美酒の精
歌峰由子
美酒の精
鶴、泉、牡丹、桜、蘭、鏡に月。
たおやかで美しく、流麗な名が並ぶ品書きを手に悩む。
部屋の隅に置かれた行燈には炎が揺れて、木枠に透かし彫られた草木の影を、畳に映していた。
「鏡、にしようかな」
硬質な銀色の硝子。冷たく気高く神秘的に、世界を映し拒むもの。
その名を与えられるのは、どんな美貌の持ち主だろう。
『かしこまりました』
品書きが私の手を離れ、側らの襖の向こうでカタリと音がする。
「『鏡』でございます。今宵はよしなに」
酒器一式を乗せた盆と共に、すらりとした人影が部屋へ入ってきた。
薄闇の中、蒼く光るような銀鼠の長着に、濃藍の袴をつけた青年だった。白く秀でた額と頬を、漆黒の髪が飾っている。
「……男が出て来るとは思わなかった」
手渡された切子硝子の猪口を手に、正直な感想を述べる。切れ長の目をすっと細め、『鏡』は色の薄い口の端を上げた。
「お望みならば、
冷たい笑みを含む言葉に、ひとつ苦笑いを返して首を振った。
「いや。それでは妻に申し訳が立たないからね。その姿で頼むよ」
承知、と『鏡』が徳利を持ち上げる。切子の器に艶やかな雫が注がれ、水面を揺らした。
その様は、柔らかく、しかしどこか冷たく。
香りも涼やかで、口に含めば淡麗さが際立った。
一杯目を飲み干して、ほう、と息を吐く。
「ああ、期待した通り、それ以上の美酒だ」
文字通り陶酔する私の側らで、『鏡』の名を与えられた美酒の精が笑んだ。
美酒の精 歌峰由子 @althlod
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