第3話「雇用契約」

「第五皇子?」


「そうよ。あの方とってもお綺麗でいらっしゃるから、お忍びでもすーぐ分かっちゃうのよねぇ」


あまりにあっさり正体が判明してしまい、今までの五日間は何だったんだと膝をつきたくなった。しかしなんとか情報を得るために踏んばった。


「第五皇子様がなんでこんなところに?」


「よき領主たるもの民草をよく知るべし、なんですって。こっそり教えてくれたのよ。本当にご立派な皇子様よねぇ」


第五皇子殿下はずいぶんよく市場に顔を出しているようだった。野菜売りの女将は自分のかわいい孫でも見るような目で高貴な皇子を語った。


「最初は何にだって興味を示す子供みたいに無邪気な子だったけど、最近はいろいろとあたしらの生活をよくしようって動いてくれてるのよ」


「へぇ……皇子殿下は今でもよくここに来たりする?」


「そうねぇ月に何度か見かけるかしら」


女将によれば、毎回これという目的地もなくいろいろなところを歩き回っているらしい。市場に寄っても野菜売りの女将に声をかけず急いで走っていくときもあるとか。


「時間があるなら教会に行ってみたらどう?あそこにも第五皇子殿下はよくいらっしゃってたからねぇ」


「ありがとう。後で行ってみる」


その後も市場で聞き込みを続けたが、目新しい情報はなくだいたい同じような話ばかりだった。切り上げる頃には日が暮れがかっていた。今から教会に寄り道すると宿に戻るのがずいぶん遅くなりそうだ。どうしようか迷ったが、下見がてら教会に行ってから帰ることにした。


たどり着いた教会は質素ながら立派な門構えの建物だった。併設されている孤児院からはにぎやかな声が聞こえたが、目の前の教会に人気ひとけはなかった。とりあえず第五皇子がよく来ている場所を見てみようとその扉を開いた。


「遅かったな」


きしむ扉の向こうで待ち構えていたのは、俺が方々調べまわった原因、その人だった。相変わらずの美貌に今日はふさわしい質のよい服を着て、壁際のベンチに腰かけていた。


――図られた。あの冴えた目を見た瞬間、少なくとも今日俺がここへ来るよう仕掛けられたのだと分かってしまった。市場で聞いた奴のほとんどが第五皇子のことを知っていて、だいたい教会に行くよう誘導してきたのは、あの男が手を引いていたからなのだ。


「お待たせして申し訳ありません、殿下」


強ばる表情を隠すために頭を下げると、『殿下と呼ばれるのは好きではない』と言われまた腰を折った。しかし声色は冷たくなく、ご機嫌は察しかねるほどの柔らかさ。顔を戻したときに見えたのは、あの緩やかな微笑だった。


「では、どのようにして私を調べたか一通り報告してくれ」


その言葉にしたがって、銀のボタンを拾ったところから候補者の選定、詳細な調査の結果至った推論、そして行き詰まり方向転換してここへ来たことを説明した。


「なるほど、一方向に絞った調査が失敗の原因というわけだ。候補者が限られた時点で市場の聞き込みをしていれば、二三日早く来られただろうに」


「確かに遠回りでした。しかし各皇子殿下の情報も満足でない状態でここへ来た場合、あなたが私を雇ってくださるとは思えません。結果論ではありますがあなたの正体を確実に知った上でお会いできて光栄です、コーネリアス・オブライアン様」


第三皇子、コーネリアス様はその青い瞳を見開いた。そしてフッと相好を崩す。ただし向けられる視線は鋭い。


「……なぜ私を兄の名で呼ぶのか聞かせてもらおう」


最初に気になったのは、図書館で皇族の家系図を調べたとき、第三、第四、第五皇子の生年が同じだったこと。第四皇子は皇妃の子で第三、第五皇子はある側妃の子だ。


次は、土産屋へ皇族の絵を見に行ったとき。第三と第五皇子以外の版画は見本として壁に貼られていたのに、彼らの分は見本も含め見られなかったことだ。壁には二人の版画が貼られていたであろう部分が、日焼けせず空いていた。まるで最近あわてて剥がしたばかりのように。


もう一つ気になったのは、正体が市場であっさりバラされていながら教会で当の本人が待ち構えていたことだ。あの男が本当に第五皇子だとして、誘導された先ですぐに会うなんて都合がよすぎると思った。正体を調べろと言外に煽っておきながら、簡単にバラすような真似をするとも考えづらかった。


じゃあこの美貌の男が第五皇子でないならば誰かと考える。顔を知らないのは、第三皇子と第五皇子だけ。市場の人たちは第五皇子だと言ったが、二人が同腹であるなら顔が似ていても不思議ではない。第三皇子が弟殿下の振りをしていたすると、この状況も説明がつくはずだ。


こうした推論を並べると、彼は宝石のような目を細めてそれはもう輝かんばかりの笑顔を浮かべ『はずれだ』とのたまう。


「私は第五皇子、セオフィラス・オブライアン」


すっくと立った皇子の顔にステンドグラスから光が差した。美しかった。それだけでなくたたずまいから伺える風格に圧倒された。


「申し訳ございません」


自然に俺は平伏していた。彼の名乗りだけでその正体が真実だと突きつけられた。なんてことをしてしまったんだ、俺の答えは間違いだった。彼が残していった痕跡は全て今の舞台を整えるために置かれていったのだ。


自らの不足を恥じる一方で俺は恐ろしかった。ただ路地で見かけただけの平民にここまで布石を整えて詰める知性と、遊びに夢中になる子どものような好奇心が。もしこの男相手でなければ推測は合っていたのではないか、そんな気がした。


「顔を上げろ」


三度目に見上げた皇子は、あの何を考えているか分からない微笑に戻っていた。そしてギロチンにかけられた気分で反応を待つ俺の名前を尋ねた。あぁ罰せられるのかと諦めが沸く心を押さえつけながら声をひねり出した。


「……アーヴィン・シャムロックです」


「シャムロック、おまえは面白いように間違ってくれたな」


そう言う声はどこか面白がっているような響きがあった。この男の思考回路が分からない。何を言いたいんだ、規格外な第五皇子様は。


「私が置いた情報でそこまでたどり着いたならば、部下としてやっていく能力もある。いいだろう、おまえは今日から私のしもべだ」


はい?


『第五皇子の下で働く気はあるならばうなずけ』とおっしゃるので、頭も真っ白なまま首を振っていた。その瞬間から俺はあの男――いやあの方と呼ぶべきか――の部下となったのだ。


その後に振り回される己の苦労も知らず、『ただこれで食扶持を心配せずにすむ』という安堵ばかりがあったことは今でもよく覚えている。


それからはあれよあれよと手続きが進み(察するにあの方の根回しの効果だ)、一介の商家とは比べものにならない宮廷内の一室と高品質な衣類一式を整えられた。そんな頃になってじわじわと事態を実感するようになって、今まで報われなかった不運がやっと幸運に転じたのだと思った。


その瞬間は。……数時間後俺が仕えることになった主の本質を、呼び出された先で嫌というほど味わうこととなる苦難の幕開けだった。


ただ、この話は長くなるからまたの機会にしよう。今はあの方が居ない束の間の休暇を楽しみたいんだ。……まあそんな機会、いつ来るのか分からないが。

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