浜辺の二人

青瓢箪

浜辺の二人

『浜で月見と洒落込まねえかい?』


 タカがミワにそう告げると、ミワは卵型の可愛らしい顔をほのかに歪ませ、その小さな唇に笑みをたたえた。


 終戦から三年。

 出征する前に見たときと変わらずミワは愛らしい女だったが、清楚な美は消え失せ、何処と無く婀娜っぽい色香がその身から滲み出ていた。


 昼間、タカの住む集落で祭りがあり、久々に幼馴染たちと飲み語りあうなかで、ひっそりと隅っこに佇む女のすがたをタカは見つけたのだった。いやに綺麗に着飾ったその女をタカは横目を細めて見つめた。

 紫の波紋の着物を着て、黄色の帯を締めた女のその細首は長く白く、際立っていた。

 つい最近、幼い子供を一人連れて帰ってきたらしい。


『パンパンやってたらしいぜ』


 声をひそめてタカに教えた隣の友人に、タカは酒を流し込む手を止めず頷いたのだったが。


 * * *


「酔ったときだけ憂さが少し晴れるぜ。畜生。おい! 俺の脚を食いやがった憎い鮫公め! 聞いてやがるか」


 タカは杖を振り上げて、冗談めかし夜の海へと叫んだ。円い月が昇り、海面は眩しいくらいに光を反射している。ざざあ、と波は静かな浜辺に寄せては返し、潮風はあたりが柔らかく、気持ちの良い夜であった。

 この海は南のラバウルへも続いている。


 昭和18年。

 ダンピール海峡でタカは艦から海へと投げ出され、鮫に片脚をくれてやったのだった。


「タカちゃんはご立派に勤めを果たしたわね」


 ミワが風に消えるかのようなか細い声で応えた。


「なんでえ。わざとらしいこと言うじゃねえか」


 振り返り、タカは幼馴染の女を見下ろす。

 海風にあぶられ、女の後ろでまとめた髪がほつれ耳元で揺れている。月光の下で女の美しさは冴えわたり、ぞくりとくるほどである。

 女の大きな瞳は濡れたように輝き、その顔は白い花が闇に咲いたようで、口元は微笑していた。


「本当のことよ。タカちゃんは命がけでお国のために戦ったのだもの」

「俺は帰ってきたんだ。本当の英雄は帰って来ねえ奴らだよ。申し訳ねえ」


『ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア』と、タカは謡った。


「それでもよ。私は夫の忘れ形見でさえ守れなかったわ」


 ミワの二人の子のうち一人は身体が弱く、折角終戦まで生きのびたのに餓死同然の栄養不良で死んだという。


「下の子がまだ居るじゃねえか。お前は立派だよ」

「あの子は誰の子か分かんないわ」


 あっさりと白状したミワに、そうかい、とタカは低い声で呟いた。

 白地に青い円を描いた浴衣の角帯に手を挟み、残った足を見下ろすと、なんとはなしにタカは指の間の砂をこすり合わせた。


「あら、犬」


 ミワの声にタカが顔を上げると、真ん前に白い犬が尻尾を振って舌を出し立っていた。青い首輪をしている。近所の犬だろう。


「何も持ってねえぞ。ごちそうは食って来たんだからよ」


 しっし、と杖で追いやると白い犬は飛びさすって後ずさりしたものの二人から離れようとはしなかった。

 再び歩き出した二人の前をさくさくと先に歩いていく。


「灯りなんざいらねえや」


 きらきらと月光が舞い踊る海面の先には大きな島が見える。

 その島の家々の灯りが蛍のようだとタカは思った。

 無数の蛍のひとつひとつには、それぞれの家族が温かく暮らしているのだ。


「まあ、なんだ。俺がお前をもらってやってもいいぜ」


 タカは勢いに任せて言った。


「お互い傷物なんだしよ、遠慮なしでいいんじゃねぇか」

「タカちゃん、あんた、それを言うために私を浜に連れ出したの?」


 あきれたようなミワの声にタカはカッとなり、前を歩いていた犬の尻を蹴飛ばした。

 きゃん、と鳴いた犬はそれでも逃げようとはせず、恨めしそうにタカの顔を見上げるだけだった。


「お前も俺にそれを言わせるために、ついてきたんじゃねえのか」


 ざくり、と義足の足を砂に埋め込み、タカがミワに向き直ると、ミワはタカを見上げて、ええそうよ、と静かに囁いた。


 そのまま二人はしばらく見合った。

 お互いの妥協や嘘、かつての幼い恋心といったものを探ろうとでもするように。

 どちらが上なのか、値踏みするように。


「私たちはお互いが必要だわ」


 まっすぐに飛び込んでくるミワの目に、タカはすでに後悔していた。


「もう少し、歩かねえか」


 目をそらし、タカは先の浜へとミワを促した。ミワは大人しくついてきた。


 昔は可愛い女だったのに。

 俺がいじめたらすぐにめそめそ泣いたのにな。


 浜で遊んだ幼い頃の思い出を起こしつつ、タカは眼前の風景を眺める。


 ぽかりと浮かんだ月に照らされた砂浜、海辺の家々、そそり立つ岩山に生える松の木。

 鏡のように光を跳ね散らかす波、島と島をつなぐ影橋。


「タカちゃん、私、小さい頃タカちゃんが好きだったのよ」

「けっ、調子のいいこと言ってやがる」


 目の前に横たわる景色のように、変化はしてもその本質と清らかな美しさはあの頃のまま変わってはいないはずだと、タカはミワのことをそう思いたかった。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浜辺の二人 青瓢箪 @aobyotan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説