6


 とある冬の朝、菜緒が外の空気を吸いに散歩したいと言い出したので、手を引きながら町を歩いた。青から白へ静かに移ろった後のような空模様で、曇りながらも明るいなかに、あるかなしかの薄青が仄めいている。あわれなほどにほっそりした菜緒の掌も、冷えきっていた。

 そろそろと歩いていた菜緒が、はたと立ち止まった。人影のない町から、私たちの足音が消え、しんとする。

「どうした?」

 私が聞いても、菜緒はまるで言葉が届いていないかのように、空を仰いで、黙っている。心を澄ますような横顔である。のばした細い首から顔立ちへの流麗な線の美しさに、私もまた、言葉を失った。

「雪がふってる」

 菜緒がそうつぶやいた。

「雪? ふってないよ」

「ふってる」

 私も同じように空を見上げた。よくよく目を凝らすと、たしかに粉雪が、おぼろげにふっている。

「ああ、ほんとだ、ふってる」

「きれいだね」

 私は驚いて菜緒を見つめた。目は閉じられたままである。

「見えるの?」

「なにが?」

「雪、きれいって……」

「ちがうよ。雪のふる音が、きれいなの」

 菜緒が微笑みを浮かべ、その音を消さないためか、ささやくように言った。

 私は耳を澄ました。しかしなにも聞こえない。

「なにも鳴ってないな」

「さらさらって、かわいらしい天使が、静かにとんでるみたいな音」

 美しい者にしか聞こえない神聖な音色だろうかと、私は思った。

 菜緒は清らかな音を耳にして、目の見える私よりはやく、雪のふるのに気づいた。それが私は、菜緒の運命を目の当たりにするようで、美しくも、かなしかった。

 そのような無垢のせいで、菜緒は壊れてしまったのではないか。見えもし、聞こえもする世界は、菜緒の清澄な魂には醜すぎたのかもしれない。

 雪の音が聞こえないかわりに、私は隣の菜緒を見つめた。

 空を仰ぐ菜緒の睫毛に、粉雪がひらりとふりおちて、儚く消えた。


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雪の音 しゃくさんしん @tanibayashi

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