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+ side龍生
「龍生、今日、愛子ここに来るから」
いつもより早い時間に仕事をあがってきた在義は、俺の店、《白》のカウンター席にいた。
もう来客のピークは過ぎていて店内は静かだ。――言っても、元から客というのは俺の稼業である探偵業務に関わる人ばかりで、看板もないここは、たまたま入って来た何も知らないお客さん、というのはいないのだが。
在義が警視庁を辞めた頃、俺も退職した。あそこでやれることは終わっていたと感じたからだ。祖父が現役の頃は私立探偵だった影響もあって、その道に進むことを決めた。尊敬もなんもしてないじいさんだったが、俺が在義の相棒と呼ばれるまでになりえたのは、祖父の教育にあったように思う。
そのうち俺は、後継者に流夜と降渡を見つけた。そしたら俺と同郷の子供だった吹雪もくっついてきた。
三人は元来の素質もあったのだろう。対事件向きの頭と行動力があった。流夜はある理由から、一時的にだが教師になってしまい、吹雪は警察には入ったもののすぐに左遷。今は資料庫に隔離――配属されている。しかしそこで日夜、流夜や降渡と事件解決の力になっているのだからわけのわからない思考回路をしている。
どうせだったら学生時代のように、警察の人間としてではなく、降渡のように探偵業的に関わらせた方がよかったかとも思ったが、警察機構との繋ぎ役が必要なのもまた事実だ。
降渡はそれこそ、俺の後継者と言われる。大学を中退して探偵業を始めたからだ。
俺としては自分の後継者にと育てて来た三人のうちの一人だから、ある程度は補佐も必要かと考えていた。裏切られた。降渡の力に、俺は必要なかった。
俺の手なんか借りずとも、流夜、吹雪、そして
幼い頃から育ててきたからつい手を貸したくなるが、今はもうその手も引くときなのだろうか。
……代わりに。
長い間放棄していた、相棒としての役割が廻ってきそうだな。
「なんで愛子が来んだよ」
俺は苦い顔を隠せない。
「少し話をつけないといけないからな」
在義からにじみ出るどす黒いものに、ため息をつきつつ「そうか」とだけ答えた。
在義は、元来二面性が強い。昔は本人も無意識だったようだが、今ははっきり使い分けていやがる。
公人としての『華取本部長』と、私人としての『在義』。
在義は現在、娘のことで頭がいっぱいだ。娘と言っても血の繋がりはない娘。妻・桃子の忘れ形見。
――桃子はそれこそ、行き倒れている、という表現がぴったり合うように倒れていたらしい。それを見つけたのが、非番だった在義。
すぐに病院に運んだものの、彼女は記憶喪失だった。ペンの使い方、都道府県の名といった、日常生活における点に問題はなかったのだが、自分の名も、家も、何も忘れてしまっていた。そして、妊娠していることがわかった。
事件性なしとは言い切れず、直接在義の担当にはならなかったが、失踪者リストと照会がはじめられた。どれも空振りだった。仮の名として、在義が『桃子』と名付けた。桃の季節だったからだそうだ。単純だ。
桃子は、線の細い美人だった。娘ちゃんが桃子を、天女の羽衣のような繊細さだと言っていたのを聞いたことがある。
娘である咲桜は、在義や夜々子の教育が勝ってか、意思のはっきりした、大分気が強そうな娘に育ったが、年齢より大人びて見える。発見当時の桃子は推定年齢は二十歳だったが、娘が高校一年でありながら既に社会人にまで間違われるほど大人っぽいので、桃子の実年齢も、もしかしたらかなり幼かったかもしれない。
結局、桃子はどの失踪者リストとも一致しなかった。
桃子は記憶喪失なだけではなく、子供も宿していた。しかるべき施設に一度預ける形になりそう――だったところを、在義が掻っ攫った。
この首を差し出すからこの子は自分がもらい受ける、と。日頃とんでも発言ぶちかましている在義だが、それは断トツでとんでもなかった。
在義に目をかけていた上層部はブチ切れ。それこそ自分の娘との縁組を考えている奴もいたくらいだ。
結局在義は、警視庁は辞め、隣の県警に移った。若干――かなり無理矢理だったが、在義も納得したことで配属が決定された。同時期に退職した俺にも同じように声はかかっていたが、俺は警視庁でやること、ではなく、警察でやることを終えたと感じていたので誘いには乗らなかった。
代わりに、在義の家から一番近く、都会と田舎が入り混じって勝手のいい上総警察署の近くに店を持った。同業者である探偵たちが使える場所として。
在義が娘に店を訪れるのをゆるさなかったのは、ただの喫茶店ではないからだ。下手をしたら、事件に巻き込まれてしまうかもしれないと危惧していた。そこを流夜が連れてきてしまった。知った在義は頭を抱えていたが、流夜が娘ちゃんを危険から護ると宣言したので、出入り禁止は解除した。
現在、俺に伴侶はない。好いた人がいないわけではないが。
在義の一つ空けた隣に腰かけて、睨みつけてやる。
「なんで愛子来るのにここにすんだよ」
「龍生のところだって言えば飛んでくるだろう。仕事も片付けて」
「ざけんな! 俺があいつ苦手なの知ってんだろ!」
思わず声を荒らげても、店内には同業者しかいないので気に留めない。俺らの喧嘩は日常茶飯事だ。
「お前のところぐらい言わなきゃあれこれ言って逃げるからな」
「くっそ性悪……! おめえ娘ちゃんにその性格ばらすぞ」
「咲桜はお前より俺を信じるよ」
「……今は流夜のが信じるような気がするけどなー」
「………………」
あ、効いた。在義が六秒ほど固まった。
適当に言ったのに、まさか本当にあの偽婚約者の仲が進展しているのだろうか。在義は、元部下という体面上『春芽くん』と呼んでいるが、普段は『愛子』と呼んでいる。娘ちゃんは、その呼び方は聞いたことはないはずだ。
「おい? なんだ、流夜に掻っ攫われそうなのか?」
「………………」
おお、どうやらガチのようだ。更に落ち込んだ。余計なことは言うくせに、肝心なことはあまり言わない在義だ。
ぽん。慰めるように肩に手を置くと、泣きそうな顔で睨まれた。まあ、自分、流夜の親代わりの一人だし、流夜を後継者として育てた身だし? 流夜の親代わりとして在義に睨まれてやるか。
しかしてめえも随分優しくなったもんだな。誰かのために、なんてな。
「龍生殴っていいか?」
「殴り返すけどな」
殴られたら殴り返す。在義には当たり前の対応だ。
「――で。愛子来んだったら俺外に出ていていいか?」
「お前がいないと帰っちゃうだろ」
「……お前、俺を何だと思ってるわけ?」
「愛子のエサ」
ガツン。在義の座る椅子が大きく揺れた。相変わらず身内にはひでえ野郎だ。
……在義はある程度近しい者には基本容赦しない。幼馴染の俺は一番の被害者だった。
実際の身内であるところの娘ちゃんは目に入れても痛くないくらい可愛がっているので、均等配分と言うものを覚えてほしい。
「愛子吊し上げんだったらてめえ一人でやれよ」
「勿論。龍生の手は煩わせないよ」
……さて、客の方も、別に店内にいる必要もない面子だから、今のうちに奥に下がって
「龍生せんぱーい! お久しゅうございます!」
げー来たー。
勢いよく飛び込んできた愛子に、俺の肩が大きく跳ねた。それを見た在義が小刻みに肩を震わせている。……てめえが撒いた種だろうが何が面白れぇんだこの野郎。
「龍生先輩からのお呼び出しということですっ飛んできましたよ!」
「俺じゃねえよ、在義だよ」
責任も原因も在義にしかないので、押し付けて全っ然構わない。愛子は口を尖らせる。
「えー、そうなんですか? でもあたし的には龍生先輩に呼び出された気でいるのでどうぞ何でも話してください」
「俺から話すことなんかねえよ。おい在義……いつまで笑ってんだてめえ!」
「いや……すまない。愛子、俺から話があるんだ」
「華取先輩ですか? ……二人って仲いいんでしょう? 降渡くんに随時報告もらってますよ?」
「まあ、悪くはないようだね」
苦い顔をする在義。この隙に……
「龍生先輩も座って座って」
「………」
逃げられなかった。
「あー、ここも久しぶりです」
カウンター席、俺の一つ隣に腰かけて、嬉しそうに足をぶらつかせる愛子。……あのさ、話すんのはお前ら二人なんだろ? 俺を間にしないでくれねえか?
「来てなかったのか?」
文句を言いたい俺を無視して、在義が言う。
「しばらく忙しかったのと、龍生先輩に出禁にされていたので」
在義が俺を見てくるので、舌打ちした。
「うちの客と喧嘩したんだよ、こいつは」
「ああ……」
簡単な説明から在義は察した。ここの客は俺と同じ世界の奴らだ。あるいは降渡と。その連中と喧嘩した……。まったくこいつは吹雪の血縁だ。
「だからまだ来るんじゃねえよ」
「華取先輩の呼び出しならいいでしょう?」
「さっさと話し済ませて帰れよ」
「どうして咲桜と流夜くん選んだ?」
「だって流夜くんって危ないじゃないですか」
「………」
こいつら、簡単に深い話に入った。
「うちにはほしい逸材ですけど。あの子、いつこっち側を離れてしまうかわからないじゃないですか。向こう側に落ちてしまうかわからない。自分にかけた鎖がないあの子は、龍生先輩の後継の中で一番危なく揺らぎやすい。だからまー、惚れ込んで入れ込める子がいたらいいなーと思いまして」
「それで?」
「流夜くんが逆らえない――逆らいたくない相手は、華取先輩か龍生先輩だけです。吹雪か降渡くんから廻る線もありますが、それではかわす道を同時に与える。絶対に逃げ道のない子は、華取先輩唯一の娘である咲桜ちゃんだけでした」
「………」
「そして流夜くんは、生きることを肯定出来る子ですから」
「―――……」
「一つだけ助かった命を責め続けた期間は長いから。……自分が生きていることを、自分の命をゆるすことが、あの子は出来る。今はもう迷いなく出来ます。そして――そろそろ、誰かにゆるす心を見せることも出来るんじゃないか、と。降渡くんの報告ほど親しくなるのは計算外でしたけど。……そんなとこですかねー」
「……咲桜のためにもなる、か……」
「なったらいいな、という希望的観測です。……咲桜ちゃんに、必要でしょう? そういう人」
「……しかし、現状同じ学校の教師と生徒だぞ?」
「流夜くんなら上手くかわすと思いますよ。……咲桜ちゃんの卒業を待ってもよかったんですけど、あまり咲桜ちゃんが、華取先輩に対して申し訳ない気持ちを持ってるの、先輩もいやでしょう? 流夜くんは、いつ落ちるかわからないし。もしかしたら落ちることなく一生をこちら側で過ごすことも出来ます。でも、明日落ちるかもしれない。……わからないですからね。少々急がせてもらいました。申し訳ないですが」
「……流夜くんの鎖に、咲桜が適うと?」
「ええ。咲桜ちゃんは、少し誰かに護られる気持ちを知ってほしいと思いまして。親からもらう愛情ではなくて、たった一人にしか向けられない愛情。咲桜ちゃんの母親代わりの一人として、ね。偽モノでも婚約なんてすれば、世話焼きな咲桜ちゃんは流夜くんを気にかけるでしょう? 流夜くん、家事ろくに出来ないし。そうやって少しでも――家族や友達以外に大事なもの、持ってほしかったんですよ。例え恋愛感情に気づかなくても」
あそこまで仲良くなるのは、ほんとーに計算外でした。苦笑気味に言いながら、愛子は頬杖をついてにこにこしている。
「……愛子から、二人の関係がもれることはないと信じていいのか?」
在義の声が潜められた。
愛子は三度瞬いた。
「何を案じられて?」
「二人の関係をリークするような者が出て、二人が今以上に面倒な立場に置かれることは、ないと断言出来るか?」
「ええ、できますよ。……小さな頃から知っている子たちですからね。苦しみが幼くして強かった子たちですからね。幸せを、手にしてほしいと願っています」
「……わかった。今の
「……華取先輩相変わらず性格悪……じゃなくて、用意周到ですね。レコーダーいつから仕込んでたんですか」
在義が手の中で遊ばせているのは録音機だった。
「愛子が来る前――俺がここに入った時からだ。もし連絡を取られて、龍生に先手を打たれるようなことがあっても嫌だからな」
「愛子と連絡なんざ取らねーよ」
「あたしは龍生先輩と連絡取りたいですっ!」
挙手する愛子に、在義と同時に「却下」と応じた。連絡先知らないのか? 在義がこちらを見て来るから、俺は目線を逸らした。教えてないわけではない。教えたものから変えただけだ。
「ん、在義。お呼びみてーだぞ」
「……ちっ」
「華取先輩……社会的にそれまずいですからね? 仕事場では隠してくださいよ?」
在義の携帯電話が鳴ったことを指摘すると、まず在義舌打ち。さすがに愛子が渋面になった。
「当然だ」
在義はすげなく返し、荷物をまとめた。
「では、私はこれで。春芽くんももう出なさい」
『華取本部長』にすぐさま顔を切り替える在義。慣れたもんだな。俺は相棒の長年の成果を見る。
「えー、あたしせっかく時間取ったんですよー。龍生先輩のお呼びだと思ってー」
「語尾を伸ばさない。私が呼び出したんだ。春芽くんは騙されただけだろう」
「……華取先輩、完全に切り替わってません。若干性悪残ってます。……はー、まあそうですよね。龍生先輩からお話なんて、あたしにはありませんもんね……。わかりました、帰ります」
……ちらちらこちらを見ながら言ってくる。……はいはい、わかったよ。てめえも随分優しくなったなー。年か。
「愛子、在義に騙された詫びになんか食いモン出してやるよ」
「えっ……いいんですか? あ、あたしは本当に――」
自分の名前を出されてここまで来たのだから、少しながら罪悪感がある。仕掛けたのが他の奴だったらどうでもいいだけど、こと在義ならば違ってくる。しょうがねえ。
わざとらしい反応だった割には、俺が言い出すと本気でテンパり出した愛子を後目に、在義を追い払う。
「おめーはさっさと行けよ。んで、今度娘ちゃんのメシでも食わせろよ」
「……なんで咲桜を巻き込む」
「無頓着な流夜が惚れ込むくらいうめーんだろ?」
何回かいただいたことはあるから料理上手なのは知っている。が、ここで流夜の名前を出すのはただの嫌がらせだ。
案の定、在義は苦い顔になる。いいねえ、親父殿。
「愛子、なにがいい?」
「えっ、りゅ、龍生先輩が作ってくださるならなんでも!」
「おー、じゃあちょっと待っとけ」
小躍りでもしそうな愛子。こいつは通常でテンション高ぇんだよな……。俺はカウンターの中に入った。
在義は軽く息を吐いて、今度こそ顔を変える。……流夜が仕事場で顔を変える術は、在義から吸収したんだろうな。流夜たち三人は、在義のことも慕いまくっている。
「邪魔したな」
「おー。次はおめーの名前で愛子呼べよ」
「……そしたら愛子来ないだろう」
「当然じゃないですか。あたしいじめられる趣味ありませんもん」
からっと言い切る愛子。……愛子はいじめるというか嫌がらせをする方だからなあ。しかも陰湿な。
「在義。……今度は娘ちゃん連れて来いよ」
「……そうするよ」
猫の鈴の音と一緒に扉が閉まる。在義の消えた店内は静かな空気だった。……在義と愛子だけが騒いでいたんだ。
「龍生先輩。……華取先輩、あたしのこと怒ってました?」
「あ? なんでだ?」
愛子が不安そうに訊いて来た。
「いや……溺愛の咲桜ちゃんに、正当にこじつけられる理由とはいえ、婚約なんてさせたから……」
もにょもにょ……。言い終わる前に、愛子はカウンターに突っ伏した。
俺はフライパンに油を流す。愛子は結構味覚が子供だ。作っているのはオムライス。もう遅い時間だが、仕事あがりでかけつけたなら夕飯もまだだろう。
「いいんじゃねえ? あいつも娘離れしなくちゃいけねえしよ。あいつにとって桃子が一番重い存在であるように、娘ちゃんにもそういう存在があっていいはずだ」
「そう、ですかねえ……」
「そうだよ。相手を流夜にしたとこはよかったと思うぜ。流夜なら在義も反対出来ねえ」
「そこはあたしも自信持ってるんですけど。……咲桜ちゃんに悪いことしちゃったかなあ……」
ああ、一番の悩みどころはそこか。
「そりゃ、これから次第じゃねえか? そのまんま娘ちゃんと流夜が結婚することもあるかもしんねえし」
のっそりと愛子が顔をあげた。
「……そしたら流夜くん、華取先輩の息子ですね」
「あー、そうだな。流夜にとっちゃ夢みてえな話だな」
在義の娘と結婚する。流夜に家族ができる。
愛子は頬杖をついた。
「あの子たちには幸せになってほしいなー」
「なるだろ。子供らの幸せを譲らねえために親がいんだからよ」
「……そうですね。あたしたち、親だったり親代わりだったりですからね」
「だろ。大丈夫だ。世界は案外優しいもんだ」
「……そうですね」
こつん。愛子は、カウンターに並べられた調味料のガラス瓶を軽く弾いた。刹那、振動で光が散乱する。
「……大事、ですもん」
おめえだけじゃねえよ。そう返してやった。
生きるたびに世界は近づく。
世界に光が欠けるときはない。
光を、この瞳で見つけられたなら。
朧咲夜ー偽モノ婚約者は先生ー 桜月 澄 @sakuragi_masumi
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