第十一話 今度は三人で
どうしてこんな事になったんだ。俺は目の前で顔を赤くしながら大声で文句を垂れる西萩を見ながらため息を吐いた。他の客に迷惑だからいい加減黙ってほしい。
「だから! 僕だって縁くんが溝の口に来るなんて思ってなかったからぁ! 船江聞いてる?」
「うるせえ」
場所は、事務所からほど近い居酒屋。以前西萩と二人で飲みに来たこともあるチェーンの一店舗に、俺と川越は西萩に連れられて来ていた。
俺の隣で、川越はジョッキに入った水を飲みながら苦笑いしている。
「信じられないよね? 僕の家のポストにぜんっぜん知らない女の人からの脅迫文入ってたんだよ? 絶対あれ縁くんのせいだよ! だって宛名に「ゆかりくんへ」って書いてあったもん!」
「そうかよ」
「嫌がらせだよあんなの! お代わり!」
「飲みすぎだろ」
「所長、それくらいにしておいた方が……」
「いいよ、経費で落とすから! 川越くんも水じゃなくてお酒飲めばいいのに!」
「いや、オレは……」
「西萩、アルハラも大概にしとけ」
「アルハラじゃないよ! そんな時代錯誤な事しないし!」
酷い絡み酒だ。もう少し近くだったらぶん殴っていたな、と俺は刺身を口に放り込んだ。
そもそも、西萩がこんな醜態を晒すところを俺は見たことが無い。酒も俺よりよっぽど強いし、何か仕事でへまをやらかしてもいつもヘラヘラと笑ってごまかすような男だ。西萩とあの瓜二つな従兄弟の間にどんな因縁があるのか知らないが、どうやら相当頭に来ている、というのは分かった。
「ご注文は?」
「水三つ」
「かしこまりましたぁ」
通りかかった店員を呼び止めて、水を要求する。それを見て西萩は顔をしかめた。喋らなくても表情がうるさい。
「僕お酒がいいんだけど。同じ奴お代わり」
「知らん。うるさいから水でも飲んでろ」
「船江ほんと酷くない? 川越くんもそう思うよね?」
「え、あ、いやぁどうなんでしょうね……?」
「川越くんも船江の味方だぁ! もうやだ!」
子供のように駄々をこねる西萩に、俺は舌打ちを一つして声を掛ける。
「つか、何で急に飲みに行きたいとか言い出したんだよ」
「え?」
「え? じゃねえよ。俺はともかく川越まで巻き込んでこんなところ呼んで、何か言いたいことでもあんのか?」
そう聞いた途端、あれだけうるさかった西萩が黙り込んだ。まだ料理が乗っているテーブルに突っ伏して、明後日の方向を向いている。邪魔だ。目は開いているから眠っているわけではないだろう。不安に思ったのか、露骨に川越の顔色が変わった。心配そうに覗き込もうとしている。
「こちらお水三つですー」
「どうも」
「あ、黒霧島お代わりお願いします!」
「あってめ」
「かしこまりましたぁ」
黙っていたと思ったらこれだ。止めたにも関わらず、西萩はさらに追加の酒を注文する。募る苛立ちを抑えつけるように眉間を揉むが、西萩は満足したのか嬉しそうに運ばれてきた水を飲んだ。
「西萩、お前一人で帰れよ。俺はお前のあの汚い部屋に行くのは嫌だからな」
「分かってるって。僕船江みたいにべろべろになって事務所に泊まったりしないもん」
「あ?」
「わー、から揚げ美味しい!」
俺と西萩が睨み合っている横で、空気が読めないのか気を使ったのか分からない川越が嬉しそうな声を上げる。
「川越くん、から揚げ好きなの?」
「好きです! でもオレが今住んでる部屋だとコンロ一口しかなくて不便だから、あんまり料理とかしないんですよね」
「僕も料理しないよ。どうしても手のかかる料理が食べたくなったらコンビニ行くから」
普段カップ麺かカレーうどんで食事を済ませる西萩らしい言葉だ。つか二人とも自炊しろ。
「こちら黒霧島ですー」
「あ、来た来た」
運ばれてきた追加の酒に、西萩が諸手を挙げて喜んだ。早速それを飲んで、嬉しそうに笑う。
「それ何杯目だよ」
「さあ? 良く分かんない」
あっけらかんとした口調で言い放つ西萩に、頭が痛くなる思いだ。
「あのね」
ニコニコと笑ったまま、西萩が言う。
「今日二人を連れてきたのはね、まあ僕がお酒飲みたかったからってのもあるんだけど、ちょっと話がしたくて」
「話、ですか?」
川越はホッケを箸で摘んでいる。俺は何も答えず、ただ西萩を見るだけだった。
「話。ほら、縁くんの」
西萩縁の名前を出した途端、今まで上機嫌だったのが一気に不機嫌になる。自分で切り出した話題だろう、という言葉はウーロン茶と一緒に飲み込んだ。
「本当に危ないから、ちゃんと注意してほしいって伝えたくて」
「お前がそれだけ言うなんて相当だな」
「昔色々あったし。僕が巻き込まれるならまだしも、事務所にいるからってだけで二人まで酷い目に会うのはちょっと所長として見過ごせないからさ」
西萩はお猪口に入っていた焼酎を一気に呷って、また注ぎながら話を続ける。
「もし、縁くんを見つけたら関わらずにすぐ逃げてね」
「でも、どうしてそんなに西萩所長は従兄弟さんと仲が悪いんですか?」
川越の純粋な疑問に、俺も頷く。西萩はしばらく黙って酒を飲んでから、ぽつりと呟いた。
「何でだろうね……死にかけたからかな」
「は?」
「よく覚えてない。多分思い出したくないか、どうでもいい事なんだと思う」
はぐらかされた。眉間に皺を寄せるが、西萩はそれに関して話をするつもりはないらしい。またいつもの緊張感が無い笑みを浮かべた。
「まあとにかく、ちゃんと気を付けてほしいなって。縁くんって仕事柄物騒な人と伝手があるから本当に危ないんだよ。あと冤罪とかも」
「お前、よくそれでそんなへらへら生きてられるな」
「日頃の行いがいいからじゃない?」
「どの口がそれを言うんだ」
隣で困惑しながらホッケを食べ進めている川越を見習え。こんな大人しいんだぞ。
「まあとにかく、僕は二人に危害が及ぶのが嫌なんだ」
ぽつり。西萩が呟いた言葉は、とても先程まで騒いでいた酔っ払いとは思えない静かなものだった。
「あ、そうだ。僕今日、森林公園まで経過見に行ってくる」
「そういえばもう一週間ですね。紅梅さん、体調良くなってるといいですけど」
川越の言葉に、俺は先週依頼を受けた少年の顔を思い浮かべた。あの梅の木の生命力を滞らせていたであろう元凶は取り除いたが、その後どうなったかの報告は受けていない。だが。
「どういう風の吹きまわしだ? お前、いつもそんなのクソアマの情報で確かめてたろ」
「うーん……明日香には今別件をお願いしてるから。それに、あんまり電話したくないんだよね」
「は?」
「まあ、この後に確かめてくるからさ」
それきり、西萩は俺の言葉に答えることなくテーブルに置かれた焼き鳥を箸でつまんだ。焼き鳥のたれがテーブルに滴り落ちたが、西萩はそれに気が付いていなかった。
「じゃあ、今日は解散で」
「ごちそうさまでした! オレ久しぶりにお腹いっぱい食べた気がします!」
「こんなの経費で落としていいのかよ」
「別に僕が所長だから」
「そういうの何て言うか知ってるか?」
「さあ?」
「職権乱用だ馬鹿」
居酒屋の前で気の抜けた笑いをこぼす西萩の頭を今度こそ殴る。「あいた」なんて間抜けな声を出したが、大してダメージが無いようでまだ笑っていた。
「所長、大丈夫ですか? 帰れますか?」
「うん。僕の家、ここからそんなに遠くないから」
不安そうな顔をしている川越は、道の脇に停めた自転車の鍵を外している。こいつが酒を飲もうとしなかったのはこれのためか。
「それじゃ二人とも気を付けてね」
「ん」
「はい、失礼します!」
元気よく自転車を漕ぎだして、みるみるうちに川越の背中が遠ざかっていく。道の途中で車と事故を起こしそうになっているのは見なかったことにした。
「船江」
西萩が俺を呼ぶ。振り返れば、西萩はぼんやりと地面を見ながら何か考え込んでいた。
「んだよ」
「もし、万が一だよ、僕の身に何かがあって、事務所の所長を続けていけなくなるようなことがあったら、その時はあそこをよろしくね」
「あ?」
「なんか、嫌な予感がするっていうか……まあ絶対百パーセント確実に縁くんの所為なんだけどさ」
「意味わからないこと言ってないでさっさと森林公園行け。明日俺より遅かったら知らないからな」
「あはは、わかってるよ。じゃあ、また明日」
そう言って、西萩は普段と変わらない足取りでバスロータリーまで歩いて行った。あれだけ酒を入れていたにもかかわらずいつも通りの様子に、俺はため息を吐くしかなかった。
バスを降りて、以前通った道のりをなぞる。森林公園に向かう道すがら、ぼんやりとタバコが吸いたいと思った。
「……酔ってるのかな」
船江に変な事を口走ってしまった。僕は少し熱を持った頬をさすりながら歩いていく。僕を乗せていたバスのテールランプが見えなくなるほどに遠い。前回来た時から人気がないな、とは思っていたが、陽が落ちるとさらに閑散としている。
とりあえず、今日は梅の様子を見て帰ろう。そう思って森林公園に入ろうとした直後。
「しょーうーたーくんっ」
楽しそうな声が背後から聞こえた。振り返る間もなく、後頭部に衝撃が与えられる。突然の事に反応できず、僕は無様にコンクリートに倒れこんだ。
「……っ、は」
「こんばんは。今日も無駄に生きてるみたいで安心したよ」
背後の街灯が逆光になっているにも関わらず、楽し気に歪められた縁くんの笑顔がはっきり見えた。
溝の口でまた会いましょう 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta
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