第二十話 告白
紫音とフェルナンは、マッカレルの宿へ向かっていた。向かう宿はレーギュストに質のいい宿として紹介された宿だ。
赤煉瓦で作られた温かみのある外観。緑色の扉をあければ、右手がすぐ受付。左手の奥には簡易な食事処になっているようで、人の話し声が聞こえてくる。
「いらっしゃい」
「二人だ。空いてるか?」
カウンターから、赤茶色の髪を持った女性が声をかけてきた。フェルナンが近寄り、二本の指を立てて人数を伝える。
チラリと後ろにいる紫音の姿を確認した女性は、一つ頷いてから鍵を手渡した。
「一部屋でベッド二つ、二階の奥の部屋が空いてるよ。何泊?」
「次の水の日まで頼む」
この世界では、闇、炎、水、風、雷、土、光の日の七日を一ノ週と数える。今日は水の日なので、一週間分の宿泊を頼んだのだ。
「はいよ。一泊一人 30S。二人だと少し割り引いて、合計 50S でいいよ。七日間だから、3G と 50S ね」
言われた通りの金額を出すフェルナンを視界に入れながら、紫音はフェルナンの出した硬貨を真剣に数える。細かいところから情報を入れていかないと、覚えられる気がしないからだ。
「期間を伸ばしたい場合は、期限の前日までに行ってくれれば対応できる。あ、あと食事は別料金にはなるけど、朝と夜なら奥の部屋で食べれるからね」
「ああ、ありがとう」
差し出された鍵を受け取り、階段へと向かうフェルナン。受付の女性に軽く頭を下げてから、紫音もその後ろ姿を追った。
「さっきは話途中で悪かったな」
鍵を開けて開いた扉の先。淡いブルーのブランケットが敷かれたベッドが二組と、真ん中にはランプが乗った小さな丸机があった。
扉の近くのベッドに座り、フェルナンは荷物を床の上に下ろす。紫音は窓側のベッドに近づき、フェルナンの方を向いてそこに腰を下ろした。
「続き、今話せるか?」
ゆっくりと、はっきりと話すフェルナンに、紫音はしっかりと頷いた。
ずっと黙っているわけにはいかない。いつか必ずボロが出てしまう。ならば、信頼できる人には自分の口から伝えたかった。
来た当初は信じたくなくて、信じられなくて、まとまってない頭。状態でうまく説明できる自信はなかったし、話したくはなかった。
だが、今はもう信じるしかないと思い始めている。そう思わせた一番の要因は、初めての魔物との戦闘だ。
「……私は」
始めて戦った魔物。初めて使った魔法。
「この世界の、人間じゃないんだ」
初めて、他人に口にした。ただそれだけなのに、自然とこみ上げてくる何かをグッと堪える。
「この……世界? どういうことだ?」
その意味を正しく理解できていないからか、フェルナンは小さく首を傾げた。疑問の方が先に出てきてくれたおかげか、問い詰められたり否定されなかったことに安心しつつ、紫音は再び口を開く。
「私はもともと、魔物や……魔法なんてものがない世界から来たんだよ」
「魔物の……いない世界? 田舎にいたから会わなかったんだろう?」
「フェルナン」
ケドゥス領の領主、オーランドにもらった地図を、ランプが乗った丸机に広げる。
つられるように、ベッドの上の方に移動して座り直したフェルナンの目の前で、机の脇に置いてあった紙とペンのようなものを手に取った。
「……これが、私が来た世界の地図だよ」
地図よりはるかに小さなメモ用紙。そこに書き込まれたのは、日本を含む、各大陸たち。大陸や、広がる海の名前もきちんと書き込んで見せれば、フェルナンの瞳が徐々に大きく見開かれる。
「これは……」
「私は、ここから来たの」
ペンで日本を指す。JAPAN と書いて伝わるかわからなかったので、ローマ字で書いた NIPPON という文字。食い入るように視線を落としていたフェルナンが、ようやくゆっくりと顔を上げた。
「ついでに言うと、私がかける文字はこれなんだ」
漢字やカタカナで日本、ユーラシア大陸、太平洋などと書き込んでいくと、フェルナンが顔を左右にブルブルと勢いよく振った。
「え、どうし——」
「違う世界か。ようやくわかった気がする」
色々な情報を処理しきれず、スッキリさせるために頭を振ったフェルナンは、小さな声で、それでもはっきりとした言葉を落とした。
「金がない理由。変な服の理由。炎の色が青い理由」
「うん」
指折り言われたそれら。前半二つに少し恥ずかしさを感じつつ、紫音はしっかりと頷いた。
「言葉が話せるのに読めないのも、それでか?」
「話せるのはなんでかわからないんだけど、読み書きができないのはそれでだね」
正しくは、勉強をしっかりとしてこなかったからなのだが、言わなくてもいいかと口を噤んだ。改めて、バカなんだなと思われる必要はない。
「先を急ぎたいのは……」
「帰る方法を、早く探したいから」
まっすぐと芯の通ったその声に、フェルナンは一度口を引き結んだ。
「なんでこっちに来たんだ」
「……わからないの。なにも」
なんとなく予想はしていた。常識も知らず、金も持たず、時折不安げな表情を浮かべていた紫音を見ていたから。
フェルナンに伝えながら、紫音は自分自身の腕でその体を抱きしめた。わずかに震える体から、今も不安を感じていることがよくわかる。
だが、その辛さの程度をはかることはフェルナンにはできない。
「俺には、旅をする仲間はいない」
「……? うん」
唐突に、旅の初めにも言っていたことと似たようなセリフを口にした。予測できなかったその言葉に、紫音は思わず顔をあげて、フェルナンの綺麗な青い瞳を見つめる。
「お前は……あー、あれだろ? きっとこれからも旅をするんだろ? 帰る方法を、探すために」
次いで、歯切れ悪くボソボソと呟く。チラチラと向けられる視線を不思議に感じつつ、紫音は無言のまま顔を縦に動かした。
「……つ……いい、ぞ」
「え?」
さらに小声になった声に、聞き取れなくて聞き返す。すると、キョロキョロとしていたフェルナンは覚悟を決めたように膝に乗せていた両手を握りしめ、紫音を見つめた。先ほどまでと違い、その瞳がそらされることはない。
「俺も……着いて行ってやってもいい」
「……っ」
喉の奥に何かが使えて、紫音はうまく声を出すことができなかった。
口を開けて、閉じてを繰り返して、最終的にはぐっと引き結ぶと同時に潤む瞳。それでも、溢れたものをこぼすことなく袖口で拭いて顔を上げる。
「着いて、来てくれるの?」
「ああ」
「私、お金ないよ?」
「……一緒に依頼をこなせば問題ないだろう」
即答で返されたイエスの言葉。なんだか照れくさくなってふざければ、口元を緩めて優しく笑ったフェルナンに、胸が温かくなる。
「フェルナン」
「ん?」
「……ありがとう」
溢れ出てきた想いをうまく伝える言葉が見つからずに、結局ありきたりな一言しか言えなかった。
それでも、堪えきれなかった想いが一粒。涙として、紫音の頬を伝い落ちていく。
かける言葉が見つからず、また、泣いている顔を見つめるのも失礼な気がして、フェルナンは部屋の中に視線を巡らせた。当然、それだけで気の利いた言葉が湧いてくるはずもない。
「あー……なんだ、その」
無言なのもなんだかいたたまれなくなって、無理やり声を出してみる。同時に紫音に視線を向ければ、座っていたはずの彼女は、いつの間にかベッドに体を預けていた。
「……寝た、のか?」
耳を澄まさずとも、確かに聞こえてくる寝息と上下する胸。まだわずかに濡れた跡が残る頬から、泣き疲れたのだろう。
だがそれ以上に、この世界に来てしまったことを、突拍子のないその話を、自分でも信じたくない出来事を。今まで誰にも言えなかったことでストレスが溜まっていたのかもしれないと思うと、フェルナンは胸が少し痛かった。
シャワールームに入り、蛇口をひねって水で少し指先の毛を濡らす。水滴の滴る人差し指の毛を軽く絞って、紫音の元へと近づいた。起こさぬようにそっと頬に触れて、指先で涙の跡を優しく拭う。
「ゆっくり休め」
自分のベッドにあったブランケットを紫音の上にかけて、フェルナンはマットレスの上にそのまま横になった。体毛のおかげもあり、寒さは特に感じない。
横を向けば、紫音がいる。
誰かと同じ宿に泊まるという今までなかった行為にむず痒さを感じつつ、フェルナンは静かに目を閉じた。
「また、明日」
眠気からか、疲れからか。少しかすれたその声は、空気を震わせたあと、静かに溶けて消えていった。
物理特化の聖女様 緋雨 @Ame0126
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