぶ?」
筒次の死角から声をかけてくるのは、筒次には見慣れた
「最近はこれくらいじゃもう驚いてくれない……私は悲しいぞぉ、ツツジぃ」
「お前、その手口何回目だと思ってんだよ!いい加減慣れるわっ!」
いつも通りのノリ。穏やかな夜のような安心感のある(実際に現実世界では夜中だが)やりとり。
一通りのボケとツッコミの応酬を済ませ、少しの沈黙。どちらともなく笑いだす二人だった。
「それで、今日は空を飛ぶ
ソムニアが話題を戻す。
「そのつもりではあるんだけど、さ」
筒次の返事にはどこか含みがある。
「空を飛ぶって言っても色々あるだろ。乗り物に乗るとか、背中に羽が生えるとか」
「頭にプロペラつけるとか、自在に動く雲を操るとか?」
「ん~……まあそういうのも入るか」
微妙に食い違っているのを感じた筒次だが特に訂正はしない。
重度のゲーム
それにしても、と筒次は頭を抱える。ゲームの進化の歴史は、画面の向こう側の世界で空を飛ぶための歴史と言っても過言ではないとさえ筒次には思えた。
魔法で、戦闘機で、超能力で、ロボットで。
コマンド入力で、体感筐体で、VR機器で。
ゲームの表現力が進歩するにつれ、より爽快に、より直感的に空を飛ぶゲームが数多く世に放たれている。いったい人間はどれだけ空を飛びたいんだ……と思いかけて、自分も人のことは言えないなと自嘲した。
「うぅーっ、いつまでも悩んでないでビシッと決めなさいよツツジ!せっかくの夜なのに黙ってばっかじゃつまんないじゃない!」
「……それもそうだな。わかった、先にどこを飛ぶかだけでも決めよう」
「それでこそツツジよねっ!まあ今から直接
「簡単に言えば……南の島、かね」
//////
久しぶりに見たような照りつける太陽の下。
二人は孤島の外れの海岸にいた。
「んーっいい天気!やっぱこういう見晴らしのいい場所はテンション上がるよねっ」
民族衣装の意匠を取り入れた薄手のサマードレスを振り振り大はしゃぎのソムニア。
海鳥が求愛の声を囀ずる中、一面の海と島の内陸側の景色を交互に確かめる。
「で、えーとなんだっけ。
「
「ホワイト・サーガ4 竜神伝説と白銀の笛」。
シリーズ10周年を目前に控える国民的RPG、ホワイト・サーガ・シリーズの4作目である。
不思議な手紙に導かれ世界中を旅する主人公が、満月の夜から一週間嵐によって島の外との行き来が不可能になる呪いをかけられた島「アルカ島」を探索しながら、島に残る「竜神」の伝説とそれを巡る陰謀に巻き込まれていく……というのが本編のあらすじ。
王道ながら予想を裏切るストーリー展開と、テンポよく成長を実感できる戦闘システムが人気で、今度7作目の発売を目前としているゴールドシリーズだ。
「つまり、ツツジのその格好にも意味があるって訳?」
ぴし、と控えめに指を指すソムニア。今の筒次はゆったりしたローブに羽根つき帽子と、典型的なRPGの吟遊詩人の装いをしていた。
「今回はキャラクターと色々喋る必要がありそうだからな。俺とお前は旅の吟遊詩人と踊り子のコンビってわけ」
「ふーん。まぁ私はカワイイ服さえ着れればそれでいいかなっ」
//////
一通りの確認と作戦会議が終わり、二人は近場の集落に向けて歩き出す。
道中小型の魔物も出るが、様々なゲームをリアルな感覚で遊ぶ事で鍛えられた独特の戦闘術を持つ二人にとってはこの程度の障害はアトラクション感覚だ。
「ちぇいやー!私流必殺、フライング宙返りキック!!」
「あんまり飛ばすと疲れるぞ。こいつは背中の柔い部分を狙って…っと!一丁上がり!」
一見ただ暴れているようにも見えるソムニアの攻撃は、大型のリスを思わせる
別にソムニアの一撃で魔物の体が分解されたというわけではなく、単にこの
そんなこんなで草原の向こうに集落が見え始めたころ。ソムニアがふと足を止めた。
「ねえねえツツジ、なんか笛の音みたいなのが聞こえる!」
「うん?風の音かなにかの聞き間違え…でもなさそうだな」
筒次が耳をすますと、確かに美しい笛の音が聞こえる。筒次にはその音色に聞き覚えがあった。
「これは…あの人か」
「なになに知ってるの?勿体ぶらないで教えてよ」
「ほら、あっちの丘の辺り見てみろよ。笛を吹いてる本人がいるぞ」
言われてソムニアがそちらに目を向けると、緑色のロングヘアが印象的な儚げな女性が笛を吹いていた。
年は20歳くらいだろうか、風に髪をなびかせながら即興の演奏を楽しんでいるようだ。
「綺麗なヒト…周りの景色と合わせて一枚の絵みたい……」
「あぁ、流石にメインヒロインの風格ってやつだな」
「ヒロインって確か、ゲームの主人公と一緒にいる人だっけ?」
「そんなようなもんだ。要するにこのゲームの最重要人物の一人だな。早速話しかけにいくぞ」
言うが早いか、足並みを早めてずんずんと笛吹きの女性に近づいていく筒次。
「ちょっと、待ってよツツジ!私まだ心の準備が」
「基本は俺が上手いことやるから、適当に合わせてくれればいい!……すみませーん!」
「ああっもう、強引なんだから…!」
笛を吹く女性に向かって足取りを早める筒次を追うソムニア。
二人と一人の距離が近づくにつれて、笛の音に筒次の声が被さるようになる。声をあげながら近づいてくる筒次に気付いた女性が演奏を止めて振り返った。
「あら……島の人ではないようですが、旅の方でしょうか?」
「その通りです。見ての通り私が吟遊詩人でこっちが踊り子。二人で芸事をして日銭を稼ぎながら、世界を巡っている最中でして」
「まあ、そうでしたか!アルカ島へようこそ。龍神の民の一員として、あなたがたを歓迎いたします」
そう言うと笛を置き、手を祈るように組んで首だけで会釈をする。ゲーム本編でも見られる、この島での伝統的な挨拶だ。
筒次も真似をして同じように挨拶を返した。
「私はシゼラ。父は向こうに見える集落の村長なんです。もし今晩の宿をお探しなら案内しましょうか?」
「そのお言葉に甘えさせていただきます。俺の事はツツジと呼んでください。こっちはソムニア。ほら、挨拶して」
筒次がソムニアの方を見ると、まるで人見知りの子供のように筒次の後ろに隠れて様子を伺う夢魔の少女がいた。ゲーム内の
「……もしかして私、怖がられてるんでしょうか?」
「すいません、こいつ普段はこんなんじゃないんですけど……おい、どうしたんだよ」
「う~。わたし、こういういかにも清楚でおしとやかです、ってタイプのヒトは無理ぃ。浄化されちゃう」
「何を言ってるんだお前は。いいから挨拶くらいちゃんとしろって」
「むぅ……ドーモ、ソムニアです」
「いかにもな片言をやめろ!」
「まあまあそのくらいで。少しずつこの島に慣れていってくれればいいですから」
「ありがとうございます。気遣わせてすいません、こいつに後で言っておきますか
ら」
一悶着を終えて、二人はシゼラの案内をうけて集落に向かうことになった。
筒次にとってはソムニアがゴネるのは予想外のハプニングであったが、おおむね予定通りに事が進んでいる。
筒次は明晰の際に、いくつかの「自分ルール」を定めそれに従っている。そのうちのひとつが「事前にメインのイベントを決めてそれだけは絶対にこなす」ことだ。筒次本人いわく「後から予定を変更しすぎてグダグダになるのが嫌だから」。
ソムニアは「自分の夢なんだから好き放題すればいいのに」と言ってはみたが、「好きにした結果がこれだ、制限がある方がゲームは面白い」と筒次がオタク全開の主張を譲らないので、最終的に面倒になったソムニアが折れた。
そういうわけで、今回の『ゲームプレイ』でも筒次特製のツアープランが用意されている。
今のところただ旅人のロールプレイをしているだけだが、最終目標の"空を飛ぶ"に向けて着々とシナリオは進行している。予定通りだ。
――少なくとも、この時の筒次はまだそう思っていた。
//////
「ようこそアルカラ村へ。ツツジさんにソムニアさん、お二人を改めて歓迎します」
一行が歩くこと30分ほど、漸く村の入り口にたどり着く。平原なので遠くからでも見えた集落は、実際には意外と遠かったように感じられた。
「村の門は立派なのに、門番はいないんですね」
筒次がふと気付いたようにシゼラに尋ねる。
「ええ、"嵐の呪い"から解放されてから、狂暴な魔物もほとんどいなくなりましたから。外から来た人が村に入る時はこうして村の誰かの案内を受けるか村役場に届けを出さないといけませんけれど、四六時中見張りを立てる必要はないんです」
シゼラの説明を聞いて、いまだにシゼラから微妙に距離を取っているソムニアの顔がぴくん、と動いた。
(ちょっとツツジ、ここって呪われた島なんじゃなかったの)
筒次にしがみついたままの姿勢で耳打ちするソムニア。わざわざ小声になっている辺り、なんとなくシゼラに聞かれるのは気が引ける話題――筒次の言う『メタ発言』の気配を感じ取ったのだろう。
(言ってなかったか?今回はゲーム本編のエンディング後の設定だから、"嵐の呪い"はもう本編の主人公たちが解決しちまってるのさ)
果たしてソムニアの懸念は当たっていた。筒次も同じように小声で返答する。
(はぁっ!?それじゃあ、ワクワクするような冒険とかドキドキするような戦いとか、そういう"ろーぷれ"の大事なところはどうなるのよ!)
(今回は空を飛ぶのだけが目的だからその辺は大幅カットな。ダンジョンの中とかも行く必要ないし、大変だから明晰の時点で作ってないぞ)
(そ、そんにゃぁ~……)
耳打ちの姿勢からそのまま筒次にもたれるように脱力するソムニア。
筒次も少し容赦が無さすぎたと思ったのか、ソムニアを宥める体制に入ったが時すでに遅し。もはや一歩も歩きたくないと言わんばかりにますます体を筒次に預ける。
その様子は端から見れば病人を介抱しているようで――
「ソムニアさん!?大変、すぐに宿を手配しないと……!」
「いや、これは……ただ歩き疲れただけですからそんなに焦らなくても平気です。ただ宿のことはお願いします」
何やらいらぬ誤解を生んだが、ひとまず宿で休みたいのは筒次も同じ。ここは好意に甘えることにした。
病人に間違われていてもなお自分で歩こうとしないソムニアを筒次がおぶって運び、ようやく宿の一室――宿を切り盛りする女将の好意で広い二人部屋を用意してもらった――までたどり着く。
ソムニアはと言えば、2つあるベッドの片方に降ろされるやいなや、視線が合うのを拒むようにベッドに突っ伏してしまった。
「いい加減機嫌治せって。冒険がしたいんなら、今度そういうゲーム用意してくるから」
「やだ。今がいい」
筒次は小さくため息をつく。夢魔によくできた人格を求めるのも変だが、一度こうなったソムニアはとにかく頑固だ。機嫌を治してもらうには、彼女が何よりも求めるものを与えるしかない。
「今回は空を飛ぶ体験に集中したいから、あえて他の要素を削ったんだよ。その分空の旅は絶対楽しいから!」
「ツツジは人間だし、普段飛べないからそりゃ楽しみでしょうよ。でも、私は夢魔だもん」
ベッドにうつ伏せになった姿勢を維持したまま、ソムニアが30センチメートルほど宙に浮く。
「ほらね。っていうかツツジだって夢の中なら飛べるでしょ」
夢の中には現実のような物理法則はないので、夢に棲む夢魔はもちろんのこと夢に入り込んだ人間も飛ぼうと思えば自在に飛べることは言うまでもない。
人間が夢の中で歩いて移動する理由があるとすれば、それが一番自然だと思っているからに過ぎないのだ。
「確かにお前の言うとおりだ。だから今回は、ただ飛ぶだけじゃダメだと思ったんだ」
「じゃあ、どうするつもり?」
「ドラゴンの背中に乗って飛ぶ」
浮遊していたソムニアが、
「でかいドラゴンだぞ。俺たちふたりどころか、5,6人が背中に乗っても余裕なくらいでっかいやつ」
ぴくりと首が動いたのを筒次は見逃さない。
「あと、ゲーム中では味方として戦ってくれるドラゴンだから火を吹いたりもする」
そわそわと身じろぎが始まった。もう一押し。
「物凄いスピード出したり宙返りさせたりできるんだけどなぁ、残念だけど嫌だったら今夜は中止に」
「しょ、しょうがないなぁ~!そこまで言うなら絶対楽しませてよね!!」
釣れた。
筒次もソムニアに振り回されっぱなしでいるだけではない。こうなったソムニアをその気にさせるために必要なもの――とにかく楽しそうなイベント――をちらつかせるスキルを、出会ってからの3ヶ月と少しで完全にモノにしていた。
「もうっ、そういう面白そうなことは先に言ってよね!ツツジの夢を形にしてるのは私だけど、そこで何をするかまで覗けるわけじゃないんだからっ」
「悪かったよ。こういうのは初見のインパクトが大事だろ?」
「そういう拘りっぷり……ネタバレ配慮、だっけ?ショージキめんどい」
「んなっ!?俺は折角ならお前にも楽しんでもらおうと思ってだな!」
「そういうとこがめんどいって言ってるの!」
「むぐっ」
大袈裟にショックを受ける仕草をしてみたものの、特に反論も浮かばず黙りこんでしまう筒次。
わずかの静寂。先に口を開いたのはソムニアだった。
「……まあ、でも」
「ん?」
「筒次が"絶対面白い"って言った時は、ウソはつかないってわかってるから。期待してる」
「……任しとけ。はしゃぎすぎて後で倒れるなよ」
「どっちが」
その後も暫く他愛の無い会話が続いたが、暫くして宿屋の女将やシゼラに礼を言いそびれていたことに気付いた筒次の提案で二人で村を回ることにした。アルカラ村の住人は島の温暖な気候にふさわしくおおらかで優しい人が多い。
その流れで村長を務めるシゼラの父親から島に伝わる嵐の呪いと竜神の伝説、それらの伝承の最後の一説が、つい最近現れた旅人によって成就した一連のあらまし――つまりはゲーム本編のシナリオである――を聞かせて貰った。
筒次はゲーム本編をクリアしているから全部知っている話なのだが、作中人物から直接話を聞くのは感慨深いと目を輝かせつつ耳を傾けていた。ソムニアは途中で居眠りしたためあまり聞いていなかった。
//////
そうこうしているうちに日も暮れ夜が訪れる。折角だからと御馳走になった村の野菜と畜肉を使った料理の味に満足したのだろう、宿に戻ったソムニアは自分が不機嫌だったことすら忘れてしまったようだった。筒次は内心やれやれと胸を撫で下ろす。
「そういえば、ツツジはなんで空を飛びたいの?」
「急に何だよ」
「聞いてみただけ。私普通に飛べるから、飛べないヒトの気持ちなんかわかんないもん」
「そうかい。別に大した理由はねえよ。ジェットコースターとかそういうのに乗りたくなるのと一緒で、空を思いっきり飛べたら楽しそうだなって思っただけだ」
「ふぅーん、そのジェットコなんとかは知らないけど。空飛ぶのってそんなに楽しいかな?」
「お前は夢魔だから普通に飛べるだろうけど、人間は誰でも多少は空に憧れるもんなんだよ」
「そういうものかぁ。ヒトの世界だと、夢でまで空を飛びたがる人はアレなんでしょ。えーと……そう、
「ぶっ…!」
筒次は吹き出した。
ソムニアは
「お前さ、『欲求不満』の意味、わかって言ってる?」
「バカにしないで。"欲求"が"不満"なんだから、自分のしたいことができなくてストレスが溜まってるってことでしょ」
「確かに言葉としては間違ってない、間違ってないんだが……」
「なに。また私に隠してなんか企んでるの?」
半笑いで葛藤する筒次の様子を悪巧みと勘違いしたソムニアが、自分のベッドを飛び降りてもう片方のベッドに胡座をかく筒次に詰め寄る。
「んなっ、違ぇよ!その……アレだ、聞いても怒るなよ?俺が悪いわけじゃないし」
「怒るかどうかは聞いてから決めるから。さっさと言いなさいっ」
ソムニアの剣幕に押され、筒次が渋々口を開く。
「その、現代では欲求不満ってのはもうちょっと狭い意味で使われるのが主流でな?」
「狭い意味?どういうことよ」
「その、……性欲」
「……っっ!!!」
「本当にそういう使い方なんだよ!お前が知らなかったのが悪い!今回は俺は無罪だ!」
「ッ、う、ううぅぅ…!!」
ソムニアの顔がみるみる紅潮する。変なうなり声が漏れているのは、恐らく羞恥やら怒りやらを噛み殺そうと必死なのだろう。
今回のビンタは痛そうだと覚悟して目を閉じる筒次であったが、暫くしても一向に痛みも衝撃も訪れない。恐る恐る筒次が目を開けると、
「うくっ、えぐっ、…ひっく」
泣いていた。
「ちょ、お前」
咄嗟に伸びた筒次の手が乱暴に払われる。
「……わたし、もう寝るから」
「えっ、あぁ、おやすみ」
それきり、言葉を交わさなかった。
――ところで、夢の中で眠るとはこれ如何に、とこれを読んでいる諸兄は思うかも知れないが、発想を変えてゲームの中で眠るときのことを想像して欲しい。
ゲームでの睡眠の表現は細かい違いこそあれど、大抵はジングルと呼ばれる短いBGMか効果音が流れてすぐ朝になることが多い。筒次の夢の中での眠りも大抵は場面転換のために使われるため、時間経過はかなり大雑把に行われ、体感では気がつけば朝になっているというのにほぼ等しいと言える。
(クソっ、眠れない……!)
さて、筒次は「夢の中で眠ろうとしてもなかなか寝付けない」という奇妙な状態を味わっていた。
(普段なら絶対殴ってくるタイミングだったってのに、一体何だったんだ?)
(それにあいつのあんな顔、初めて見た)
ソムニアの泣き顔が脳裏から離れない。
そもそもソムニアの容姿はサキュバスの能力によって筒次が好きな女性の容姿のイメージに変化したいわば仮の姿である。つまり、ソムニアには筒次の好みのタイプが筒抜けになってしまっているのだ。
互いにそれをわかっていて、それをネタにいじりいじられすることはあったが、かたや筒次は自分の趣味をよりによって忠実に再現した相手にからかわれる敗北感を嫌がり、かたやソムニアはあまり踏み込みすぎると自分の嫌いなセクハラ紛いの話題に繋がる事に気が付いたため、この話題は一定のライン以上は踏み込まない不可侵領域となっていた。
(いやいや、確かにあいつの見た目は正直好みだ。豪速球のストライク……だけども!)
(落ち着け、これは急に泣かれて焦ってるだけだ。俺は変人だが、泣き顔で
(そもそも、あいつが欲求不満とか言い出すから……!)
悶々とした自問自答は止まらない。忘れようとすればするほど、目の前で泣かれた時の光景やら、宿まで背負って歩いた時の感触やら、そういった記憶ばかりがふつふつと沸いてくる。
結局、思考のループに陥ってオーバーフローを起こすまで筒次の夜は明けなかった。
//////
最初の違和感は、目が覚めたのに外がまだ暗いことに気付いた瞬間だった。
筒次は横で寝息を立てるソムニアを起こさないように注意を払い、静かに部屋を出る。
宿の玄関を出ると、早朝にも関わらず慌ただしさが村を包んでいた。それも農業や見回りのような、日常的な慌ただしさでは決してないことが村人たちの様子から見て取れる。
この村になにかが起きている。そう直感し、近くの農民に声をかける筒次。
「すみません!何かあったんですか?」
「おお、旅の詩人さんだべ。実は……今朝方シゼラ様が何者かに連れ去られてしまったんだべ!」
「なっ…!?」
驚愕と共に、筒次は相当な異常事態が起きていることを一瞬で理解した。
目の前の農民の慌てようから、シゼラが早朝に出歩く性分ではない事を察知した……などという理由ではない。
筒次にとっては極めてシンプルな因果で、この状況のおかしさは説明できる。
(ありえねえ……
筒次のプランではこのタイミングでシゼラが浚われるようなイベントなど影も形もなかった。筒次が設計してソムニアが実装するこの夢の世界で、筒次が知らないイベントが勝手に発生することは本来ありえないのだ。
(まさかあいつ、昨日の八つ当たりで夢に細工を……)
筒次自身に覚えがない以上、こんなことができるのはソムニアしかいない。走りにくい詩人装束を両手で押さえながら宿屋に駆け戻る。
「ちくしょう雰囲気重視で動きにくい服着るんじゃなかった!!あ、女将さんおはようございます!」
もはや詩人のロールプレイも形無しである。足早に部屋の前まで駆け込み、力任せに部屋に押し入る。
「ソムニア!外の騒ぎはお前の仕業――」
イタズラがうまく行った時の不敵な笑みか、さもなくば昨日の怒りを引きずった不機嫌な顔をしているかどちらかだろう……というのが筒次の見込みだった。
しかし、いずれの予想も空振りに終わる。
部屋に飛び込んだ筒次と目が合ったソムニアの表情は、笑いでも怒りでもない、真顔。
初めて出逢ったときに一度だけ見せた、どこまでも冷たい真顔にそっくりの表情だった。
「……ソムニア?」
「ツツジ、落ちついて聞いてね」
表情を少しも変えないまま、少女は二の句を紡ぐ。
―――わたしたちの
(後編へ続く)
ゲーマー・ミーツ・サキュバス 江村テツヤ @M-steal
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