第10話 薬品

 日が落ち始めた治療院の前に、一台の馬車が止まっていた。

 おそらく、どこかの貴族のものだ。

――はて。

 リジンは走り去る馬車をみながら、首をかしげた。

 貴族であれば、お抱えの医師がいることが多いし、そうでなくとも、国の経営している研究施設を兼ねたこの治療院に来ることはまずない。

 ここに来るのは、ほぼ警察や軍がらみ、もしくは本当に貧しい人間ばかりなのだ。

「選挙が、近かったかな?」

 リジンは呟く。

 議会の選挙が近づくと、やたらと治療院に『奉仕』にくる輩が増える。

――なんにしても、二日連続の夜勤はしんどい。

 治療院の医師は、少ないとはいえ、連続夜勤にはならないように組まれてはいるのだが、今日は、院長のハワード・ルクセンに頼み込まれてしまったのだ。

 もっとも、昨晩のように急患が担ぎ込まれることはマレであるし、入院患者もそれほどいるわけではない。

 担当看護師も、昨晩と同じスーザンで、気心も知れていて、しかも安心して任せられる。

 リジンは、大きく伸びをしながら、治療院に入った。

「エルタニン医師(せんせい)、今日も夜勤ですか?」

 帰り支度をしていた日勤のドノガ医師が、リジンに頭を下げながら、申し送りの書類を手渡す。

「ええ。ハワード院長にどうしても、今日は外せない用事があると、頼み込まれまして」

 リジンがそういうと、ドノガは、くすりと笑った。

「女にせがまれたのかもしれませんねえ」

「恋人ですか? そんなお相手がいらっしゃったのですか?」

 ハワードは四十近いが独り身である。家族はいないと聞いていたが、地位もある健康な男性である。

 恋人くらい、いてもおかしくはない。いないと思い込んでいたリジンがおかしい、といえば、おかしいのだ。

「いやいや。どうも院長がのぼせている、という段階で、恋人ではないようですよ」

 ドノガは苦笑した。

「聞いたところによると、一度モデルになってもらった女性らしいですよ。たまたま、その絵を私が見まして」

 どうやら、絵の講釈もふくめ、女とのなれそめなどを饒舌に語られたらしい。

「しかし、研究一辺倒の院長にそんなひとがいるとは、意外ですね」

 リジンの言葉に「やあ、まったく」と、ドンガは同意した。

「そうそう。先ほど、馬車が止まっていたようですが?」

「ああ、院長を迎えに来たのですよ。院長、今日は非番だというのに、一度こちらに見えましてね」

 ドンガはそう言って、笑った。

「おおかた、女に渡すプレゼントでも職場に忘れていたのでしょう。慌てて大きな荷物をかかえていきましたから」

「そうなんですか。相手は、どこかのお貴族かな」

 先ほどの立派な馬車は、院長のお相手が迎えによこしたものなのであろう。

 リジンは、その後、看護師たちから、入院患者の様子を聞き、夜勤の勤務に就いた。

 昨晩、ラスたちが運び込んだ男は、未だ意識がない。

 魔術物質、ということもあるが、格闘による負傷もかなり大きかった。そちらのダメージの回復にも時間がかかるだろう。

 リジンは病室を見回りながら、廊下を歩いていると、いないはずのハワード・ルクセンの研究室の扉がわずかに開いているのに気が付いた。

 漏れてくる灯といっしょに、人の気配がある。

「誰かいるのか?」

 リジンは言いながら、扉を開けた。

 薬品や薬草のならぶ戸棚。実験器具が、カンテラの明かりでぽっかりと照らし出されている。

 そんな戸棚の前に、ペタンと座り込んでいるスーザンがいた。

「スーザン?」

 スーザンの顔が青ざめて、肩が震えている。

 彼女のひざに大きな分厚いノートがあり、周りに薬瓶が並んでいた。

「どうした?」

「……エルタニン医師(せんせい)」

 細い、消えそうな声で、スーザンは、リジンを見上げた。

「先ほど、倉庫の薬品の在庫量があまりに違いましたので、こちらを見に来て……」

 スーザンは、言いながら、戸棚を指さした。

「いつもは閉まっている扉が、今日はたまたま開いていたのです」

 研究室の薬品棚には、開き戸があって、いつも錠前がかかっている。

 薬品チェックをしようと手をのばしたスーザンは、棚の奥に不自然なすきまに気が付いた。

 好奇心からつい覗いてみると、棚の奥は二重構造になっていて、隠しスペースから分厚いノートが二冊出てきたらしい。

「父の研究記録です……」

 スーザンの手にしているものの表紙は、かなりの時を経ていることをうかがわせた。

「どういうことです?」

 リジンは、スーザンからノートを受け取る。

 ページを開くと『魔力酔いのメカニズム』についての研究記録であることがわかる。

「これは……」

 リジンは、それをぱらぱらと繰りながら青ざめる。

 前半は三人の共同記録らしく、みっつの筆跡で書き込まれている。

 ノートの後半はひとりの筆跡が中心だ。そして、ノートの後半の要所要所に、見覚えのある筆跡の字で書き込みが追記されている。

「夜人形の書……」

 リジンの呟きが静寂の中で響いた。喉が、乾く。

「どういうことなのでしょう?」

 スーザンの問いが遠くに聞こえる。

 このノートが、ここにある意味はなんなのか。

 少なくとも、このノートには三人の人間の筆跡がある。

 ひとりめは、スーザンの父、マクシミル・ランカス。八年前、失踪して事件をおこし、その後自害したグアン・ザラワン。そして、おそらく院長のハワード・ルクセン。

 ノートの最後の日付は八年前で終わっている。グアン・ザラワンの死とともに失われたとされていたものとみて間違いない。

 そして、もう一冊のノートの筆跡は、あきらかにハワード・ルクセンひとりのものだ。

 最初は、三人が偶然に発見した魔力物質についての、研究仮説から、はじまっている。

 この記述は、リジンの記憶にもある。ハワードが研究していた治療法の研究日誌と同じ内容だ。

 しかし。

 日付が四年前あたりから、リジンの知るものと異なってくる。

 どう考えても、それほど臨床患者がいなかったハズの時期であるのに、試薬を臨床実験している、という記述なのである。

 そして、途中から、魔力中和そのものではなく、投与されたものの記憶の一部を抹消するための研究に変わっている。

「記憶を消す……」

 夜人形は、暗示を解かれ、魔力を中和されても、夜の記憶をすべて失い、前後の記憶もあいまいだ。

 それは、すべて、『魔力物質』の中毒症状とされてきた。

 しかし、よく考えれば、『暗示』を受けた『夜人形』は、命令実行の直前までは、普通に生活をし、周りの人間に違和感を与えることがないのだ。

 いままで、魔力物質の中毒症状を中和させたことにより、その前後の記憶が失われるという説明をリジンは何の疑いもなく受け入れてきた。

 だが、もし。

 中和作業の時に、あえて『記憶を消す』ような作用を中和剤に入れていた可能性はないのだろうか。

「まさか、ハワード医師(せんせい)が……」

 スーザンの声が震えている。

 夜の闇が濃くなっていき、カンテラの灯がゆらゆらと揺れた。

「薬品の在庫量が違うというのは、具体的には何かわかりますか?」

 リジンは、ノートを繰りながら、スーザンに聞く。

 それを、グアンの研究ノートの材料と突き合わせていく。

「この材料は、治療用の中和薬のものとは違う」

 リジンはそのことが恐るべき結論に至ることに気が付き、震えた。

「今朝、倉庫に入った時は、あったはずなのです」

 スーザンは、そういった。

 干すための薬草も、夜間は倉庫に入れることになっているから、朝、スーザンは薬草を干すために、倉庫に入っている。


「慌てて大きな荷物をかかえていきましたから」


 ドンガはそう言っていた。

 その荷物は、『夜人形』にかかわる薬品ではないだろうか。

 そして、そのことは、また新たな『夜人形』が生まれるという意味なのかもしれない。

「スーザン。急いで警察に通報を」

「エルタニン医師(せんせい)」

 リジンは、スーザンを立たせ、薬瓶を元に戻す。

「急げ。一刻を争うかもしれん」

「はい」

 リジンはノートを手にしたまま、スーザンと研究室を出た。



 


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