賽は投げられた

新成 成之

未来に進めるサイコロ

 子供の頃、俺は早く大人になりたいと願っていた。やりたくもない習い事に、日々課せられる宿題。何の為にそれらをやり、何の為に生きているのか、当時から全く理解が出来なかった。


 しかし、そんな俺も気が付けば就活生になっていた。この先何になりたいのか、そんな事もよく分からず、とりあえず受ける面接。周りの奴らが口にする、これまで頑張ってきたことや、今後の目標も、俺にはありはしないものだった。ただ何となく、何となく日々を浪費している。そんな俺にとって、これまでの道のりに価値などなく、これからの人生にすら価値を見いだせなくなっていた。




 そんなある日のこと、広告会社の面接を終えると、俺は一人駅に向かい歩いていた。行き交うのは同じくスーツのサラリーマン達。彼らは何を目指して日々を生きているのか、俺は不思議でならなかった。


 歩きなれない街の道をナビアプリを頼りに進むと、行きに通った覚えのない寂れた商店街に入ってしまったことに気が付いた。ずらっと並ぶ店のどれもが錆び付いたシャッターが降りており、物音や人の気配すら感じられない。


 しかし、アプリが示すは確かにこの商店街で、ここを抜ければ駅に着くとされている。俺は、引き返すのも面倒だったので、そのまま寂れた商店街を歩いた。すると、唯一シャッターの降りていない店が現れた。店先の看板には『骨董品店』とだけ書かれており、山小屋のようなシックな雰囲気の店だった。俺は思わず興味本位からか、その店の扉を開いた。


「いらっしゃい」


 すると、軽快なドアベルが鳴り、店の奥から聞こえてきたのは低い男性の声。姿は見えないが、この店が営業している事は分かった。そんな事よりも、俺はこの店に並ぶ商品の多さに驚いた。大小様々な陳列棚に無造作に置かれた商品達。しかし、素人の俺が見る限り、そのどれもがガラクタにしか見えなかった。カラフルなビー玉や、真っ黒な傘。ワイヤレスタイプのヘッドフォンまで置かれている。まるで、家のいらない物を寄せ集めたフリーマーケットの様だ。一体何故こんなガラクタをわざわざ骨董品なんて謳って売っているのか。そもそも、これらは本当に売れているのか。


 俺は入る店を間違えたと感じ、入口に戻ろうとした。しかし、突然俺の背後から入店時に聞こえたあの低い声が聞こえた。


「何か、お探しですか?」


 まるで幽霊みたいに現れたそいつは、黒のロングコートを身に纏い、艶やかな金の髪を後ろで束ね、頭にはシルクハットを被った、実に奇妙な男性だった。


「いや、特に探してるわけじゃないですけど・・・」


 一体いつから俺の後ろにいたのか、そんな疑問が頭に過ぎる。そんなことよりも、俺はすぐさまこの店から抜け出したかった。下手をすれば、この店主から高額な商品を押し付けられかねない、そう思うと怖くて仕方なかった。


「それでしたら、こちらなんてどうでしょう?」


 俺の話を聞いていなかったのか、そう言って店主が取り出したのは、一個のサイコロだった。一の目が赤、他の目が黒と、至って普通のサイコロである。しかし、ここは骨董品店である。もしかしたら、この見た目は普通のサイコロも何か特別なものなのかもしれない、そう身構えていると店主は意外なことを口にした。


「これ、良かったら貴方に差し上げますよ。今の貴方に必要なものですから」


 どういう訳か、この店主俺に商品を無料ただでくれると言うのだ。俺はいよいよ怖くなってきた。いくらなんでも、店の商品を無料ただでくれるなんて何か訳があるはずだ。店主から無理難題を突きつけられる前に逃げなければ、そう思い走り出そうとした瞬間、あろう事かその店主は俺の腕を掴むと、俺の手にそのサイコロを握らせたのだ。


「これを振れば、出た目の数だけ未来に進めますよ。どうぞ、使ってみて下さい」


 店主が俯きながらそう説明すると、俺の心を支配していた恐怖心は何処へ、いつしか好奇心が支配をしていた。


「それは・・・、本当なんですか?サイコロの出た目の数だけ未来に進めるって・・・」


「ええ、本当ですよ。だったら、今ここで振ってみても宜しいですよ。何が出るかは、貴方の運次第ですから」


 そう言われると、俺は自然と笑みが零れていた。退屈な日々をただ浪費していた毎日を、このサイコロがあればそんな日々を飛び越えることができる。そう考えたからだ。


 俺は両手でそのサイコロをころころと転がすと、店の床にそっと転がり落とした。サイコロは勢いよく回転し、俺の足元をぐるっと回るとその勢いは次第におさまり、サイコロはぴたりと止まった。


「3!」


「3日後の未来ですね。では、いってらっしゃい」


 店主がそう言うと、一瞬目の前が真っ白になった。しかし、それもほんの一瞬のこと。すぐさま視界が回復すると、そこは相変わらず骨董品店の店内だった。


「あれ?何も変わってないじゃん?」


 すると、俺の背後から低い声が聞こえた。


「おや、お久し振りです。と言っても、貴方からすると一瞬の出来事なんでしたっけ」


 またしても幽霊みたいに突然現れた店主。しかし、何処か違和感を感じる。


 俺がサイコロを降った時には、この店主は俺の前に立っていた。それにも関わらず、いつの間にか俺の後ろで佇んでいる。店の通路は陳列棚に挟まれ、俺の後ろに回り込むのは不可能。だとしたら、この店主は瞬間移動でもしたのか。


「どうですか?明日も明後日も経験せずに、三日後の世界に来た感想は」


 俺は咄嗟にスマホのホーム画面で日付を確認する。すると、俺が広告会社の面接をした日から三日も経っていた。そう、俺は店主の言う通り、サイコロの目で出た「3」の数だけ未来に来てしまったのだ。


「す、凄いですね・・・。本当に、こんな事が起こり得るんですね・・・」


「何しろ、特別なサイコロですからね。しかし注意して下さいね。サイコロを振って未来に行けるのは24時間に一回。次に貴方がサイコロを振って未来に行けるのは、23時間と57分後ですからね」


 その後、俺は未来に行ける不思議なサイコロを貰うと、骨董品店を後にした。



*****



 その翌日、俺は自宅で手帳を広げると、今後の予定を確認した。


「明日はあの会社の面接か。その次の日も面接。その次はゼミか。いっそのこと、全部すっ飛ばしてしまいたいな」


 そう呟くと、俺は両手であのサイコロをころころと転がしていた。


「4以上出ろ、4以上出ろ───」


 すると、俺の願いが叶ったのかサイコロは『5』の目を出してくれた。すると、またしても目の前が一瞬真っ白になると、すぐさまそれは回復する。そして、俺はスマホの画面で日付を確認すると、それは先程から五日後の日付を映し出していた。


「ははっ・・・すげぇ!すげぇなこれ!これがあれば、面倒なことは全部すっ飛ばせるじゃねぇか!あの店主いい奴だな!」




 その日から、俺は面接やゼミ、面倒な人付き合いがある日があると、このサイコロで回避してきた。時たま思うように目が出ず、予定が入っている日に飛ばされる事もあったが、上手いことやれていた。




 気が付くと、月日は流れ冬になっていた。と言っても、俺がまともに生活したのは1ヶ月分位しかなかっただろう。それ以外は全てサイコロですっ飛ばしてきたのだ。そして、何よりも不思議だったのが、サイコロですっ飛ばした日の予定も、後から確認するときちんとその日の俺がこなしていたのだ。つまり、俺は何をした訳でもなく就職の内定を貰い、卒業論文も書き終えていたのだ。そのどれもが、俺がすっ飛ばした日の自分がやってくれていたのだ。何とも有り難い話だ。


「いやぁ、お前最近真面目になったよな。去年とか死んだ様な目してたのにさ、今じゃイキイキしてるし、何より色んなことちゃんとやってるよな」


 サイコロの目が思うようにいかず、この日は大学に来ていた。本当ならこの日も回避するはずだったが、なにぶんサイコロの出る目は運次第。それに、サイコロを振って未来に行けるのは24時間に一回。やりたくない日をならねばならない時も出てくるという事だ。


「そうか?あんま変わらないと思うぞ?」


 そう言ってとぼけてみせるが、実際自分は何も変わっていない。俺だけど、俺じゃない架空の俺が全てをやってくれている。俺は予定帳に予定を書いてサイコロを振るだけでその予定が完了している。これぞまさに、夢のような日々だ。


「でも、この一年大変だったけど何か楽しかったな。飲み会のあの時とかさ、お前色々愚痴ってたもんな!」


 友人が楽しそうに話をしていたが、そのどの話も共感出来なかった。何故なら、俺はそのどれも経験していないのからだ。友人の言う過去の俺は俺ではない架空の俺で、俺自身は何もしてこなかったのだ。


「ほら、この間あいつも同じようなこと言ってたじゃん?あれ、面白かったよな」


 これ以上こいつと一緒にいてはならない、俺は瞬時にそう感じるとその場を後にしようとした。


「どうしたいきなり立ち上がって?なんか用事でもあったのか?」


「あ、ああ・・・ちょっと用事思い出したわ。わりぃな、先帰るわ」


 怪しまれないよう、出来る限り自然体を取り繕って俺はその場を離れた。




 夜になり、俺はサイコロを振った。次にサイコロを振って未来に行ける時間になったのだ。俺はなるべく大きい数の目が出てくれることを願った。早くこの大学生活を終えて、新しい生活を始めたいと思ったからだ。誰も俺を知らない、新しい生活。そうすれば、俺の知らない話をされる事はない。今大学の奴らと会ったところで、俺はあいつらと話が出来ない。そうだろう、俺は半年以上もの日々をすっ飛ばしてきたのだ。そうする事で、あいつらとの間に空白の日々が出来てしまったのだ。しかし、あいつらの記憶には確かに俺が存在している。けれど、それは俺ではない。そんな俺ではない何かが俺を飲み込もうとしている感覚が恐ろしくて、俺はサイコロを振り続けた。



*****



 気が付けば、俺は定年退職を迎えていた。結婚もして、子供もできて順風満帆な生活を送っていた。けれど、俺はサイコロを振り続けた。そして、気が付けば俺はこの歳になっていた。これまでの人生を振り返っても、何かをした覚えはない。覚えているのはサイコロを振ったことくらいだ。それ以外のことは、俺でない架空の俺がやってくれた。仕事も結婚も子育ても、何もかもをだ。最早、俺はそいつが送った人生をただ眺めているだけになっていた。サイコロを振って飛んだ未来には奥さんがいて、また別に飛んだ時には子供が出来ていて、俺は何もしてはいなかった。いや、正確には出来なかった。嫌なことを回避しようとしたはずなのに、回避した日に幸せな事が起こっていて、俺はそれを経験することなくここまで来てしまった。


 俺は子供の頃の、早く大人になりたいという願望を思い出した。大学生になって過去を振り返るとそれまでの日々は長かったような短かったような、そんな日々だった。楽しいことも、辛いのことも経験した。思い返せば掠れた記憶ばかりだけど、その時の感動は確かに憶えている。けれど、それ以降の記憶は掠れているどころか、自分のですらないために、思い出す度に怖くなる。俺という存在は一体何者なのかと。


 俺はサイコロを振って、まるで人生ゲームなのように『俺』という人生を送ってきた。それは、『俺』という人間の進む日々、人生ゲームでいえばマスを俺がサイコロを振ることで決めただけなんじゃないのか。俺は、『俺』として生きてきたけれど、俺としては生きてこれなかったのではないか。




そんな大事なことに気が付いたのは、病院のベッドの上での事だった。


「あなたと、一緒に生きてこられて楽しかったですよ」


 しわくちゃになった俺の妻が俺の手を握りそう囁く。


 俺は鼻に管を通され、口には呼吸器が付けられ、ただ死を待つだけの存在になっていた。


「そこにある、サイコロを取ってくれないか?」


 俺がそう言うと、ばあさんは優しく俺の手にあのサイコロを握らせてくれた。




 大人になれば分かると信じていた生きる意味。けれど、どんなに未来に進んでもその意味は見付からなかった。




「明日になれば分かるのか・・・」


 そう言って俺はしわくちゃになった手でサイコロを振る。サイコロは病室の床に落ちると、ゆっくりところころと転がり、そして、ぴたりと止まった。


 出た目は「6」。それを確認すると、俺の目の前は真っ白になった。


 そして、それが回復することはなかった。

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