魂の管理者

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魂の管理者

 魂の管理者――それは死してやってきた魂を適切な場所へ送る管理の役目を担う者を指す。

 現世で何かしらの要因によって肉体が死を迎えた魂は、その身体から抜けて此処へやってくる。抜けても現世に留まる魂も存在するが、それは特殊な例であるため、基本的には魂の管理者に元へ来るのが普通だ。


「……来ましたね」


 魂の管理者である彼女はやってきた魂を書類に照らし合わせながら精査を始めた。

 来た魂は彼女によって裁定され、その後の魂の配属場所が決められるのである。


 生前に善行をした魂には良質な肉体へ。

 生前に悪行をした魂には生すら辛い肉体へ。


 それは人であるか、はたまた別の生物になるのかは彼女の気分次第というのが大きいが、原則的に善魂ぜんこんは幸福な世界へ、悪魂あくこんは不幸な世界へ送られるのが必定である。


「善行は……申し分ないですね。腹上死という死に方以外は実に良い人生だったでしょう。……しかし、腹上死とは中々出会わない死に方なので私自身も楽しいです」


 魂は話さないので言いたい放題である。

 だが、彼女は何千では済まされない幾星霜の時を魂の管理者として勤めているのだ。最早、管理を娯楽と感じないとやっていられないのである。

 それでも裁定は至って公平であり、私情を挟むようなことはしない。だからこそ、彼女はこの地位に長年も居座ることができているのだ。


「それでは貴方の裁定を言い渡します……世界コード256、生態名『オーク5569』に魂の移動を決定…………今度は腹上死をしない性欲高めの生物だから安心してください……クッ」


……本当に公平なのである。この裁定でもだ。

 こうして本日も恙なく裁定を行っていたのだが、彼女の元にひょっこりと一人の『人』が現れた。


「やあ、調子はどうだい?」

「ムッ……」


 その『人』の登場に顔を顰める。

 それは『人』と言うべきか分からなくなる姿をしている。まるで靄でも掛かっているかのようなぼやけた存在。辛うじて見える体格が人型をしていることから『人』と表現しているが、魂の管理者である彼女にも実態は掴めないでいる。

 その、人がどうかも危うい、仮称『人』は彼女に反応にガクッと肩を落とした。


「どうしてそんな顰めっ面をするのさ! これでも僕、上司なんだけどなー」


 チラチラと彼女に何度も目を向けている『人』。その口からはパワーハラスメントともとれるような発言が為され、彼女は余計に不快感が高まる。

 しかし、上司であることは事実であり、何かの切っ掛けで魂の管理者という任を下ろされるわけにはいかない――今まで下ろされたことはなかったが――と思案してから言葉を発した。


「……分かりました。今日は何の用ですか、神様?」

「うんうん、それで良し!」


 しっかりと反応してくれたことが嬉しいのか、気分の良さそうな語調の『人』改め神。彼こそが魂の管理者の上司に当たり、世界を円滑に進行する役目を担う存在である。

 面倒臭い上司を持ったな、と内心で溜め息を吐きながら此処へ来た理由を問うた。


「それで、神様はどうして此処にいらっしゃったんですか?」

「いやーまあ、これを渡そうかなと思ってね」

「ま、まさか辞令ですか!?」

「違う違う。だからそんなに身体を震わせないでおくれ」

「……良かったです。まさか最近意図的に変な場所へ魂を送っていることがバレたのかと思いました」

「ちょっと待って。それは聞き捨てならない発言だよ……?」


 ホッと胸を撫で下ろす彼女。もし、此処で出されたのが辞令だったら如何にして神殺しを実現させようか本気で検討するところであった。

 何か神様が話しているようだが、辞令でない以上は特に気にする必要はないだろうと判断した彼女は再び仕事を戻ろうとした。


「ストップ! 色々言いたいことはあるけど、とりあえずこれ! 渡しておくよ!」


 そう言って渡されたのは一枚の紙である。その一紙で全てを察した彼女は、今度は内心ではなく本気で溜め息を漏らした。


ですか。分かりました、受理しておきます」

「ありがとう、助かるよ!」


 それだけ言ってそくそくとこの場を後にする神。まるで此処から逃げようとしとしているように見えた。

 神の姿が見えなくなったところで、彼女は大きく溜め息を吐く。


「これで何回目なんだろう、うちの神様は。一体、何の目的でやってるんだか……」


 そう言って視線を先程受け取った紙に落とす。

 その紙は何かしらの特殊な事情で魂の管理者の元を通らずに神の元で魂の行方を決めた特殊事例の通知書である。本来では有り得ない事態のはずだが、こういった書類にまとめることで一応は可能となっている。


「えっと、今回の死因は……うげ、また交通事故」


 またもや見覚えがある言葉にげんなりする。

 彼女の記憶が正しければ、同じような事が既に何百回は行われている。更に付け加えれば、その魂の死因の大半がトラックとの衝突などの交通事故だ。

 こうも回数が多いと訝しいが、あくまで神の権能を借りている身である彼女にはとやかく言う資格がないのも事実である。


「……そういえば、共通点は死因だけじゃないんだっけ」


 今回の特殊事例の適応が為された人物の生涯プロフィールを見ながらふと思い出す。

 そこまで気にも留めていなかった事であるが、一度気になれば増幅されて余計に気になったしまうのが性である。

 魂の管理という仕事を手早く終わらせ、今日の分の作業を全て終わらせると、これまで特殊事例として受理されていた案件を探す。と言っても、件の紙はすぐに見付かった。


「そりゃあ、まあ、普通の案件の紙は捨ててるしね」


 本来は全ての魂の記録は残さなければならないのだが、流石に毎日のように何百万件という大量の案件を捌かなければならないので、それらを全て保存しているよりは裁定が決まった魂の書類はさっさと捨てた方が色々な意味で効率がいいのだ。

 結局手元に残るのは特殊な事例を取り扱ったものだけであり、特に神から受けた本当の特殊事例だけは厳重に保管しているので探す苦労は全くないのである。


「えっと……どれどれ…………うん、間違いない。やっぱり大半が不幸な人だ」


 交通事故が死因の人が多いこと以外にも、碌でもない生涯を過ごした人が多いことも判明する。碌でもないというのは、幸がなかった者のなかでも特に自己嫌悪に苛まれつつも利己的に動いた悪魂あくこんたちのことだ。

 本来であれば、他人に掛けた迷惑度合いによっては同じ人類への魂の移動か、それ以下の肉体へ魂を移動させることになっている。つまり、最高が将来不明の人間で、迷惑を掛け過ぎた魂には生すら辛い肉体へ移動することになるということだ。


「だけど、こんな魂を何処へ送っているんだろう……」


 魂の管理者からしたら、神に直接決めてもらうなどというおこがましい行いをしている時点でその魂の再起を不能にしたくなる程であるが、何かしらの事情があるのは間違いない。

 その事情とやらを是非とも面白そうなので知りたいと思う彼女だが、これだけでは全く情報が足らない。この程度の情報量で神の意図を掴める者など、天才と言われた名探偵ぐらいだろう。

 となれば、答えは一つ。


「……覗くのが一番かな」


 こうして魂の管理者は神の動向を監視するという暴挙に出たのだ。


***


――翌日。魂の管理者は本日の仕事を放棄し、こっそりと神の跡を付けていた。

 仕事を放棄と言ったが、やっていないわけではない。今日の分の魂は全て「爬虫類に分類される肉体への移動」ということにしたので問題ないだろう。

 そして、表面上では仕事を熟している最中、巨人の鍛冶職人によって作られた隠れの兜を身に付けることで尾行を可能とした。これを付けている限りはその姿を見ることは不可能であり、その存在の認知は不可能とされている優れ物だ。


(これで私がいることは分からないはず……)


 これで見付からないことは間違いないのだが、自分自身ではその事実を実感することができないので息を呑み、明らかに緊張していた。

 だが、此処まで来て止めるつもりはない。

 物音を立てないように忍び足で、息を殺し、気を静めてまずはチラリと神の姿を見た。


「ふ、ふふん♪」


 神は何やら楽しそうにスキップをしながら廊下を歩いていた。先程から尾行を行っているのだが、ずっとこの調子である。

 恐らく神を信仰している信者がこの光景を目の当たりにしたら、信仰心が割れたガラスのように砕け散ることだろう。

 そのような、良い言い方をすれば無邪気に移動する神を、物言いたげな目をしながら付けていく。 


 スキップをしている神を追い掛けて数分が経過したところで、神はピタッとその足を止めた。そこは神が執務を行うための部屋、つまり執務室である。

 大きな木造のドアで待ち構える執務室は神よりも数百倍という広さを誇る。魂の管理という大役に勤めている彼女の職務室でさえも数十倍程度の広さであり、それだけで彼が上司だということを分からせるのは容易だろう。

 その巨大な壁ともとれるドアを片手で軽く一押して開き中へ入っていった神の跡を、彼女も扉が閉まる前に執務室へ潜り込んだ。


(うわぁ……)


 執務室に入った彼女を待ち受けていたのは、何とも幻想的な光景であった。

 タイル板で敷き詰められた床に、純白の壁が静謐さを醸し出している。壁の一辺は外が見渡せるように巨大な窓が設置されており、その窓から見える風景――澄んだ青い空に、純色の七色でできた虹など――はまさに神秘という一言に尽きる。

 彼女にとっては此処へ来たのも、外を見たのも一度しかなかったので、その情景に心が震えた。


(ハッ! まずいまずい。今はこの景色に見とれている場合じゃなかった)


 本来の目的を思い出した彼女は、そっと部屋にぽつんと置かれている執務机に備え付けられた椅子に座る神へ視線を向けた。


「ふむ……」


 神は何やら真剣そうに何かの書類を見ていた。

 その表情はぼやけた存在であるが故に伺うことはできないが、それでも書類をじっと刮目していることから重要そうな書類だということが窺える。

 何をそんなに真剣に見ているのだろう、と疑問に思った彼女はゆっくりと忍び足を立てないように近付いてその書類を覗き見た。


(え、これって……)


 それは彼女も良く知るものの、扱うことはない生きている魂のプロフィールだった。

 基本的に魂の管理者が取り扱うのは死後に彼女も元へやってきた魂の生涯が書かれたプロフィールだが、未だ生きている魂のプロフィールが記載された書類も存在するのだ。

 まだ死んでいないため、その内容は完全ではないにしろ、これまでどのような人生を行ってきたのか、その軌跡を見ることは可能である。


(こんな重要書類、閲覧規制があって見ることができるのは神の中でも全知全能を謳われたような人たちだけ。そんな書類を見てるけど大丈夫かな……)


 禁忌の状況に直面しているという事実に罪悪感に苛まれる彼女だが、反対にそれが背徳感を煽ってより一層楽しくなってくる。

 日々、色々な魂を見てきて、様々な知見が広がったお陰だろう。

 そもそも隠れ兜を被っているため、気付かれないはずである。

 こうして背後から見られているということに気が付いていないであろう神が、数分間に渡りその紙を見たあと、「よしっ」と紙を机の上に投げた。


(これから何をしようとしているのかな……)


 神の言葉は、まるで何かを決心したかのような言い方であり、これから始まらんとする何かに彼女は期待に胸を膨らませる。

 神は徐に紙の上に手を掲げると強く声を発した。


「この魂よ。死してこの場に現れ賜え!」


 その一言を神が告げた刹那――その紙が轟々しく輝きだし、やがて眼前に人型の魂が現れた。

 はっきりとその魂の全容を捉えることはできないが、間違いなくその魂は先程までのプロフィールに書かれた肉体に存在していたものだろう。

 つまり、神はその者に死を与え、此処へ呼び出したということである。


――それは命の冒涜だ。


 彼女……いや、魂の管理者であるからこその怒りがふつふつと湧いてくる。

 これまで数え切れない程の魂を見てきたからこその感情。

 どのような魂でも一生を精一杯生きているからこその軌跡、歴史がある。もちろん、軌跡には敗北があり、屈辱があり、生の否定がある。

 だが、それは世界に苦悩し、世界と戦ったが故に結果だ。無為にするようなことはできない。

 そのような素晴らしい生を、ただの神の一言で終わらせてしまうのは、命の冒涜と言って何が違うのだ。

 今すぐにでも文句を言いたくなる。しかし、今此処で出てしまえばせっかく隠れているのが意味を成さない。

 彼女は憤怒の感情をぐっと堪え、今は神が魂を呼び出してどのような行動に出るかを伺う。


『こ、ここは……』


 右も左も分からず、きょとんとした様子の『魂』が呟く。

 突然死を迎えて、しかも訳も分からない場所に飛ばされたのだ。未だに状況を飲み込めていないのだろう。

 しかし、神はそのようなことはお構いなしに端的に事実を述べた。


「此処は死後の世界だ」

『死後の世界…………ッ!』


 ようやく自分が死したことを思い出したのか、何やら嬉しそうな複雑そうなよく分からない反応を見せる『魂』。あの『魂』はまるで、この出来事に経験があるかのように感じられた。

 だからだろうか、あっという間に冷静さを取り戻した『魂』が神に目を向けて問う。


『ということはもしかして、貴方が神様?』

「そうだね」

『ッ! なるほどなるほど。状況は大体理解できた。にして、神様は俺に何のようなだ?』


 今までとはまるで比べものにならない不遜極まりない態度で『魂』は神へ話し掛けた。神の信者なら、恐れ多いと首を左右に振るような行動である。

 しかし、神は特に気にすることなく言葉を返した。


「じ、実は其方が死んでしまったのは手違いなんだ」

(え、)


 そんなことがあるわけがないと彼女は強く否定した。

 現に彼女は目の前で自らの手で呼び出している瞬間を目撃しているのだ。更に付け加えれば神がそのようなミスを犯すような愚かではない。

 全知全能の領域に存在する神は全知全能の逆説があるにしても、神であることは違いないのだ。そのような初歩的なミスを犯すような神では、全知全能の領域には立てないのである。

 何を急に言い出しているのだ、と懐疑的な目を向けながらも、彼女は神と『魂』の会話を聞き続けた。


「その代わり、これは一つ提案なんだけど、異世界にない? もちろん、優遇はするよ」

『行きます!』


 逡巡する気配もなく言い切る『魂』。

 まるで待ちに待った状況だと言わんばかりに歓喜に溢れる言動である。

 それを聞いた神はうんうんと満足そうに首を振り、右手を掲げた。


「それでは、其方を異世界へ転生させる。楽しい人生を!」


 目映い光が神の右手から放たれ、その光が部屋を包む。

 光が止んだ頃には『魂』はそこには存在しなかった。神の言っていた異世界へ転生したのだろう。

 静かになった執務室。神はドスンと椅子に座ると、忍び笑いを始めた。


「これで順調順調。あとは今の魂の分の書類を……」


 そこまで言い掛けて黙る神。

 何事かと怪訝に感じていると、急に神が虚空へ向けて発声した。


「――いるんだろう、隠れてないで出てきなよ」


 その言葉が彼女が隠れているということを知っていたことを告げるものであった。

 彼女も白を切るという選択を一瞬だけ考えたが、すぐにそれが身を危険に晒す可能性が高いと判断する。


「……どうして、分かったんですか」


 観念して姿を現す彼女。

 そのような彼女の姿を見て、神は自信満々に告げた。


「そりゃあ、僕は神だからね」

「そうですか……」


 そう言われてはぐうの音も出ない。

 隠れ兜も所詮は姿を隠すのが限界であり、視覚以外でも認知ができる神には意味を成さなかったのだろう。

 彼女は神に何を言われるのか胸が張り裂けそうになりながら様子を伺う。

 神は見透かすような視線を彼女に向けた。


「……どうして、あんなことをやっているのか知りたいんでしょ?」

「はい……知りたいです」

「答えは簡単だよ。全ての世界を円滑に進めるためさ。役立たずでも僕の力があれば十二分に働く駒になるからね」

「なっ」


 神のその言葉に彼女の怒りは頂点に達した。


「どうして、そんなに命を粗末に扱えるんですかッ!」

「そんなの僕にとっては、全ての命が平等に駒と何ら分からないからね」

「ッ!」


 神にとっては命など、自分が操るための人形程度にしか思っていないのである。

 自分の意思で生死が左右することも、世界が変わることも大して気に留めていないのだ。

 先程の命の冒涜に続き、この発言で最早彼女の感情が普通ではいられない程に激情した。

 しかし、激怒しているからこそ意外と冷静になれる面も存在する。まさかと思われた可能性が頭を過ぎり、それが事実が否かを神に問うた。


「……もしかして、これまでも似たようなことをしてきたんですか――ッ!」

「その通りだよ。毎回毎回趣向を凝らしているけどね。たとえば、とある世界の物に恩恵を与え、その力で他の世界の人を呼び出させたりね。いやはや、見てるだけで面白かったよ」


 最早、命どころではない。全ての世界すら冒涜する、悪魔の所業である。

 余りにも考えられない行動と言動に、彼女は後足で砂をかけるような態度で執務室の出口へ向かう。

 しかし――


「駄目だよ、逃げたりしたら。君には魂の管理という重役があるんだから。まあやらないならやらないで、良いんだけどね」

「…………」


 彼女は神の言葉を無視して、執務室を出た。まるで苦虫を噛み潰したような厳しい表情をしながら。


――彼女は知ってしまった。神の行動の理由を。神の本性を。


***


 翌日からは魂の管理者である彼女は、いつも通りの死した魂の管理という仕事を行っていた。

 神も神で毎日にように来ては、自らで殺したものの魂を別の世界で送った報告書を渡してくる。

 表面上では彼女も取り繕うが、内心ではマグマのような轟熱の怒りが湧き出ていた。

 今の彼女は今までのような適当な仕事はしていない。

 全ての魂を、全ての魂の為に、悪魔のような神に対抗できるような存在が誕生できるように動かす。

 その行い自体は神と余り変わらない。命の冒涜は行っていないが、私情の為であることは変わりない。

 しかし、彼女は決心したのだ。


――たとえどのようなことがあっても、あの神すら倒せる魂を作り上げる。


 それが彼女に課せられた宿命なのだと、虎視眈々とその時が訪れるまで魂を育てていくのだった。

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