第9話 画廊ギルド

 ラセイトス警察本部は、迎賓館からそれほど遠くない位置にある。

 ラスたちは、捜査の報告をするために本部に戻ることにした。

 ムファナ警部は、サナデル皇子の警護にくっついているため、報告は警視であるルギウスに行うように言われているからだ。

 現在、警察はサナデル皇子の公務に振り回されていると言っていい。

 もちろん、迎賓館は通常以上の人数が配置されているし、遊説予定の国会議事堂のほうも厳戒態勢である。

 もちろんこれでは警官の人数が足りないため、軍も総動員されている。

しかし、指揮系統を統一するのがかえって難しいという話もあって、現場は混乱しているのが、本当のところだ。

 救いというべきは、本日の皇子の予定は夕刻までで、そのあとは迎賓館で、執政官と対談するくらいで、派手なイベントは用意されていないということか。

「あら、ラス、そのお花」

 本部に戻ると、エレンがラスに声をかけた。

 エレンは、ラスと同じく警察には珍しい女性であるが、どちらかといえば、事務職担当。資料のとりまとめが主である。

 デスクワークの達人で、しかも美人。気立てもいい。

 当然、相当な人気があり、狙っている男性も多いらしい。

「ひょっとして、ディックにもらったの?」

「え……うん」

 ラスは一度頷いてから、隣のディックの複雑そうな顔を見て、慌てて首を振った。

「捜査上で必要だったの」

「え? そうなの? でも、その花、ミーレスティーバでしょ。帝国ではブライダルフラワーで……」

「余計な話をするな」

 口を開こうとしたエレンに、慌てたようにディックが口をはさむ。

「ただの偶然だ」

「へぇ? そうなの?」

 面白そうな笑みを浮かべ、エレンはラスとディックを見比べている。

 ブライダルフラワー。

 ラスは、花売りのマーガレットがディックに何か耳打ちしていたのを思い出した。

 あれは、そういう意味だったのだろう。

「エレン、本当に深い意味はないの。ディックに迷惑だから」

「そう? 迷惑なのかしらね?」

 ニヤリと、エレンが笑う。

 ディックは表情を消していて、感情が読めない。

 ディックには想いびとがいるのだ。変な噂がたったりしたら、本当に申し訳ない、とラスは思う。

「あたりまえでしょ。でも、このお花、せっかくだから飾っておいてくれる?」

「いいけど、ラスがこの花を受け取ったっていうと、泣くやつがいるかもね」

「……どういう意味?」

「紅一点って、やっぱりあちらこちらから、狙われているのよねー」

 エレンはラスには答えず、花を受け取って花瓶を探しに行ってしまった。

「行くぞ」

 いささか不機嫌に、ディックが背を向ける。変な勘繰りをされたのが不愉快だったのだろうな、とラスは思う。胸の奥がキリキリと痛んだ。

「待って」

 ラスは慌てて、ディックの背を追い、警視の部屋へと向かった。

 警視になると、捜査員とは違って、デスクは個室だ。

 それほど広くはないが、執務机に、応接セット、書棚が置かれている。

 警視のルギウスは父の同僚で、ラスが警察に入った時から、世話になっている。

 頭に白いものが混じりつつあるが、まだまだ体力は若手と並んでもそん色がない。

「それで……何かわかったかね?」

 ルギウスは、ディックとラスを椅子に座らせて、そう言った。

 ディックは、懐から会員証をとりだし、ルギウスに渡す。

「星虹?」

 カードを眺めながら、ルギウスは首をひねる。

「マックインの家にあったものです。会員制のバーではないかと思われます」

「会員制のバーか。どこにあるやつだろうな」

 カードをひっくり返しても、それ以上の情報は出てこない。

 ルギウスは、カードをテーブルに置くと、「それで?」と、続きを促した。

「マックインは、絵描き志望だったようです。どこかの画廊に絵を置いてもらうという話もあったようです」

「なるほど」

 ルギウスは頷いた。

「では、これはギャラリー・バーの可能性があるわけだ」

「ギャラリー・バー?」

 キョトンとしたラスに、ルギウスはにやりと笑った。

「知らないかね? 酒を飲みながら絵を鑑賞するっていう、ちょっと芸術家ぶった人間たちのたまり場だよ。流行っているという話だ」

「はあ」

 ラスとディックは顔を見合わせた。

 正直、ふたりともそういったことには詳しくはないので、ピンとこなかった。

「では画廊ギルドか、商工会をあたると特定できますかね?」

「どうかな。まあ、当たるなら、画廊ギルドのほうがいいかもしれん。会員制だとしたら、趣味的な集まりのような感じで、固定客以外相手にしないってのもあるからな。商売抜きでやっていると、税務署に登録がない可能性もある」

「えっと、それはモグリということで?」

「いや、利益を出していないという意味だが……まあ、『夜人形』に関係するとなると、完全な地下組織の可能性も否定できないな」

 ルギウスはいいながら、机から書類の束を引き出した。

「ここ一年の事件……夜人形となった人間は十名だが……絵を描く趣味があったのは一名。絵画を買ってもおかしくない生活レベルの人間が五名か」

「全員に一致、というわけにはいきませんね」

 ディックの言葉に、ルギウスはにやりと笑った。

「画廊ならそうだが、バーとなれば、単純に酒を飲む客がいてもおかしくはない」

「なるほど」

 たしかに、特殊な店であっても、バーとして魅力的であれば、絵画には門外漢の人物が出入りする可能性だってある。

「ムファナ警部には連絡しておく。お前たちは画廊ギルドに確認に行け」

「わかりました」

 ふたりは敬礼をする。

 もつれたものが、見え始めてきたように思えた。


 

 日は、傾きつつある。

 石畳におちる影が、長くなりはじめた。

 画廊ギルドは、貴族の屋敷の立ち並ぶ一角の大きな画廊の二階にある。

 ふたりは、画廊の受付で警察だと名乗り、ギルドへの取り次ぎを頼んだ。

 落ち着いた白い壁。床には柔らかな絨毯が敷き詰められ、魔道灯が灯されている。いかにもぜいたくで、それでいて、品のあるつくりである。

 もったいぶるように待たされ、案内された二階は、一階に比べて質素で事務的な応接室であった。

 ここに来るのは、客ではなく、画廊ギルドの会員であるから、『もてなす』必要はないのだ。

 ただ、火を扱うことをおそれ、明かりはすべて魔道灯。点灯師が、部屋をゆっくりと回りながら灯りをともしていく。

「お待たせしました。警察の方がどのようなご用件で?」

 やってきたギルドマスターのバランはルギウスと同じくらいの年齢の男だった。愛想のよい笑いを浮かべてはいるが、どこか油断のならない目をしていて、ギラついた印象を受ける。

 したたかな商人の面構え、という感じだ。

「おや、よくみれば美しいお嬢様じゃないですか」

 ニヤニヤと笑いを浮かべ、ラスの全身をなめるようにみる。

「星虹、という画廊を知らないか?」

 コホンと、咳ばらいをしながら、ディックが話を始めた。

「おそらくは、会員制のギャラリー・バーではないかと思うが」

「ギャラリー・バーね」

 バランは眉を寄せた。

「俺は知らんが、とりあえず、調べさせよう」

 バランは人を呼んで、指示をしてから、茶を持ってこさせた。

 調べるのに時間がかかる、ということだろう。

「画廊っていうのはね、いずれにせよ本来画家との契約で成り立つ商売なのだが」

 バランは、茶の湯気を顎に当てながら、語り始めた。

 画廊の多くは、買い上げた画家の絵を展示し、販売する。

 しかし、画商として『絵を商う』以外に、空間貸しとして、画家から手数料を取って展示することがある。

「全てのギャラリー・バーってやつがそうだ、とは言わない。しかし、今この国で流行の店の中には、画家志願の連中から、むしり取るだけという悪質な店があったりしてね。まあ、こういうことを言うと、古い親父が新しいものに文句を言っているだけに見えるかもしれないが」

「というと?」

「絵を置くという空間貸しで、画家から金をとるのは、別段、ふつうの話だ。しかし、画廊ってのは、その絵が自分の画廊の『顔』になるから、しっかり厳選もする。画家のほうも、画廊のもっている販売顧客は、裕福な貴族や商家が相手で、高額な収入が見込めるからこそ、金を払う」

「つまり、画家と顧客をつなぐのが、画廊というわけですね」

 ラスの言葉に、満足そうにバランは頷いた。

「ところが、ギャラリー・バーってやつは、『酒』で人を寄せている。それが悪いとは言わん。普通の画廊より安い値段で空間貸しをするなり、絵を買い取ってやっているならいい。無名の人間が絵を売ることは難しいことだし、それは画家にとってはチャンスだからな。しかし、通常の画廊と同じだけ、画家に金銭を要求している店もある。それは問題だ」

 バランは、大きくため息をついた。

「バーにはたくさんの人間が来るだろう。しかし、必ずしも『絵が買える』人間が来るわけじゃない。もちろん、それは画廊に置いたから売れると決まっていない点では同じだ。だが、絵だけで勝負している画廊と、絵と酒の両方で勝負する商いは、別のものでね」

「つまり、ギャラリー・バーの店主は、必ずしも『絵』や『画家』を選ばないという意味でしょうか」

 ラスの言葉に、バランは頷いた。

「全てではない。つまり『絵を見せる』のか『酒を飲ますこと』のどちらにウエイトを置いているかで、商いはまった別のものになるということだ」

 バランはふぅっと息をついた。

「しかも会員制ということは、周知効果は低い。まあ、格式を保つことはできそうだが」

 よほど思うところがあったのだろう。ひととおり、ギャラリー・バーの否定的なセリフを吐きおえたころ、先ほど指示を出した者がもどってきて、バランに耳打ちをした。

 バランの顔が不機嫌そうに歪んだ。

「どうかしましたか?」

 ラスの問いに、バランは肩をすくめた。

「ギルドには加盟していません。ただ、マルセ地区に、その名のバーはあるらしいです。経営者は、クリスティーナ・ストライド」

「女性、ですか?」

 ディックの問いに、バランは頷く。

「モデルあがりですよ」

「モデル?」

「もともとは魔術師だそうですが、見た目が良いので、モデルで食っていた女性です。ただ、野心の強い女でね。トラブルをしょっちゅう起こしていましたよ。最近話を聞かないと思っておりました。おそらく、どこかで良い金づるを捕まえたのでしょうな」

 バランは興味なさそうに、そう呟いた。

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