第12話 終章
夜人形たちが倒れると、部屋はシンと静まり返った。
ラスは、静かに息を整える。
被弾した肩が傷んだが、まだ、終わっていない。
「事情は、あとでうかがいましょうか」
ディックが腰を抜かしているハワードの手首に手錠をかけた。
「わ、私はただ、その……その女に脅されて」
青ざめたハワードが上ずった声でそそう言った。
「ひどいなあ、ルクセン医師(せんせい)。嬉々として実験していたのに、クリスティーナひとりのせいにするわけ?」
背を向けた男がそう言った。
「だから、ぼくは、「せんせい」と言われる人は嫌いなんだよ」
吐き捨てるように、男はそう言った。
「詳しい話をお聞かせいただけませんかね、モリアーノ・ロキシムさん」
ディックに名を呼ばれ、背を向けていた男が、ゆっくりと振り返る。
「何を聞きたいの? 夜人形の実験をしていたのはそこのルクセン医師(せんせい)だし、夜人形に暗示をかけて操っていたのは、クリスティーナ。このギャラリー・バーの経営者だって、クリスティーナだよ?」
くすくすと、モリアーノは笑う。
「ぼくはクリスティーナの絵を描いて、モデル代を払い、ここにお金を払って絵を置いてもらっているだけの画家なんだけど?」
「ち、ちがう……『夜人形の書』をもっていたのは、お前じゃないか……」
「持っていたから何? ぼくには、それをどうこうする知識も魔力もないのに?」
ハワードの言葉に、モリアーノはにやりと笑う。
「ずるいよね、夜人形の研究をつづけながら、一方ではその治療薬を開発して、名声を得る。グアン・ザラワンに罪悪をおしつけて、自分は救世主だ」
ハワードの青ざめた顔がわなわなと震えている。
「……失礼ながら、『夜人形の書』を手に入れておきながら、警察に通報しなかったこと自体、許しがたいことです」
ディックが、口を挟むと、にやり、とモリアーノは笑った。
「そうかもね。でも、ぼくは魔力もなければ知識もない。価値がわからなかっただけかもしれない」
「……そもそも、どうやって、手に入れたのです?」
「さあて。どうだったかな」
モリアーノはそうとぼけると、ゆっくりと立ち上がる。
「ぼくは、帰るとするよ」
「ちがう、こ、こいつは『夜人形の書』の価値を知っていた。知っていたからこそ、治療薬の研究に行き詰まっていた私に、近づいたんだ!」
ハワードが叫ぶ。
モリアーノの目が細くなり、ハワードを睨んだ。
「治療薬を作るのには、夜人形を作れる技術が必要だと私に研究をそそのかし、資金も援助しておいて、自分だけ逃れようと」
「黙れ」
モリアーノは鋭い声で、ハワードを制する。
「治療薬研究の資金援助は、市民として当然でしょ。そもそも、それはロキシム家からの寄付金だ。ぼくからきみに金が流れていたとしたら、それは、きみの絵を買ったときのものだろう?」
「サナデル皇子の暗殺を請け負ったのは、あんただ!」
モリアーノの目が鋭さを帯びた。
ラスは、ゆっくりとモリアーノへと近づく。
モリアーノの手がゆっくりと上着の内ポケットに伸びたのを見て、ラスはとっさに気弾で、モリアーノの手を撃った。
強打した手から、魔道銃が床に落ちた。
「魔道銃の所持は違法。こちらは、言い訳はできませんよ」
ラスの言葉に、モリアーノの形相が変わった。
俊敏な動きで、落ちた魔道銃のほうに手が伸びる。
手錠したハワードをラスに投げるようにゆだねると、ディックはモリアーノの手を蹴りあげた。
引き金が引かれ、魔術を込めた弾が、天井に発射され、魔道銃は床にはじけ飛んだ。
ディックは、モリアーノの反対側の手をとるとそのまま床へと投げ落とす。
「……ぼくは、なにもしていない」
「裁判では、そう主張しろ。証拠は俺たちが積み上げてやる」
ディックが、モリアーノに手錠をかけると、モリアーノは、フンと鼻で笑った。
「ラス、ディック、無事か?」
ムファナ警部の大きな声に、ラスが応える。
ハワードは膝をついて泣きはじめ、モリアーノは、たいくつそうに穴の開いた天井を見上げた。
星虹で倒れていたひとびとは、全員『夜人形』の暗示を受ける直前だったらしい。踏み込むのがおくれたら、大変なことになるところであった。
中和作業は、リジン・エルタニン医師によりおこなわれ、無事、全員日常生活に戻ることができた。
サナデル皇子は、公務を終えて帝国へ帰り、ラセイトス警察に、日常が戻ってきた。
帝国の帝位継承権問題は、深刻なようだが、それはラセイトスの問題ではない。
モリアーノ・ロキシムの家から、帝国の人間から受け取ったと思われる大量の帝国の紙幣と、サナデル皇子暗殺依頼の契約書が見つかった。さらには、その依頼人が逮捕されたことにより、自らが手を下していないにせよ、事件への関与は否定できなくなった。
ハワードとクリスティーナは、素直に自供している。どちらもモリアーノ・ロキシムに騙されたと、主張しており、証拠も固まりつつある。
観念したのか、モリアーノ・ロキシムは、少しずつ、事件の全貌を語り始めている。
モリアーノは出来すぎた兄ホルスと比較され育てられたことで、父を激しく憎んで育ったらしい。
そんななか、夜人形の研究にとり憑かれたグアン・ザラワンと出会い、ひそかに彼を援助しながら、地下組織を作っていった。
そして、その『最初の実験』に、父ダラスの演説会を選んだのだ。
実験は成功した。ターゲットを殺すことはできなかったが。
それなのに、グアン・ザラワンは、事件の大きさと夜人形研究の恐ろしさに恐怖し、自害した。
夜人形の研究は、そこで一度、とん挫した。
だが、モリアーノは、彼の持っていた『夜人形の書』を回収し、野心の強いクリスティーナを引き入れ、そして、絵画をたしなむ仲間として、ハワードに近づき、彼を取り込んだのである。
モリアーノは、父を嫌い、さらには、父と同じ志をもつ兄をも疎んだ。
しかし、彼が、地下で恐ろしい犯罪組織を見事に作り上げた手腕は、ある意味で、同じ血筋のなせるわざ、だったのかもしれない。
ホルス・ロキシムは、執政官を辞任。
政界から退き、弟の銀行業務を引き継いだ。いずれは、それも退く予定らしい。
しかし、市民の人気は未だ衰えず、政界への復帰を望む声は小さくない。
レイノルド・マックインは意識を取り戻した。事情が事情だけに、保護観察処分となった。
迎賓館の上司だったマルス氏が、身請け保証人となり、回復次第、郊外で絵を描き始めることになっている。
もうすぐ、モリアーノ・ロキシムの公判がはじまる。
ここからは、ラスたち警察官ではなく、検察官の領域だ。
「とりあえず、一杯飲まない?」
警察本部を出て、ラスは、ディックに笑いかけた。
明日は久々に、二人とも非番である。
あの日から、夜人形に関する捜査で、休みらしい休みもなかっただけに、ひさびさに味わう解放感だ。
仕事が立て込んでいたせいか、最近、ディックの様子がおかしい。
疲れているのかな、と、ラスは思う。
「悪くないな」
ディックはそういって、のびをする。
日が落ち、魔道灯のひかりが強まったように見えてきた。
まだ明るいそらに、ポツンと弱々しく星の光がまたたく。
「いいワインがある。たまには、俺の家で飲まないか?」
「え?」
一瞬、ラスはドキリとする。ディックの家は知っているが、こんな風に誘われたことはない。
「外で飲むと高いし…給料日前だからな」
「ああ、そうね」
ラスは、何事もなかったかのように頷いた。
仕事の相棒なのだから、一緒に飲むことは珍しいことではない。
懐の寂しい時期であれば、家で飲むという選択肢も、不思議ではないだろう。
男と女だと意識するから、いけないのだ。ラスは、苦笑した。
「つまみは?」
「なんかあったかな?」
「じゃあ、私が買うわ。欲しいものがあったら言って」
通り道の市場に寄って、干し肉とチーズをラスは買った。
やはり、ここのところの激務の疲れだろうか。
買い物をする間、ディックは何か思いつめたような顔で、歩く速度もいつもより早い。
「あまり、きれいじゃないけど」
ディックの家に来たのは、初めてではないが、ふたりきり、というのは、ない。
ラスは意識しそうになる自分を戒め、平静を装った。
それにしても、世間的に、これは少しまずいのではないかとは思う。
いくら相棒で、男勝りとはいえ、ラスは女だ。
意識をされていないにもほどがあるのではないかな、と、ラスの胸はちょっぴり苦い。
ディックの部屋は、それなりに生活感のある部屋だ。汚いわけではないが、綺麗というほどでもない。
見回したかぎり、意外にも女性の影が見える部屋ではなかった。
小さなキッチンと、寝室という二部屋であるが、男一人で暮らしているなら問題ない広さだ。
「結構、飲んでいるのね」
炊事場におかれた酒瓶の数を見て、ラスは眉をしかめた。
「……最近、眠れなくてな」
ディックはそう言いながら、ラスに寝室側にある、ソファに座るようにすすめた。
執務机をかねているのだろう。ソファの前に置かれたテーブルに、書きかけの報告書がある。
「どうしたの? 失恋でもしたの?」
「いや──まだ、確定ではないが」
ディックは言いながら、グラスとワインをテーブルに載せ、報告書を棚にしまった。
「そう……」
ディックにもう長い間、心に決めた女性がいることは知っている。
けんかでもしたのだろうか。
ここのところ、仕事が立て込んでいた。寂しい思いをさせてしまった、ということなのかもしれない。
ディックの無言の背中を見ながら、ラスは複雑な気持ちになる。
「らしくないわね。いつもなら、突き進みそうなのに」
「……俺は、臆病でね」
その言葉に、ラスは苦笑する。
そばにいるのに、自分の知らない『相棒』の顔。
素直にその恋を応援できない自分が苦しい。
「ラス。お前、警察をやめるのか?」
思いつめたように、ディックが口を開く。
突然、話を自分にふられて、ラスは戸惑った。
「え? 何の話?」
どすん、とディックはラスの横に腰を下ろす。いつもより近いその距離に、ラスはどきりとした。
その瞳は、視線を逸らすことを許さない強い光を宿している。胸が、騒ぐ。
「『夜人形の書』をみつけるために、警察にいたんだろう?」
ディックは言いながら、ワインの瓶に手をかけた。コルクを抜くと、アルコールの芳醇な香りが漂った。
「──前も言ったけれど、私には警察の仕事が向いているの。『夜人形の書』は、ひとつの目標には違いなかったけれど、だからと言って、辞めはしないわ」
「リジン・エルタニンと結婚しないのか?」
「え?」
「……待たせていたんだろう?」
「なんのこと?」
ディックは、ワインを無言でグラスに注ぐ。
「リジンとはそういう関係じゃないわ。そんなに、私を辞めさせたいの? 私、邪魔なの?」
胸が苦しい。ラスは、視線を下に落とした。肩がふるえる。
やはり、女の自分では『相棒』として不十分なのだろうか。相棒として、そばにいることも許されないのだろうか。
頬に温かいものが流れていく。
「そうか。それなら、酒を理由にするのはやめよう」
「な……?」
ディックはそう言うなり、ラスのあごをひきよせて、唇を重ねた。
突然のキスに、ラスの頭は真っ白になる。
「お前は不用心すぎる。独り暮らしの男の家でふたりきりで酒を飲むって意味が分かるか?」
意味が分からなくて、ラスは、されるがままに唇をむさぼられる。
息が、できない。
「惚れた女に手を出さずに帰せるほど、俺は、できた男じゃない」
頭の芯がしびれて力が抜けていく。
「好きだ。ラス」
大きな指が、ラスの頬を撫でる。
「……うそ、失恋って……ずっと好きな人がいるって……」
「あのな。今の文脈で、察しろ。警察官だろう?」
ディックが苦笑した。
「お前が好きだ。ずっと、好きだった。俺がいままでどれだけ我慢していたか、気が付いていないのか?」
ディックの指が、ラスの唇にふれた。
「嫌なら、はっきり拒絶しろ。今ならまだ、止めてやれる――」
ラスはディックを見つめる。その瞳は、どこかおびえているようにも見えた。
「私でいいの?」
「お前じゃなきゃ、ダメだ。酒を口実に無理矢理、既成事実を作ってやろうと画策するくらいに」
その言葉は、苦しいくらいに切なくて。
「それは、犯罪よ」
ラスは、笑う。胸が熱い。
「だな。逮捕、してくれ 」
「うん」
頷くラスの耳元に、ディックの唇が近づく。
「でもその前に、俺がお前を捕まえて逃がさないけど」
「あ……」
甘いささやきにラスの唇から吐息がもれた。
甘やかな夜が、始まろうとしていた。
了
夜人形は闇に笑う 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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