第11話 星虹

 ギャラリー・バー『星虹』は、ラセイトス上流階級の人間が住んでいるマルセ地区にある。

 閑静な高級住宅街のため、各家の敷地は広い。石畳の大通りを一本入れば、魔道灯の明かりもまばらになり、夜が更けてきたため、人通りも少ない。

 ラスとディックは、画廊ギルドマスターのバランに警察本部への伝言を依頼し、そのまま辻馬車を拾った。

 この時、ふたりが本部に戻っていれば、その後の事態は全く違うものになっていただろう、と、のちにラセイトスの警察署では語り草になったが、それはまた別の話である。

 ギルドで聞いた住所にあったのは、ごく普通の民家であった。

 ひょっとしたら、民家を改造したものなのか、それともあえて隠れ家風に作ったものなのか、その辺の判別はできない。

 住宅街のはずれのため、奥には山林が広がって、少し、隠れ家的な雰囲気を帯びている。

 門には「ギャラリーバー『星虹』」という表札があり、中庭を経て、大きな木戸の玄関になっていた。

 玄関前には、やや光量の落とし気味の魔道灯。それがさらに、秘密めいた雰囲気をかもしだしている。

 ラスは辺りを観察する。

 盗難防止なのか、あちらこちらに、細かく魔力による『仕掛け』が施されていた。

 これはかなり、警戒が厳重である。

 おとないを入れたが、返事はなかった。

 ゆっくりと扉を開く。

 魔道灯の灯に照らされた長い廊下と、受付とクロークルームがあり、そのむこうに、大きな扉があった。

 受付に人の姿はない。

 クロークルームには、コートがいくつか、かけられている。

 受付に呼び鈴などはない。会員制のバーなのに、入口でチェックはしていないのだろうか。

 ディックは、受付カウンターに入り込み、その後ろのドアをノックした。

 しかし、応答はない。扉に、カギがかかっている。

 ラスは、廊下の奥の大きな扉の前に立って、耳を押し当てた。

 人の気配はあるが、静かだ。

 バーにしては、ひとの話す声などが聞こえない。とはいえ、一人客が多いなら、もともと静かであってもおかしくはない。

 ラスは、ディックと目くばせをし、ゆっくりと扉を開いた。

「これは……」

 ラスは、あわてて、鼻を手でふさいだ。

 強い、月泉(げっせん)の香りだ。

 単純に香を焚いているというものではない。

 ふたりは、ハンカチで鼻を覆う。

「月泉だけじゃないな。赤金(あかがね)も入っている」

 ディックが眉をしかめた。

「風よ」

 ふたりは、風の魔術で被膜をつくった。長く持つ魔術ではないが、ないよりはましだ。

 体内のエーテルを鎮める月泉と、酩酊をさそう赤金を高濃度で焚くと、強い睡眠剤となるのだ。

 広い部屋は、やや暗めの照明で、シンと静まり返っている。壁面近くだけ明るい魔道灯で照らされていて、飾られている絵を浮かび上がらせていた。

 部屋の奥には、カウンター席があり、手前側には、テーブル席が用意されている。

 動くものはいない。何人かの人間が、テーブルに突っ伏した形で座っていた。

 近づいてみると、どうやら『眠って』いるようである。

 テーブルの上には、一様にそれぞれの頼んだであろう飲み物が置かれていた。

 がらんとしたカウンターの奥の扉が、わずかに開いている。

 不意に、カツン、カツンという複数の足音が聞こえた。

 ふたりは、目くばせをして、テーブルの影に身を隠す。

 ほどなくして現れたのは、鼻と口を布で覆い隠した男二人であった。

「どれだ?」

「5番テーブルの、男と女だ」

 そういって、男たちは、突っ伏した状態の男と女を担ぎ上げた。

 担がれた男女の身なりから見て、かなり裕福な人間であろう。

 ラスとディックは、男たちがカウンターの扉の向こうに消えるのを待った。

 足音が遠ざかるのを確認して、ディックが扉の影から様子をうかがう。

 ディックの指先が、クィッと曲がるのを確認して、先行したディックの後を追った。

 開いた扉の先は、左に伸びる長い廊下になっていた。

 廊下の照明は、店内よりも明るい。

 正面は部屋になっていた。炊事場らしいが、明かりはついておらず、人影もない。

 伸びた廊下の先には、半開きの扉があった。

 どうやら、階段のようだ。

 ラスたちは足音を立てぬようにしながら、ゆっくりと階段へと向かう。

 階段の足音は、下へと向かっているようだった。

『行くぞ』

 ディックの眼差しがそう告げる。

 ラスは、頷いた。そして、ゆっくりと階段を下りていく。

 踊り場の先に、明かりが漏れている。

「……くらいでいいんじゃないでしょうか?」

 男の声がしている。

「あら。商売にしたいのなら、派手な方がいいのよ。先方もそうお望みよ」

 女が応える。

「しかし、さすがに、戦争になりかねませんし」

「いいじゃないか。それも」

 笑いを含んだ、別の男の声。

 明かりを避け、壁のそばの影に隠れながら、ラスたちはゆっくりと前に進んだ。

 階段の踊り場の先に伸びた先は、大きな部屋になっていた。

 照明は火によるものだ。影がゆらめく。

 部屋の入り口には、先ほど男女を担いでいった男たちが入り口に背を向けて立っている。

 大きな実験器具の置かれたテーブル。壁一面の薬品棚。

「ギャラリー・バー」には、まったく似つかわしくない光景である。

 ラスはゆっくりと壁に体を寄せて、室内をのぞく。

 部屋の片側に、何人もの人が横たわっているのが見えた。生きているのか、死んでいるのか、それは全く分からないが、身動き一つしていない。

 ツンとした薬品の香りが漂っている――この香りは記憶がある。

 夜人形の『中和』に使う「膏薬」の香りと酷似していた。

 人が立ち上がる気配がして、横たわった人のそばに一人の男が歩み寄り胸元に何かを塗り付けている――あれは。

「ハワード・ルクセン?」

 思わずラスの口から声が漏れた。

「誰だ?」

 鋭い声がとぶ。

「ラセイトス警察だ。この状況について、説明を願いたい」

 ディックが誰何に応え、前に出た。

 ラスは、自らのミスに唇をかみながら、それに続く。

 背を向けていた男たちが、ゆっくりとナイフを抜くのが見えた。

 横たわるひとにかがみこんでいたハワード・ルクセンが青い顔で、二人を見返している。

 その奥に、背を向けるように椅子に座った男と、挑むようにこちらを見る、女。

「始末して」

 美しい中年の女性が、そう命ずると、二人の男たちが、ラスたちに向けて突進してきた。

「雷撃」

 ラスの短い詠唱とともに、二人の男に向かって、雷が走り、吹っ飛びながら尻をつく。

 殺傷力は落としてあるが、しばらく動けなくなる程度の痛みは与える魔術だ。

 男たちは、苦痛に顔をゆがめた。

 ラスは部屋を見回す。

 青ざめたハワード・ルクセン。不敵な笑みを浮かべた美女――おそらくクリスティーナ・ストライド。そして―― 椅子に座ったまま背を向けている、男。

 机の上に並ぶ薬剤と、鼻孔をつくこの匂いが、何らかの呪術を行っていたことを示している。

「いつからバーの地下で診療を始められたのか、ご説明願えますか? ルクセン医師(せんせい)」

 ディックの問いに、ハワードは答えられず、後ずさりをはじめる。

「そんなに知りたいのなら、実際にその目で見せてあげようよ? ねえ、クリスティーナ」

 背を向けたまま、男がそう言った。聞き覚えのある声だ。

「わかったわ」

 そういって、クリスティーナは目を閉じて、パチンと指を鳴らした。

 大気にめぐっていたエーテルがぐにゃりと歪む。

 次の瞬間、尻をついていた男たちが立ち上がった。

 苦痛に歪んでいた表情が消え、口元に笑顔が『張り付いて』いる。

「夜人形……」

 もともと、いつでも夜人形にできるように『暗示』済みだったのであろう。

 彼らがそれを承知していたとは思えないが、いざというときのために、自分たちを守るために夜人形を用意していたとしても、不思議ではない。

「風よ」

 ディックの術が、男たちの動きを止める。

 ラスは手を振り上げ、詠唱を始めた。

「風刃」

 クリスティーナの口から力ある言葉が発せられ、ラスに向かって飛ぶ。

 視界に大きな影がとびこんできた。

 赤い鮮血が床にポトリとおちた。

「ディック!」

 ラスは声を上げた――父の、鮮血が脳裏に浮かぶ。何もできず、ただ見ていただけの、あの日の父の最期の姿とディックの姿が重なる。体が、震えた。血の気が、ひいていく。

「ラス、集中しろ! かすり傷だ!」

 ディックの叫び声。

 夜人形が、ディックに襲い掛かる。ディックは、一人を蹴り飛ばしてから、もうひとりを背負って投げた。

 あきらかに、変な方角に曲がった腕のまま立ち上がる夜人形。

 そして、投げ飛ばされ、自らのナイフの刃で皮膚に傷がついても血を流しても、口元に、笑みを浮かべ、攻撃の意思を消さない。

 ラスは、パシンと頬を手で打つ。

 動揺する心をおさえ、意識を部屋にうずまくエーテルに向けた。

 手を振り上げ、目を閉じ、詠唱をする。

 使うのはいつもより強力な傀儡の術。

 目の前の夜人形だけでなく、この場全体を支配できる強い力を込め、エーテルを操る。乱れるエーテルを力でねじ伏せ、すべてを支配下に置く。

 クリスティーナの放った気弾が、ラスの肩に被弾したが、詠唱をやめない。

 エーテルの色を塗り替え、ラスの意思をまとわせる。

――あの時の、私ではない。

 ラスは、まっすぐに前を向く。

 父の時はなにもできなかった。

 でも、ラスは警察に入って、父が守ろうとしたものを守る人間になった。

 そして、目の前に、誰よりもラスにとって、大切な人間がいる。

――私は、負けない。

 ラスは、腕を伸ばした。抵抗をはねかえし、ラスはパチンと指を鳴らす。

 同時に、男たちとクリスティーナが、床に倒れ落ちた。



 




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