終幕

家庭訪問

 チャリティーストーリア終演後、フィーロ一家はアークトゥルス邸に招かれた。ウーゴとセシリアの好意で泊めてもらえることとなったのだ。辺境から何日もかけてキャリバンまで来るエミリオとクラリッサにとっては、願ってもない申し出だった。




「なあ、ユアン」


 広い浴室にレグルスの声が反響する。ユアンはやはり、風呂でも眼帯を外さない。


「デネボラさんのこと、どうしたらいいんだろう」


 言わない、と本人には伝えたし、レグルス自身はそのつもりだ。それが最善の選択なのかどうかはわからないが。


「俺は、黙っているつもりだ。女性はナイドルになれないという慣習を破りたいんだろう。水を差そうとは思わない」

「……そうかあ」

「あの人も、そうだが……レグルスは、大丈夫なのか」

「へっ?」

「君が尊敬する、アルテイルが……あんな人物で……」

「……」


 答えは出せない。

 アルテイルは、幼い頃のレグルスに夢を与えてくれたナイドルだ。そのアルテイルが、人の夢を否定した。しかも、自分の子供の夢を。


「……すまない」

「なんでユアンが謝るんだよ?」

「考えたくないことだっただろう」

「心配してくれたんだろ? おれは大丈夫だよ」

「そうか……」


 本当は、まったく大丈夫ではない。幼い頃から抱き続けてきた憧れが粉々になってしまった。


 ユアンが不安げなまなざしを投げかけている。人の言葉を深読みしがちな彼のことだ、きっとレグルスはやせ我慢していると思っているだろう。マルコに嫌われているのではないかと不安がっていたときとは違い、今回はユアンの思いすごしではない。

 レグルスは口元まで湯船に埋めた。


 優れたナイドルなら優れた人物に違いないと、心のどこかで思っていた。だが、ナイドルとしての輝きと、その人自身の人柄はまったく別だ。舞台の上では別人を演じているのだから当然だ。ナイドルのアルテイルが星のごとく輝く一方で、父親のアルテイルが娘に対して強圧的であることは、別に矛盾していない。

 そもそも、きっかけがアルテイルだったとしても、ナイドルになりたいという想いはもう完全にレグルス自身のものになっている。


(だから……大丈夫だ)


 そう、自分に言い聞かせた。


        ◇ ◇ ◇


 ミアがアークトゥルス邸を訪ねたのは、深夜だった。エミリオとクラリッサがここに泊まると聞き、急いで約束を取り付けた。


 マーネンにすら伏せた重大な秘密を、アークトゥルス夫妻の耳に入れてもいいものか。大事な一人息子を預かっていながら、子息が巻き込まれた事態について一切説明しないのはあまりにも無責任だとは思うが、ミアはまだ悩んでいた。


 老執事に案内された応接間には、エミリオ、クラリッサ、アークトゥルス夫妻がいた。

 向かい合うソファにそれぞれ座る両夫妻に、ミアは深く頭を下げる。


「ティターニア学園の長、ミア・プラキドゥスです。この度はご子息たちを危険な目に遭わせてしまい、お詫びのしようもございません」

「いやいや、学園長」


 応じたのは、ユアンの父ウーゴだ。


「顔を上げてください。あなたに責任がないことは、エミリオさんから伺いましたので」

「……え?」


 ミアは思わずエミリオを見る。


「もう全部話しちゃったよ」

「え? 全部って、全部!?」

「うん」


 驚くミアに、クラリッサが舌打ちをした。


「中途半端に隠すから事態が悪化するんだ。信じてもらえないと思ったんだろうが、レグルスとユアンくんを同室にするなら、せめてご両親の耳には入れておくべきだろうが」


 クラリッサの悪態には慣れている。エミリオが眉尻を下げてやや申し訳なさそうにしているのは、クラリッサの態度についてではなく、ミアに断らずに話してしまったからだろう。


「ユアンくんにはレグルスがものすごくお世話になっているし、僕たちのせいでユアンくんが面倒に巻き込まれたんなら、すべてお話ししておかなければならない。これはパパ友、ママ友レベルの話であって、神や世界がどうとかってことじゃないんだ。わかってね、ミア」

「……はあ」


 理解はできる。ミアがフィーロ夫妻に会おうと思ったのも、アークトゥルス夫妻にどこまで説明するかを話し合うためだった。


「しかし、ユアンが月姫神げっきしんに目を付けられたのは、レグルスくんとは関係ないのではありませんか?」


 ウーゴがそれとなく話題を変えた。


「あくまで月姫神は、ユアンがセシリアの息子だから……」

「それは……卵が先か鶏が先か、という話に近い。月姫神がどこまで織り込み済みで行動しているのか見当がつかなくてな。自分の力を分け与えた男の子が偶然レグルスと同い年なのか、レグルスと同い年の男の子にあらかじめ力を分け与えていたのか、どちらなのかわからない」

「ふむ……それは、どちらでもよいでしょう。ユアンとレグルスくんは友人だ。出会ったきっかけがなんであれ、大切なのは、ユアンにとってレグルスくんがかけがえのない友人であるということです。子供たちは聡い。親が負い目を感じていれば、察して萎縮する可能性すらある」

「なるほど。あなたが支局長に抜擢されたのは、家柄ゆえではないらし……いてて!」


 クラリッサが急に痛がるのを見るに、どうやらエミリオがクラリッサの腕をつねったらしい。ミアは慌てた。


「ちょ、ちょっと! 今のあなたがそれをやったら、どう見ても、妻に暴力を振るう夫でしょ! やめて!」

「あ、それもそうか。でも、ウーゴさんに対してあまりにも失礼だったからつい、ね」

「……ふむ。これは、ストーリアの見方が変わりますな」


 ウーゴは平静を装い、セシリアは口元に手を当てている。傍目にも二人が引いているのがわかった――クラリッサの発言ではなく、エミリオの蛮行に。気づいているのかいないのか、エミリオはしれっと謝った。


「すみません。こいつの癖なんです。舐められたらつけ込まれる環境で育ったせいで」

「いやはや、わかりますよ。私も人を使う立場ですから。侮られると難しくなるのは、いつの時代も同じですな」

「……申し訳ない」


 頭を下げるクラリッサに、ウーゴは笑顔を崩さない。

 そんなウーゴの態度を、ミアは不思議に思う。


「しかし、本当に信じているんですか? その……」

「エミリオさんとクラリッサさんが原典イコーナの登場人物の生まれ変わりだという話ですか?」


 ミアが言いあぐねてしまったことを、ウーゴはさらりと口にした。


「確かに、突拍子もない話ではありますが……信じるというよりは、疑う理由がないというほうが適切でしょうか。フィーロさんたちが我々に嘘をつく理由がありません。仮に嘘だとしたら、私は親として、ユアンとレグルスくんの付き合いについて考え直さなければならない。しかし、ユアンにはレグルスくんが必要で、おそらく、逆も真です。怪しまれることはわかっておられて、それでも打ち明けてくださったと考えるのが筋かと」


 エミリオとクラリッサは頷いた。

 ウーゴの物事のとらえかたは、ユアンとそっくりだ。この親子は、先入観や固定観念を排して、徹底して合理的に考えることができるらしい。


「……では、アークトゥルスさん。エミリオとクラリッサから聞いたことを話していただけますか?」

「え、僕から話すけど」


 ミアはエミリオに首を振った。もう口を挟まれたくない。


「何を聞いていて何を聞いていないのか確認したいんだよ。でなければ、私から何を話すべきかもわからない」

「学園長が責任を負っているのはユアンとレグルスくんだけではない。生徒全員、教員、職員。慎重にもなるでしょう。ところで学園長、立ったままではなんですから、そちらにおかけください」

「あ、ああ、すみません」


 促されたので、ミアは一人がけのソファに座ったが、上座はどうにも気が引ける。


 咳払いをしてから、ウーゴは簡潔に話した。


「生まれ変わりという事象が存在し、前世の記憶を持ったまま生まれてくる者がいる。エミリオさんは真昼の姫君エステーリャの、クラリッサさんは宵闇の王子クロノの生まれ変わりで、かつての生の記憶を持っている」


 淀みない話しぶりからして、もうウーゴの中ではこの話が腑に落ちているらしい。


「お二人は何度か生まれ変わってきたが、同世代の異性として生まれることができたのは今回がはじめて。ようやくお子様に恵まれたが、そのお子様……つまりレグルスくんに、あるものが受け継がれてしまった。お二人がエステーリャとクロノであったとき、次の生に望みを託すべく心中した際に使った剣……ようしゅしんロッサ・ステラトゥス・ギガンティスから陽の民に与えられていた、〝陽煌ようこうつるぎ〟」


 エステーリャとクロノが反抗のために陽の民の王宮から持ち出し、自死に用いた陽煌の剣――げつめいつるぎと同じく、神に認められた者のみが手にできる四つの剣のうちの一振り。アステラ・ストーリア〝燃え盛る愛と血〟で語られている歴史的事実はここまで。その後、陽光の剣の行方がわからなくなったことは秘されている。


「ここからはクラリッサさんの推測だそうですが、陽煌の剣はふたつに分かれ、お二人の魂を鞘として宿った。その剣が、お二人の子であるレグルスくんの魂に移動して、再びひとつになった。それゆえに、レグルスくんには極めて強い抗アステラの力が備わっている。陽の民に由来する力です。だからユアンとレグルスくんが同室となった。ユアンのアステラ暴走症に対して、レグルスくんは強い抵抗力を持つから……こんなところでしょうか」


 ミアは頷いた。


「……わかりました」


 フィーロ夫妻が話したのは、レグルスとユアンに直接関わってくることだけだった。原典イコーナの誤謬やヴィルジェーニアスの企みについてまで話す必要はないと判断したらしい。特に原典イコーナについて知ってしまったら、アステレヴィジョン支局に勤めるウーゴには障りがあるかもしれない。欺瞞だらけのこの世界では、時に無知が身を守る。


「お前、レグルスのアステラ・ブレードが目覚めなければいいと思っていただろう」


 クラリッサがミアを睨んだ。

「だから入学を遅らせた。半年なのは、〝地母神の加護〟で失敗させるため。何度もしくじればレグルスが諦めるかもしれないとでも思ったか?」


 ギクリとした。その指摘にも眼光にも。

 図星だ。それが、圧倒的大多数の人々のため、つまりは世界の安定のためだとミアは考えた。陽煌の剣が顕現すれば、神に要求すべく四つの剣を求める者が必ず現れる。カノープスに倣い、世界を変えようとする者が。


「お前の立場がわからないほど私はガキじゃないが、私はレグルスの親だ。あいつが望むことは何だってやらせるし、夢は応援する。そのための障害は取り除く。レグルスのためならお前の事情もヴィルジェーニアスの企みも世界もどうでもいい。私だけは絶対にレグルスの味方でいる」

「僕はミアの立場も尊重したいけどね。困ったら相談して。僕にとって君は、やはり一番の友人だから」


 昔から変わらない。この二人は、互いの意見の違いでバランスを取っている。


「僕らはちょっとばかり過去に囚われているけれど、レグルスは今を生きている。陽煌の剣を持っていようが、レグルス自身のアステラはテッラだ。レグルスの人生の軌跡が剣の鞘になっている。花が大好きだったグランマ……クラリッサの母上から、影響を受けてたりとかね」


 クラリッサの母――その人は、宵闇の王子クロノとは何ら関係がない。エミリオとクラリッサの子として生を受けたレグルスに、過去の因縁は何ら関係がない。因縁のほうが彼を追いかけてくるならば、ティターニア学園の学園長であるミアが、彼を守らなければならない。今回のような事態は二度とあってはならないのだ。


「……わかりました。ではレグルス・フィーロは、今後もティターニア学園でお預かりします。ユアン・アークトゥルスは……」

「あの子が自分から辞めたいと言わない限り、お願いします」


 答えたのはセシリアだ。


「人と一緒に生きていくのはあの子にとってとても恐ろしいことだと思います。それでも、ユアンが克服したいというのなら……また、たくさんの人に迷惑をかけるかもしれませんが……」


 迷惑とは、アステラパシーによって学園全体がネガティブな影響を受けたあのときのことだろう。幸いにも、そのときのことを記憶している人の数はごくわずかだ。


「我々は親ですから、我が子を想うとエゴイスティックになってしまいます。仕事のようにドライにはできません」


 ウーゴの目は必死で、縋るようでもあった。


「だからあなた方にお任せしたい。トラブルメーカーは月姫神だけで、ほかの先生はみんなあなたが選び抜いた精鋭なんでしょう?」

「はい。その点に関しては断言できます」

「では、来年もユアンをよろしく頼みます」


 アークトゥルス夫妻はソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。


「さて、僕らはこれでいいとして」


 エミリオがミアに尋ねる。


「ミア自身の悩みは? レグルスから聞いた限りでも相当大変そうだし、僕は知っちゃったからなあ……デネボラくんのことを」

「確かにそれは大きな悩みだけど、ここにデネボラ・ストーンの関係者はいないから、話せないよ」

「それもそうか」


 おそらくここにいる面々は、デネボラ・ストーン――本名、デネボラ・レゴラメント――の事情を知れば、彼女を思いやってくれるだろう。だが、デネボラ自身が自分の親のことも性別のことも隠している以上、ミアの一存で明かすことはない。


「それにしてもさ、デネボラくんが演じたよ。あんな状況でなければ、笑っちゃうくらいだった」

「それは……褒めたいけど、複雑かな」


 意地の悪い笑みを浮かべるエミリオに、ミアはため息を禁じ得なかった。冗談の趣味の悪さは、何千年経っても変わらないらしい。


「私は去年のチャリティーでデネボラ・ストーンを見てすぐに女だとわかったが、別に誰かに言う必要もなかったから黙っていた」

「えっ!?」


 クラリッサの発言に一番驚いているのはエミリオだった。


「すべてを賭けた挑戦が失敗するなんてのはよくあることだが、挑戦すら許されないのは、世界の誤りだ。私はそう思うが、お前はどうだ? ミア・プラキドゥス学園長」

「……」


 戦争は終わった。だが、アステラ・ストーリアを中心とした新たな秩序は、この世界の人々に自覚なき不自由を強いている。属性と性別で可能性を縛る――それが善いとは、ミアも思っていない。デネボラや、望んだアステラを宿せなかった生徒たちは苦しんでいる。


「それがお前の一番の悩みだろう。そんなこと、聞かなくてもわかる」

「まいったなあ……」


 ミアは、桜色の後れ毛を弄びながら、草色の瞳を伏せた。

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スタアリィ☆☆ナイドル【第一章完結】 遠野朝里 @tohno_asari

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