あのね

よもぎもちもち

第1話 先生とのお話

 緊急速報です。2月28日午前10時頃、新宿税務署通りで無差別殺傷事件が発生。被害者は韓国人女性3名、中国人女性1名。搬送先の病院で2人が心肺停止。目撃情報では「刃物を持った不審な男が走って逃げた」という情報がありました。犯人は現在も逃走しており---


 「ああ。よく来てくれたね」


 「先生。僕なんかのために時間を作って頂いて。ありがとうございます。今日はお礼を言いたかったのと、また、“あいつら”に苦しめられていることをお話したくて」

 

 先生は座り心地の良さそうな上品な皮のイスに深く腰掛け、テレビのスイッチを切る。そして僕に話を促した。

 「それで、今回はどんな“あいつら”だったのかな?」


 「小さな女の子1人だけでした。8才か9才くらいの」


 「その子が君に何か囁いたんだね?」


 「・・・はい。」

 僕は英国羊毛で織られたという赤いチェック柄のベストを見つめた。先生は大学の研究室にいる時も、シャーマン学講義の時もお洒落だ。


 「実は一昨日、鎌倉へ行きました。大仏を観たり、仲見世で食べ歩きをしました。そして、昭和の佇まいの古い喫茶店へ入りました」

 

 「続けて」

 先生はまるで赤子を愛でるような優しい眼差しで僕を包んでくれる。


 「はい。そのお店は何と言うか、雰囲気がちょっとおかしくて。外観はレトロで良い雰囲気でも、一歩中に入るとミロのヴィーナスの彫刻や武将の鎧なんかが飾ってあって、・・・異様だったんです」


 「異様だった」

 先生が鸚鵡返しする。訓練された卓球の選手が的確にボールを返すように。


 「異様、と言うか異常を感じたのは、その装飾品の中にあったお菊人形なんです。大きさは60cmくらいかな、その種類では不気味って言うか・・・」


 「なるほど。それで君にちょっかいを出した犯人はその人形だったのかな?」


 僕は媚びる大型犬のような目で先生を見上げる。高さは対等の筈なのに、先生を前にすると僕はいつも先生を崇めてしまうから。現実の距離感と、心のそれとは比例しない。  


 「嫌な予感はあったんです。でも気にし過ぎだろう、と気持ちを切り替えて。アイスコーヒーを注文し、小説を読みました。時間にして、せいぜい40分くらい。特に何事もなく、お会計を済ませ湘南新宿ラインに乗りました。駅を降り、近所の“ほっともっと”で肉野菜炒め弁当を注文して部屋へ持ち帰り、テレビのチャンネルを回しました。ちょうどマツコDXがおにぎりを食べていたところです。」


 僕はそこで話を区切った。大事な話をする時は一呼吸置いた方がいい。

 話すスピードはゆっくりと。そして声のトーンを落とす。人は無意識に耳を傾けるから。

 こうして先生と話をするのに必要ない事かも知れないけれど、そう教えて下さったのは先生本人なのだから。


 「・・・シクシク、シクシク、と泣き声が聞こえてきました。僕の住んでいるアパートは全部で4部屋、他の3部屋は空き室です。何よりその擦れるような泣き声は、リビングで肉野菜炒め弁当を食べている僕の真後ろから聞こえてきました」


 「なるほど。ちょっと整理させてくれないか。君が喫茶店で見たお菊人形。それに憑いていた少女の霊が泣き声の主。それで、君にどんなことをしてきたのかね?」

 

 「その泣き声がどんどん大きくなって、パッと静かになりました。そして僕の右耳で・・・ありがとう・・・って」


 「ありがとう」

 先生は注意深く言葉を選ぶ。緻密なダイヤの最終工程で研磨する熟練工のように。


 「ええ。そうですよ、先生。もらってくれて“ありがとうございます”、心から」

 僕は曇りひとつない清々しい笑顔で先生の右後ろを指差す。


 僕の右人差し指の先には“少女”が1人。

 血のりがべったり付着した果物ナイフがその小さな手に握り締められていた。



 もう泣き声は聞こえない。

 代わりに泣いてくれる人を少女は見つけてしまったから。


 「ありがとう」




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あのね よもぎもちもち @yomogi25259

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