【短編】1Gの世界 宇宙ステーションに残された最後のアンドロイドと、最後の宇宙飛行士たちの、最後の一日。

上原 友里@男装メガネっ子元帥

1Gの世界

 高度400キロメートル。全長約1キロメートル弱。中心を走る無骨なトラスを取り巻いていくつもの円筒形をしたモジュールが連なる。銀色にかがやく排熱パネル。昆虫の羽のように対称的に左右へ広がる太陽電池パドル。


 宇宙研究ステーション、オリファン。


 一周92分で地球周回軌道を巡りながら、僕はさまざまな目で大地を見下ろしている。大気や気象、宇宙現象の観測、通信中継、電力送信、また高真空状態における実験データの収集。

 今もそれは変わらない。青い海。白い雲。緑と茶色の大地。凍り付く極地。灼熱の赤道地帯。豪雨。砂嵐。ハリケーン。それらは一つの所属カテゴリにまとめられる。


 地球。


 地球は僕がまだ知らない9.80665m/s2、標準重力加速度1Gの世界だ。僕は地球へと落ちてゆきながら遠ざかっている。

 まだ?

 違う。そうじゃない。僕は想起されるイメージから逆引きしてより適切なワードを探し直すことにする。まだ、とは、予想される、あるいは実現されていない状態を示す。これは不適切だ。僕は地球に近づくことを許されていない。従って表現し直す。


 地球は、僕が永遠に知ることのできない、1Gの世界。


 ドッキングノード16の端末ターミナルから連絡が入る。ラストミッションクルーが到着。発行IDとの照合検査終了、検疫処理終了。受け入れ作業完了。ようこそオリファンへ。


 事前に受け取っていたクルーリストをチェックする。

 ラストミッションコマンダー、デイビット・バンドウ。

 サイエンスオフィサー、エリオノーラ・フロレンス。

 ミッションエンジニア、ハンフリー・シュトロフ。


 僕はターミナルへと移動する。彼らを出迎えにゆかなければならない。


 ハンフリー・シュトロフは、あまり身なりに気を遣う男ではなさそうだった。金髪を無造作に掻き上げて周りを見回している。うんざりするほど杜撰に伸ばした前髪と無精髭。

 一方のデイビット・バンドウは東洋系のおだやかながら切れる印象のある男で、振る舞いはさながら動画データでよく見る上級武士のようだった。

 最後の一人、エリオノーラ・フロレンスだけが僕の姿を見て目を押し開いた。

「アンドロイド?」


「はい」

 僕はうなずく。

「僕はオリファンのターミナルです。ようこそ、オリファンへ。システムは皆様のご到着を歓迎いたします」


「今までご苦労だったね」

 バンドウが言う。僕はプログラムされたとおりの完璧な微笑を返してみせた。

「長い間、地球の皆様のお役に立てたことを光栄に思います。本当にありがとうございました」


 美しいフロレンスが突然顔をそむけ、唇を引きしめる。僕には彼女がそのような態度を取る理由が分からない。


 バンドウがフロレンスに近づき、耳元に何かをささやく。フロレンスはようやく微笑み、何度かうなずいて「分かっています」と答えた。シュトロフは肩をすくめているだけだ。


 そしてラストミッションは開始された。



「十年前だったかな」

 ハンフリー・シュトロフはぞんざいに首を振りながら僕に語りかけた。


「何のことでしょうか」

 ミッションに必要なデータをターミナルの手の甲にはめこんだホログラムプロジェクターに表示させながら僕は訪ね返す。中空に銀灰色のフレームパネルを模した透過ホログラムガジェットが浮かび上がり、穏やかな色調の表示をスクロールさせてゆく。


「いや、なんでもない」

 シュトロフは語尾を濁す。何でもないとはつまり、オープン会話ログのバックアップを破棄しろということだろう。おそらく。


「ハンフリー」

 ウィスパーが入る。フロレンスだ。僕はコールに応じ、ホログラムパネルにフロレンスのいる管理室の映像を投射した。

 ヘッドセットを装着したフロレンスの知的な表情が映し出される。

「ノード8へ移動して。生循環システムを制御モードに切り替えるわ。モジュール9以降は本日21:00をもって完全に閉鎖します」


 通路の照明も半分が落とされている。不要な備品のほとんどは宇宙に廃棄された。今、ステーション内に残っているのは、落下処理では環境に有害な物質が大気中に放散される可能性が大と判断された過去の実験機材や有用な稀少金属資源だけだ。これらは莫大な輸送費をかけて地球へと送り返されることが決まっている。


 その日も不要な機材を処分した。誰も使っていない倉庫に数十年前の賑わいが残っている。シュトロフは手持ちのハンドライトを使って倉庫の内部を照らし出す。

「何もないな。A7も廃」


 言いかけて。

 立ち止まる。


 僕はシュトロフの視線を追いかけた。古いアップライトピアノが一台、ほこりすらかぶらずに残されている。

 シュトロフはピアノに近づいた。蓋を開ける。黄ばんだ白い鍵盤が現れる。指先でCを打鍵するとF#の音に聞こえた。シュトロフは目をまるくする。

「本物じゃないか。驚いたな」


 ぽつん、ぽつん、一本指で弾く。僕はそのメロディを知っている。

 通信が入った。ホロディスプレイにフロレンスの苦々しい顔が現れる。

「なあに、そのへたくそなピアノ」

「小学生まで習ってたんだ」


 Alas, my love, you do me wrong


 フロレンスが歌い出す。低く、静かな声だった。僕は耳を傾ける。すぐに歌うのをやめて、フロレンスはからりと声を明るくさせた。

「ねえ、パーティしない? ピアノを弾いて、みんなでシャンパンを開けるの。素敵じゃない?」

「そんな余計な時間も物資もあるわけないだろ。仕事だ、仕事」


 シュトロフはモジュール壁のハンドレールにつかまりながらゆっくりと移動し始めた。だがよく周囲を見ていなかったのだろう。ロッカーの荷物を運んだ際にこぼれ落ちたらしき工具袋に思い切り蹴躓く。

「しまった」

 低い位置に漂っていたのできっとよく見えなかったのだろう。着脱テープがはずれ、中の工具がばらばらに遊泳して壁に衝突した。するどく跳ね返って四方八方へと散らばってゆく。


「どうしたの、ハンフリー。すごい音がしたわ」

 フロレンスがパネル越しに驚いた声をかけてくる。僕は急いで工具を回収にかかった。小さな工具とはいえ加速度の付いた金属の塊だ。シュトロフに命中でもすればきっと模造銃並みの威力で彼の骨を砕いてしまうに違いない。


 シュトロフは冷や汗をかきながら苦笑いを浮かべた。

「何でもない。昨日放り出したゴミの一部が船内デブリになってたんだ」


 僕は心外に思ってシュトロフの顔を見やる。

「デブリ衝突防止ダンパー探傷データに異常は見られません。再度スキャンしますか」

「不要だよ、オリファン」

 シュトロフの声は奇妙に低かった。



 アンドロイド型ターミナルは通常、宇宙空間での危険な作業や苛酷な環境実験などに投入される。人間が自ら挑戦するには苛酷すぎる環境において「人間の代わり」にデータを取得するためだ。そのため、骨格から人工内臓の強度、循環液にいたるまで限りなく人間の肉体に近く作られている。それらはすべて、オリファン・プロジェクトのために創造されたものだった。


「ターミナルデータはラストミッションですべて破棄することになっているの」

 白衣を着たフロレンスは待機する僕に背中を向けて言った。

「オリファン・プロジェクトは偉大なプロジェクトだったと思うわ。でも、もう、過去の遺……技術でしかないの。オリファン、分かるかしら」

「はい」


 僕は丁重にうなずいてみせる。彼女が行っているのはそのデータのバックアップ作業だ。


「オリファン・プロジェクトは四十年前に計画立案されたもので、供用開始は三十年と一ヶ月前。十年前にプロジェクトが縮小されてからは設備の交換も行われておらず、また機材老朽化、放射線保護材の脱落、局所的エア洩れ、デブリ衝突による回転軸のぶれ及び速度低下などステーション機能に致命的な支障を来しつつあります」

「もう十年になるのね」

 フロレンスはパネルコンソールに触れる手を止めた。天井を見上げている。


「わたしはまだ子どもだった。不思議なことにエンジニアのハンフリーも同じことを言っていたわ。十年前、あなたのニュースを見たって」


「十年前のニュース」

 記憶にない内容。僕は過去ログから該当の部分を探すべきかどうか迷ったがやめておくことにした。フロレンスのタスクに余計な負荷をかけたくなかったからだ。


「あのときは本当にびっくりしたわ」

 フロレンスは初めて楽しそうに声を上げて笑った。

「ハンフリーったら、あなたを壊すなって国際宇宙開発協力公社にものすごい抗議のメールボムを大量に送りつけたらしいの。あなたはただの機械じゃない、たとえ三原則の遵守を失敗したとしても緊急避難的に存在が許されるべきだってね。そんなとんでもないことするのはわたしだけだと思ってたのだけれどね」


 僕はフロレンスの表情筋の動きを眼で追いかけた。表情パターン2。笑顔。どうやらフロレンスは僕との会話を楽しんでくれているらしい。

 それは、嬉しいことだった。



 ラストミッション最終日。

 収納場所がなくなったターミナルたちの処分が始まっている。


 僕を構成するモジュールはコマンダーのバンドウやフロレンス、シュトロフたちが滞留する居住モジュール1、ドッキングノード2、作業アームを除いてほぼすべて解体分離されている。太陽の光をうけ虹のようにかがやいていたパドルも折りたたんだ。発電量は最盛期の100分の1。僕自身もセーフモードでの処理しか行えない。


 今も循環システムに全能力を振り分けているせいでその他の処り能りょくが目に見えて下降している。


 だが、それは致し方ないことだ。

 む理はしなくてもいいとバンドウもいってくれてい る


 でもなぜ こんなところにいるのか ともすれば

 わすれてしまいそうにな

 る


 ぼくは


 いま  なにを しているの   だろ う


「オリファン」

 冷徹な声に僕は眠りから覚めた。

 どうやら再起動されたらしい。


 ようこそ、オリファンへ。僕はにこやかに歓迎の意思を表明する。

 地球の皆様。僕はオリファンのガイドシステムです。地球の皆様のお役に立てることをこころからうれしく思います。本日の御用は何でしょうか?


「ターミナルを一つ起動してくれ」

 バンドウは表情を変えずに言う。


「はい」

 コントロールルームの隅に立てかけておいた省電力モードのターミナルを起動する。僕はターミナルへ音声会話処理を移動させた。


「連邦の歴史科学博物館からオリファンのターミナルを一体、常設展示したいとの依頼を受けている。可能だろうか」

「可能です」

「もっとも君らしいターミナルを残したい。それが」

 バンドウは不思議な表情を浮かべた。

「私たちの願いだ。今まで地球のために働いてきてくれたオリファン、君の名を永遠に未来へと語り継ぐために」


「君らしいターミナル」

 僕は聞き返す。認識できない文脈だ。

「認識エラー。申し訳ありません、言語ライブラリにアクセスできませんでした」

「分からないか。そうか。ではこのターミナルでいい。スタンドアロンで起動した後、オービターに搭載しておいてくれ」


「了解しました。少々お待ち下さい」

 僕はターミナルの管理権限を委譲しネットワークから遮断した。再起動する。


 かつてターミナルだったアンドロイドは、ゆっくりと眼を開けた。いささか処理が鈍重でぎごちないが、幸いにしてエラーを起こすことなくバンドウの命令どおりに動いている。


 彼はもう僕ではない。

 彼はきっと新たな世界を知ることになるだろう。僕が永遠に知り得ない、1Gの世界を。



 僕は知っている。

 オリファンは地球周辺に存在する最も巨大なデブリだ。


 すでに研究ステーションとしての機能は十年前に停止し、それからは静かに周回軌道上の墓場をずっと回り続けている。誰も必要としなくなった計測データを無駄に集積しつづけながら。

 だが宇宙デブリ問題はもはや収拾がつかないほど肥大化している。相互衝突を繰り返す無数のデブリがやがて僕の軌道を急激に変えるほどの事故を引き起こすであろうことは科学者ならば誰しもが予想し警告できることだった。


 もし、地球上の大都市に落下したら。

 僕は数え切れない人命を奪ってしまう。


 ラストミッション。それは。

 度重なるデブリとの衝突で速度を落としつつあった僕を爆破解体し、破片を急角度で大気圏内に突入させることによって滅却処理することだった。


 音楽が流れている。シュトロフが僕のためにデータを取り寄せてくれたのだという。オルゴールを模した小さな伴奏と、誰かの歌う声。

 壊れたピアノでは奏でられない歌。


 最後のオービターがドッキングしていたノードも、バンドウ、フロレンス、シュトロフの三人が搭乗したあとに封鎖した。

 決められた時刻、決められた角度でオービターを切り離す。

 恐ろしい速度で彼らは離れてゆく。大丈夫。彼らならきっと無事に地球へと帰還できることだろう。


 『さようなら』。それがフロレンスが書いたコードの名前だ。


 さようなら、フロレンス。

 僕はプログラムされた通り、制御ロケットに点火する。

 急激な制動がかかる。僕の形骸は宇宙軌道上で飛び石のように跳ね、急角度に失速する。


 『忘れない』。そうシュトロフが名付けた自爆プログラムを実行する。僕は炎に包まれる。


 ありがとう、シュトロフ。僕も、君を、忘れない。


 宇宙そらが燃えている。

 僕は、落ちてゆく。


Greensleeves was all my joy

Greensleeves was my delight,

Greensleeves was my heart of gold,

And who but my lady greensleeves.


 歌が聞こえる。

 いつか、きっと、夢に見るだろう。シュトロフやフロレンスが暮らす青く美しいみどりの地球を。永遠に知ることのないと思っていた、あの1Gの世界を。

 ──地球へと旅だった、が。


 宇宙に別れを告げ、無数の流れ星になり、そして消えてゆく──の代わりに。



 地きゅうの みなさ まへ


 今まで ありが とうござ いました

 皆様の お役に 立てま した ことを

 僕 は

 こころから

 光えいに おも

 って

 います

 さよ な 

 ちき ゅうの み な さ







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