第4話「落ち着かない休暇」
落ちるように目が覚めたのは明け方だった。あの方を隣国に送り出すまでの一月の間忙殺された疲れが出たようだ。鳥の鳴き声さえ聞こえない時間を確かめ、布団の中で二度寝すべきか
眠れなかった原因は崩れきった生活習慣だけではない。あの方、第五皇子セオフィラス・オブライアン様が別れ際に押しつけた謎によるところが大きい。『私はおまえの献身を買っている。これからもずっと私の下で仕えてくれないか』と、ご自身の魅力を惜しまず披露する笑顔を向けて言い放ったアレだ。
まずもう意味が分からない。
この台詞の内容を本気であの方がお望みなら、こんなことを言う必要はない。あの方の手腕で、外堀を埋めるなり部下自ら惚れ込むように仕向けていくなり、いくらでもやりようはある。というかそれこそあの方が類いまれに長けている才覚のひとつだ。実際、今回は隣国の大使や王女などを動かすために、ご自身の頭脳や人柄を上手く印象付け、俺を手足に方々の根回しをやらせた。だから本質はそこではない。
そもそも、この仕事は俺が凡人レベルの頭しかないゆえに殺人的な忙しさだが、本気で辞めようと思ったことは一度もない。
それに見あうだけの高い俸給は出てるし。まぁ本音を言えば、もう少し低くていいからあの方の無茶ぶりを減らしてほしいと思うが。
俺がこう考えていることぐらい、いつも手の内で転がす側のあの方が察していないはずがない。あの方の褒めるタイミングは絶妙にこちらの心情を正確に把握していなければおかしいほど適格だ。
……だから拾ってもらう以前の苦難より厳しい生活を与えられても、セオフィラス様から離れるなど考えられない恩がある。
それなのに、なぜあの方は見送りの面々が勢揃いする中であんなことをおっしゃったのか?
一つ考えられるのは、俺が返答を濁すという選択肢を潰せる。
あの方の美貌と下々にも優しいというお人柄で、城に仕える者はもちろん貴族や平民の間でも絶大な人気を誇る。そこに投下された一大事にみな食いつかないはずがない。そう、あの方が一部下に生涯の奉公を願ったという話は瞬く間に広がり、久しぶりの買い物に出かけた先々でこう訊かれるのだ。『で、殿下への返事決めたの?』と。
しかし、セオフィラス様は単純にはっきりとした答えが欲しいのだろうか。そうすると何があるというのだ? 分からない。
あるいは、返答を帰国後に求めることで休暇中の俺の思考を奪うことができる。
今まさにやっていることだ。リフレッシュしている気がしない。今回同行しない俺への嫌がらせという意味でなら、非常に効果的である。
俺が東奔西走してげっそりやつれた姿を面白がるようなあの方の性格を考慮に入れると、嫌がらせて楽しんでいる線が本線に思えてきた。
ごろりと寝返りを打つ。駄目だ、目も頭も冴えて眠気が訪れる様子がない。諦めて水浴びするためにベッドから這い出ることにした。
恐ろしいことに、慣れてしまった宮廷の部屋は明かりがなくとも浴室にたどり着ける。激務後の夜更けに火をもらうために人を呼ぶのもはばかられたこと多々。悲しい経験がもはや習慣になってしまっていた。
そのためにいつでも水浴びできるよう、宮廷の優秀な召使はあらかじめ浴室に水を用意する気配りをしてくれた。
静かに浴室のドアを開けた先で、乾いたタオルと着替え一式が置いてある。つくづく
水浴びを終えた後、髪を拭きながら部屋のカーテンを開ける。だんだんと空が明るくなってきた。少々早いが、宮仕え用の食堂は開いた頃だろう。手早く身だしなみを整え食堂に降りた。
この時間帯は夜勤の使用人や兵士の交代時で、休む前に腹を満たそうとする人も多い。今日は朝食の配膳を待つ列で顔見知りの近衛と一緒になった。あの、目のクマを心配してくださった陛下の近衛だ。名前は確か、ナダル・ディアノワール様だったか。
「夜勤明けですか? お疲れ様です」
「痛み入る。シャムロック殿は今日から休暇だったな」
「その節は大変お世話になりました……」
ディアノワール様は陛下付きの近衛とあって、あの方が暴走するたびご心痛を抱えられる陛下に常についておられる。ゆえに俺の無様な姿を何度も見られてしまっている。
ディアノワール様は有名な高位貴族の出身だが、しがない平民の俺にも心配していただくことも多く、菓子などを差し入れてもらうこともあった。休暇のうちにお礼をできればいいが、貴族に礼を欠かない贈り物を探さなくては。
「気にするな。この機会にゆっくり疲れをとるのがいい」
「そうするつもりが、初日からつまづいてしまいまして」
ハハと笑いながら、夜明けに起きてしまい寝られないから今朝食なのだという話をする。するとディアノワール様は渋面をつくられた。しまった、俺の自虐めいた話題は受けが悪いというのに、つい口が滑った。
そんなところで、俺の順番が来てしまった。そのまま離れるのも失礼かと思い、一緒に朝食を食べませんかとお誘いする。会話も沈んだし近衛仲間と食べるからと断られるだろうと思いきや、ディアノワール様は意外にも頷かれた。
ついた席で会話はあまり弾まず、黙々と湯気の立ったスープを流し込んだ。ぽつぽつと俺が思いついたことを言っては、ディアノワール様が一言答えて終わるだけのやり取りだった。しかしさほど居心地の悪い時間でもなかったのは、ひとえに人柄のいいディアノワール様だからこそだろう。これがあの方と二人きりであれば、胃がキリキリと痛みだしスープの塩加減など分からなくなってしまうのだから。
そろそろ食べ終わるという頃になって、ディアノワール様から話題を振ってきた。
「……第五皇子殿下のお誘いを受けるのか?」
頭の痛い問題は目を反らさせてくれないらしい。
しかも食堂内が急に静まり俺の挙動に注目しているのが分かる。あぁあの方の嫌になるほど美しい笑顔が浮かぶ。腹立たしい。
「正直なところ、困惑しています。本当に私を必要としてくださるなら、内々に手を回すのが早急で確実なやり方です。それなのに私に知らせず公の場で宣言なさるなど、全くあの方は何を考えていらっしゃるのやら……」
苦労性で身についてしまったため息を吐く。観衆はあまり面白くなさげな雰囲気だ。見世物じゃないんだ、期待するな。
「牽制だろうな」
対するディアノワール様はそう呟いた。
「どういうことですか?」
「シャムロック殿が欲しい余所への牽制だ」
まるで俺が類まれな天才で引く手あまたみたいなことを言う。さすがに自分が落ちこぼれではない自覚はあるが、やっていることはごく平凡で単純。それを数で補ってようやく優秀と言われる一つ下がせいぜいの人間だと思っている。そんな凡愚を捕まえて、何を言っているんだディアノワール様は。
仮に俺ごときが欲しい余所がいるとしても、あれでは牽制になっていないのでは? 俺の返答はあの方が隣国から戻った時だ。それまでの間にいくらでも干渉できる。牽制として機能させるならば、事前に俺の意思を固めさせてからやるべきだ。俺に分かるのにあの方が考えつかないはずがない。
……逆に俺に近づく奴を
俺を過大評価していなくても、人気の高い第五皇子の部下の座が欲しい奴なら、引き抜きの体で俺をあの方から離す手もあるだろう。そういう方法に出るような、ろくでもない野望を抱いた貴族を潰したいのかもしれない。やっとまともで現実的な候補が出た。
「評価していただきありがとうございます。しかし私はさほど優秀ではありませんので、できる範囲で頑張らせていただきます。結論は休暇中にじっくり考えることにしますね」
「……そうか」
ディアノワール様にはひとまずそう答えておく。
観衆が多くなってきた。今から勤務につくという人の朝食時間まで居座ってしまっては悪いだろう。きりもいいのでここで退散することにした。
「そろそろ人も増えてきたようですし、私はこれで失礼します。おやすみなさいませ、ディアノワール様」
ああと頷く近衛を残し、物言いたげな視線を背に感じながら俺は席を立った。
これで近づいてくる奴がいれば、随時背後関係を荒い情報を集めておかなくては。あの方が帰国された後の掃除に必要になる。
とりあえずは自室にある借り物を元の部署に返しながら城で顔を見せて回るか。
そんな心休まらない休暇の始まりである。悲しい。
あの方に仕える幸運と不運 えいる @eiran2
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