最終話 真実
そろそろと、他の子どもたちが歩く気配がする。
ちゃんと全員ついてきているのか、誰がどこにいるのか、何も分からなかった。どこを見ても、そこには暗闇しかなかった。
――いたっ! 誰だよ、俺の足踏んだの。
――私じゃないわよ。
――誰もお前とは言ってないだろ。
子どもたちがこそこそと囁き合う。
そのうちに、子どもの一人が泣き出した。
――もうやだ、こわいよぉ。
――大丈夫だよ、きっともうすぐさ。
お堂の闇は、どこまでも続いていた。私は、この闇に終わりがあるのか不安になってきた。
出口なんて、とっくになくなっていたらどうしよう。一生ここを彷徨うのだろうか。
さっきの元気はどこへやら、私も一緒に泣きたくなってきた。
「おい、本当にこっちで合ってるんだろうな」
すぐ近くでクロの声がした。
隣を歩いていたらしい。私は少しホッとした。
「うん。来る時も、真っすぐ歩いてきただけだから。ただ、こんなに長くはなかったと思うけど」
私は自信なさげに言った。
「なんで、こんなことになったんだろう。あのまま何もなかったら、みんなはこんな目に合わなくてすんだのに」
泣き言を漏らすと、「優しいんだな」とクロは言った。
「これはあくまでも俺の推測だけど、この空間は初めからあったわけじゃないと思うんだ。最初の一人がここに来た時、店は一つしかなかった。そして、人が増えるにつれて店が増え、敷地も広がっていった。――もともとは、何もなかったんじゃないかな。この空間は、何かの拍子に偶然できただけかもしれない。だとしたら、同じく偶然消えることがあっても、おかしくないんじゃないか」
私は感心した。
「へえ、そういう考え方もあるん――あいたっ!」
私は何かに額をぶつけて足を止めた。
手を伸ばした先には壁があった。手探りで壁の様子を確かめて、私は歓喜した。
「やった! 出口だ!」
子どもたちがざわめいた。安堵のため息や、出ることを急かす声が聞こえてくる。
「開きそうか?」
クロが尋ねた。
「ちょっと待ってね。えーっと……」
私は扉を開けるために横板をずらそうとした。子どもたちは、誰もが待ちきれないように口を開いた。
「ねえ、まだ?」
「もうこんな暗いところやだよ。早く出ようよ」
「外ってどんなところかな。まさか、かき氷なかったりしないよね」
「はやく――」
わいわいと後ろから群がられて、私は焦った。手元が動かしにくい。
「ちょっと、分かったから。もうすぐ開くから、だからそんなに押さな――」
パタン、と扉が開いた。
明るい日差しがお堂の中に差し込む。私たちは雪崩のようにどっとお堂から溢れ出した。
草と土の匂いがする。空は濃紺ではなく、よく晴れた水色だった。周囲は鮮やかな緑の木々に囲まれていた。
「……外だ」
誰かがぽつりと呟いた。
その瞬間、皆はわあぁっ、と大きな歓声に湧き上がった。
「やった、外だ!」
「出られたんだ!」
「すごく明るいねっ」
子どもたちは、草の上を飛んだり跳ねたりして喜んだ。
「こらぁ! 何やってんだお前ら!」
野太い怒声に上を見上げると、大型の機械にまたがったおじさんが、窓を開けてこちらを見下ろしていた。機械の長い腕は、まさにお堂の上めがけて振り下ろされようとしている。
「ここはガキどもの遊び場じゃねえんだぞ!」
子どもたちはきょとんとした。
「誰だ? あのおっさん」
「知らね」
そのうちに、子どもたちの身体がきらきらと光り始めた。すぅーっと身体の色が薄くなる。
「あれ、なんだろうこれ」
子どもたちは不思議そうに互いの身体を見る。しかし、なぜか不安や恐怖はなかった。男の子が透けていく自分の両手を見つめた。
「よく分からないけど、悪くないや」
足が、ふ、と地面を離れた。
淡い光の粒をまといながら、子どもたちはゆっくりと空へ昇っていく。優しい光が子どもたちを包んだ。その姿は自然の中に溶け込むように、そっと消えていった。
あとには、きらきらとした光の粉だけが残った。それが完全に消えるまで、私はじっと空を見ていた。
「なんだ、あれ……」
クロが空を見上げてつぶやいた。
機械に乗ったおじさんもぽかん、と口を開けて空中を見つめている。やがてハッと我に返った。
「お前ら、いつまでそこにいるつもりだ! 仕事の邪魔だ、さっさと帰れ」
おじさんの額には冷や汗がにじんでいた。何が何でも、今起きたことをなかったことにしたいらしい。
私とクロは慌ててその場を逃げ出した。
木々に囲まれた細い山道を、とんとんと下りて行く。どこかで小鳥が鳴いた。風もなく、あたりは穏やかだ。
ある程度お堂から離れたところで、クロが口を開いた。
「なんで、みんな消えたんだろう。せっかく出られたのに……」
私は答えた。
「たぶん、時間の差が大きかったんじゃないかな。お堂の中とここでは、時間の感覚が全然違うの。向こうでは一日過ごしたつもりでも、こっちでは百年くらい経ってたりして」
「まさか」
冗談だろ、とクロは笑ったが、私の顔を見てぷつりと黙った。
クロはショックを受けた顔になった。
「マジかよ……」
「いや、今のは極端な例だけど。でも、そんなに間違ってないと思うわ」
私はいたずらっぽく笑った。
「でもその理屈でいくと、俺はどうやらこの時代の人間らしいな。残念ながら、何も覚えてないけど」
クロは肩をすくめた。
「あっ、そのことなんだけど」
私は立ち止まって、首の後ろに引かっけていたものを外した。
それは、少年の顔をした面だった。私は言った。
「これ、あなたのお面。走ってる途中、たまたま見つけたの」
「本当か!」
クロは驚いた顔をした。
「でも、なんで俺の面だって分かったんだ?」
「記憶を取り戻してから、なぜか私にはあなたの顔が見えるのよね。理由は全然分からないけど」
私は首を傾げた。
そう、私には今もクロの顔がはっきりと見えていた。
澄んだ黒い瞳に、細くてしっかりとした眉。記憶が戻る前は、確かに見えていなかったはずなのだが。
クロは怪訝そうに眉をしかめた。
「こんなことは初めてだな」
「まあ、とりあえず受け取ってよ。もしかしたら、何か分かるかもしれないし」
私は面をクロに差し出した。
クロは面を受け取った。面は私が手にした時と同じように、触れたところから光の粒になって消えていった。それ以外は、特に何も起こらなかった。
クロは、面を受け取った姿勢のまま固まっていた。その目は驚いたように少し見開かれている。
「どう? 思い出した?」
私が聞いた。
クロは私の顔を見て、目をぱちくりと瞬いた。そして、ふっと微笑んだ。
「――ああ。全部」
その時、山のふもとの方からバサ、と物音がした。
見ると、道路の道脇で一人の女性がこちらを見つめて立っている。足元には、野菜の入った袋が落ちていた。
私は大きく息を呑んだ。
「お母さん……!」
女性は落とした野菜もそのままに、走って階段を駆け上がって来た。
「さくらっ」
息を切らしながら私たちの前に現れた女性は、隣の少年の姿を見てハッと息を止めた。
クロは穏やかな表情をしている。女性は、信じられないようなものを目にしたような顔をした。
「うそ……
私は驚いたようにクロを見た。
春樹……
その名前なら知ってる。小さい頃よく一緒に遊んでくれた、私の大事な――
クロが頷いた。
女性がわあぁっと泣き出した。
気づけば、私たちは二人とも大きな温かい腕に包み込まれていた。それは優しくて、気持ちがよくて、とても安心感があった。
クロは目を閉じた。
「ただいま、母さん」
母の腕は小さく震えていた。
「もうっ、こんなに長い間、どこに行ってたのよ! もう死んでしまったかと思った……。春樹がいなくなった上に、さくらまでいなくなって。この一年間、気がどうにかなりそうだったわ。だけど、二人とも生きてたなんて。本当に、本当によかった……!」
母は二度と離すまいとするように、ぎゅっと私たちを抱きしめた。
母の話によると、兄の春樹が消えたのは九年前、私が三歳の時だったという。
近所の友達とあの祭りに行った夜、春樹は一人で姿を消した。友達との肝試しの最中、春樹だけがいつまで経っても戻って来なかったのだ。次の日、警察が総出で探したが、春樹が帰ってくることはなかった。
そしてその五年後、妹のさくらが同じ場所で姿を消した。
母は耐えられなかっただろう。二人の子どもが、二人とも同じ条件で消えたのだ。母はもう二度とあの祭りに行かないと誓った。
しかしお堂の取り壊しが決まり、さくらが強く希望したこともあって、母は仕方なく最後の祭りに出掛けたのだ。さくらが再び消えた時には、母は絶望と後悔のあまり、仕事を辞めて実家に引きこもってしまったという。
「やっぱり、祭りになんか連れて行くんじゃなかった。あそこは呪われているに違いないわ!」
母は涙を流しながら言った。
「それは違うよ、母さん」
春樹は言った。そして隣の私を見た。
「さくらが来てくれたから、俺は帰ることができたんだ。そうでなかったら、俺は今ここにいない。さくらが、俺を連れて帰ってくれたんだよ」
「そうなの?」
母は、涙が溜まった目で驚いたように私を見た。
私は少し照れくさそうに頬をかいた。
「まあ、そういうことになるのかな」
会いに行ったことは確かだが、まさか一緒に帰られるとは思ってもみなかった。しかし、結果的にそうなったことは事実だ。
母は春樹を上から下まで見回した。
「それにしても、あなた九年前と全く変わってないのね。一体どういうことかしら」
「さあ。俺にも分かんないや」
春樹はすっとぼけた。私たち三人は声を立てて笑った。
「まあいいわ。とにかく、帰って来たんだから」
母は涙を手で拭いながら言った。
私は戸惑ったように兄を見た。
「でも、まさかクロが
「何言ってんだよ。お前がでかくなったんだろ」
「あっ、そう言えばキーホルダー……」
私は浴衣の間を探った。懐に入れたはずのクマのキーホルダーは、跡形もなく消えていた。
「やっぱり、なくなっちゃった」
私は残念そうに言った。
お堂の向こうのものは、こちら側には持って帰れない。一度目にぬいぐるみを持って帰ろうとしたときから、分かっていたことだ。
「気にすんなよ。また取ってやるって。これからは、消えることもないしさ」
春樹が明るく言った。
「何の話?」
母が興味津々に尋ねた。
私たちは三人で並んで階段を下りた。
空はからりと晴れていい天気だ。
広がる田んぼが緑鮮やかに目に映る。ちりんちりん、と風に乗って風鈴の音色が届いた。
夏はまだ、始まったばかりだった。
夢幻堂 鈴草 結花 @w_shieru
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