第2話「あの方と出会ったのは」

思い返せばあの方は昔から突飛なお方だった。


初めてあの方と出会ったのは、俺がやけくそになって走っていた都の路地。唐突に声をかけてきて、呆気にとられたことをよく覚えている。



俺はもともとしがない商人の四男で、可愛らしい女の子を期待していた家族からの待遇はよくはなく。家業を継げる見込みも兵士に志願できる腕力もなかった俺は、将来が不安でしょうがなかったのだ。


それでも勉強は苦手ではなく、家庭教師に教えられる内容をしっかり予習復習すれば理解できた。だから算術など商売に関することを学んで、ゆくゆくは父に奉公先でも見つけてもらおうと思っていた。


そんな未来が閉ざされたのは俺がまもなく家を出て働くという時期のことだった。


クソのつく次男がやらかした。クソ兄貴はうちとは違う商会で働き、いずれ長男を支えるために戻るという話だった。しかしクソ兄貴はそこの商会長の娘に手をつけやがった。もちろん商会長は怒り狂って兄貴を追い出した。


その不祥事のせいで俺がお世話になるという約束も消えたのだ。クソ兄貴をぶん殴ったところで腹立たしさは変わらなかった。


こうなると父の口利きも頼りにならず、むしろ悪評を広めるばかり。だから自分で就職口見つけてくると啖呵きって、人の溢れる都に行ったのだ。


都でも職は見つからなかった。ぽっと出の人間が馴染みのない商会に顔を出したところで相手にされなかった。いっそ商会でなくともいいと思いつく限りあたってみたが、紹介状もない奴を雇おうとするところは真っ当に給料を払う気のないところばかりだった。


ことごとく断られて最悪の気分。わけもなく走り出したくなって、人通りのない路地を駆けていたそのとき、あの方に声をかけられたのだ。


振り向けば目が覚めるような美貌の男が立っていた。若く俺より少し年上ぐらいに見えた。服装はごく普通の街の人が着るものだったがどこかちぐはぐだった。


「なぜおまえは走っているの?」


随分偉そうな口振りだった。瞬間沸き上がったのは反発だったが、理性はこれがチャンスだと訴えていた。階級の高そうなこの男は気まぐれにも平民に話かけてきたのだから、と。


「職が見つからずむしゃくしゃしていたから……です」


「へぇ……」


男は何を考えているのか分からない笑みを唇に乗せた。俺は学んだこと、得意なこと、なぜ今職を探しているか必死にいい募った。そして貴方のところで雇ってはもらえないかと。


「私が何者か知っているのか?それを知らずして願うなど愚かだ」


それは冷ややかに切り捨てられた。しかしそんなことをわざわざ言うのは反面親切のように聞こえた。


「では後程改めてお願いしに参ります」


こんな機会を逃すなんて無理だ。この男の正体を突き止めて正面から会いにいってやる。そうすれば、かなり頭の柔らかいこの男は俺を雇ってくれるだろう。そう思った。


「そうか。その時を楽しみに待っている」


男は心なしか機嫌よく表通りに消えていった。後をつけることはせず俺はそれをゆっくり見送った。


そして男が立っていた場所に落ちていた物を拾う。銀のボタンだ。黒ずみのない綺麗な彫りで薔薇が描かれていた。この国の国花と呼べる薔薇を衣装に取り入れられるのは皇族かその親戚ぐらいだ。あの男は皇族の血をひいているのだろう。


なぜそれほど高貴な人間が供も連れずに路地にいたのか疑問は残るが、あの性格からすれば想像がつく。これを手がかりに素性を調べれば正解にたどり着けるはずだ。



それからまず俺は新聞をあるだけ読もうと新聞社を訪ねた。手持ちではあまり買えなかったが、ここ数日の都の様子は読み取れた。さらに紙面を飾る皇族は多く情報を集めやすかった。よく出てくるのは軍事関連法案を改正したがっている皇太子だったり、外国に嫁いだ皇女だったり、皇帝の従兄弟である公爵の領地の話だったりだ。直接男に関することは見つからなかった。


次に行ったのは図書館で、皇族の家系図を写すためだ。入館料と転写料は懐に痛かったが正確な情報を得ることを優先した。手に入れた家系図によれば、皇族の血筋で独身かつ若い男は六人いた。うち四人は現皇帝陛下の子息、第二から第五皇子。残り二人は公爵家の子息と外国に嫁いだ皇女の子息だった。外国の王子が来ているという記事は新聞で見なかったから、一人は候補からはずれる。


その次に向かったのは女性に人気の土産屋である。あの男の容姿と地位を考えれば、版画でも売られていて当然だと思ったからだ。それに俺は皇族の方々の顔を知らない。本当にあの男が高い身分なのかどうか確かめられるとも思った。実際皇族の方々の肖像画はあった。しかし人気だという第三、第五皇子の版画は品切れでいつ再入荷するか未定らしい。候補者のうち絵を見られたのは、第二、第四皇子、公爵家令息。そのうち第二皇子は体格や顔つきが明らかに違うので除外していいと思えた。他は血のつながりがあるだけに、画家のせいかはずれなだけなのか不明だったので保留にした。


そこからは一人ずつ調べていくことにした。毎日の新聞から読み取れた情報をもとに、関連することに手を広げた。


例えば第四皇子はブドウが名産のトリアス領主。第四皇子が新聞に載ったときは酒場でワインが売れた。特にトリアス産のワインを開けている奴に近づいて、第四皇子を軽く賛美すればよく話を聞くことができた。第四皇子は生真面目な勉強家だと言う。皇妃に似て見目麗しく外国語もしゃべれるらしい。魔術の素養も高く魔術師として研究に没頭されることが多いとか。新聞も新しい魔術を考案したと大きく取り上げられていた。


俺の会った印象で言えば、あの男は一つのことに没頭できるほど真面目であるようには思えなかった。しかし公の場での行動など知るよしもないので、可能性は捨てきれない。それでも候補の順位は下がった。


公爵家の子息は肥沃な小麦畑のある領地に今帰っているらしい。何でも乾燥した強風で火事が相次いでいると新聞には書いてあった。その対処のために次期領主が行っているとか。記事にある出立日は出会ったあの日だったから、そんな状況で貴族にはラフすぎる格好で路地をうろついていたとは考えづらい。万が一あの路地近くに公爵家の倉庫でもあるのかと歩いてみたが、平民の住宅街や商会所や店があるばかりで関係性は感じなかった。


可能性はゼロではないが、公爵家の子息も恐らくあの男ではないだろう。


第三皇子は自由奔放だという噂だ。領地経営は腹心に任せて、社交界のありとあらゆる催しものに顔を出しているらしい。ゴシップ欄を賑わせる青の貴公子とはきっと第三皇子のことにちがいない。肖像画が品切れになるだけあって、女性好みの顔立ちをしているんであろう。酒場では不人気だが女性の集まるところでは非常によくその名を聞いた。社交界の流行は第三皇子が作り出しているとかで、城下町でもそれに沿ったデザインが主流になっているようだった。


女性に人気があるのは第五皇子も同じだった。幼少期は病弱とかで公式な祭典にも出ていなかったが、成長してからは健康になり国民に顔を見せるようになったという。その美貌から人気が急上昇しているとか。第五皇子は小さい頃から外に出られなかったからか、勉学が得意でその道の権威と呼ばれるような学者を度々招いていたらしい。また医者の育成や福祉施設への寄付などにも積極的で、老若問わず支持されているようだ。


この二人についてはあまり性格を知れるような情報は手に入らなかった。あの男の態度や話し方を思い出すと、社交界を渡り歩く気障には見えず広く愛される好青年にも見えなかった。表で見せる顔は愛想よく、裏では本性をさらすなんて誰でもやってることだ。強いて言うなら、平民の簡素な格好で甘んじたのはどちらかというと第五皇子だと思った。これ以上は絞りきれず、ひとまず正面から会う方法を考えることにした。


ちなみにここまでで五日かかっていて、元手もなく家を飛び出した俺の財布は空っぽになった。宿代と調査のために使った分、切りつめた食費ですっかりなくなってしまったので、今身につけているもので売れるものを売ることにした。大した金にはならなかったが、宿の食器洗いや水汲みを申し出てなんとかまけてもらった。どれも後で雇ってもらえるのだから、と思えば苦ではない。


さて。十中八九、相手は皇子だ。住まいは基本城にあり、職場も大体城のはず。どうすれば皇子に接触できるだろうか。


城門には門番の兵士がいて、入る馬車を一台一台止めて許可証を提示させている。あの中に紛れ込むのは至難の業だ。運よく中に入れたとして、城のどこに行けばいいのか見当もつかない状態では侵入者として牢に繋がれてしまう。それではもとも子もない。


城の外、何かの用事で出ているときを待ち伏せられたら一番いいだろう。出来れば護衛や野次馬の少ない私的な外出を狙いたいと考えた。


そこで脳裏に浮かんだのは、あの路地だった。なぜあの男は平民の格好で一人であそこにいたのだろう。城から歩いてどこかに行ってきた帰りだったのだろうか。路地と城を結んだ直線を街の外周部に伸ばしていくと、図書館や教会、市場がある。その辺りであの男がうろついていたなら、誰かしら覚えているにちがいない。あのハッとするような美しさはなかなか忘れられるものじゃないからな。


市場で聞き込みをしていくと、あっさりと誰か分かってしまった。


「あぁ第五皇子殿下のことね?」

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