好きだと言ってくれ!

豆崎豆太

好きだと言ってくれ!


 四月。長かった受験生活を終え、たっぷりと春休みを満喫して、さあこれから新生活! とうっきうきで踏み込んだ教室にゴリラがいた。ゴリラっていうかゴリラがいた。うんゴリラだ。ゴリラの種類とかには詳しくないからもしかしたら細かいところでゴリラに似た何かなのかもしれないけどパッと見は霊長目ヒト科ゴリラ属っぽい。

 アイエー……? ゴリラ? ゴリラナンデ? しかも隣の席じゃん。ゴリラナンデ? と思いながら取り敢えず初対面の学生(学ラン着てるし)(ゴリラなのに)同士ということで「おはよう」と言ってみたらちょっとはにかんだような声で「おはよう」って返事が来てああ喋るんだ……? みたいな感じでまあ取り敢えず(二回目)意思疎通はできるっぽいし学ラン着てるから後ろ姿は人間と変わらない感じがするし(いやゴリラなんだけど)すべての疑問を先延ばしにしつつちょっと毛深い同級生くらいの感じで絡んでみることにした。

「おれ、但馬たんば亮。西中出身。よろしく」とか言いながら握手のために右手を差し出してみるんだけど差し出してからあれっゴリラの握力ってやばいんじゃないこれ手出しちゃだめなやつじゃない? とか思ったんだけど俺の手を握り返したゴリラ(人間に対して人間と呼ぶような雑さはまだ名前がわからないのでご愛嬌)の手は存外ソフトでそのあたりの出力調整はちゃんとできるっぽい。ゴリラはやっぱりちょっとはにかんだような顔をして(照れ屋なのかもしれない)、「おれ、ゴリ田ゴリ夫」と返事をした。いやネーミング雑かよ。


 ゴリ(と呼んでいいと本人(本ゴリラ?)が言うのでそう呼ぶことにした)は普通に頭がいい。その上スポーツもできる。陸上と水泳は特に強い。ただし卓球はからっきしだ。本人(本ゴリラ)曰く、ラケットが小さすぎて持ちにくいどころの騒ぎではないらしい。シャーペン持てるんだから平気じゃねえの? と思うんだが、まあ、たぶん慣れの差だろう。テニスもちょっと気を抜くとボールが破裂するとか言ってビクビクしてたな。たぶん、テンションが上がると力んでしまうんだろう。

 性格はと言うとこちらも良く、ゴリラ本来の優しさや賢さが存分に押し出された菩薩かよみたいな性格をしており、ちょっとはにかみ屋であること以外は欠点らしい欠点もない。そんなゴリなので少なくとも男子からの人気は絶大も絶大で、あっという間にクラスの中心ゴリラになってしまった。何だよ中心ゴリラって。猿山かよ。

 対する俺はと言えば成績も地味、スポーツも地味、外見も地味の地味地味地味で、もちろんゴリラに勝るインパクトなんか誰も持ってはいないのだけどそれにしたって地味で、あっという間にそのゴリを中心とするクラスの輪からはみ出てしまう。男子の輪から外れたからと言って女子の輪に入れるかというとそんなはずもなく、俺は教室の割りと隅っこの方でぼんやりしているだけの人間になる。なるっていうかまあ、中学の時もそんなもんだったか。

 そんなわけで夏も近くなる頃には俺はすっかり元の根暗で地味なクソ男に戻ってしまっていて、自分から誰かに話しかけることもなければ誰かに話しかけられてもぶっきらぼうにあしらうだけでますます周囲から人がいなくなって、心地いい半ばそう自分に言い聞かせているだけみたいな曖昧な状態でそれもやっぱり考えないことにしていて。

 目の前の問題を先送りするのは昔から俺の短所だ。昔から何の能力もろくすっぽなくて、誰かの仲間になろうとしても誰も仲間に入れてくれなくて。要はアレだ、体育でサッカーやるのにチーム分けで最後まであぶれて残っちゃうタイプ。別に運動神経も良くないし、誰も特に仲良くないし、チームに引き入れる理由が特にないまま最後まで残って渋々入れてもらうタイプ。誰かに特別に嫌われたり、例えばいじめを受けたりした記憶もないけど、誰にも好かれないタイプ。俺はちょっとずつ積極性を失っていったし、積極性のない人間と仲良くするやつもいなかったし、何の能力も育たなかった。それだけ。良くも悪くも敵にも味方にも数えられていないタイプ。何の話だっけ。ああ先送りの話な。別に問題を先送りにしたって何かが解決するわけじゃないんだけど、結局俺は全部が手遅れになってしまうのを待つしかできないんだよ。ヘタレだから。「できなかった」って結果をも積極的には取りたくないんだ。どうせできないくせにな。

 一学期の中間テストが終わった頃に席替えがあって期末が近づく頃にはもう誰も俺に話しかけなくなってた。言っておくが、これは尋常な状態ではない。なにしろ「話しかけられない」ためにはかなりの努力がいる。忘れ物をせず、提出期限を破らず、移動教室も一人で完璧にこなす。俺はあっという間にコンタクトをやめたし、常に音楽を聞くようになった。マイナーバンドが好きなのは誰とも話が合わないからだ。結局は耳が塞がればそれでいいので名前も覚えやしない。ドラムとベースがドカドカブリブリ鳴っていればそれで百点だ。ちなみに読むのは誰も興味が無さそうな古っちい文庫本で、意味なんか殆どわかっちゃいない。とにかく毎日何かをやり過ごすみたいに暮らして、俺はまた何かの終わりを待っている。中学卒業間際のあの開放感を待っている。高校生活はあと三年あるのにな。クソだ、全部。


「亮」

 一学期の終業式が終わったあと、カラオケ行くかとか夏休みの予定がとか部活がとか言ってる連中を尻目にさっさと教室を抜け出した俺にゴリが声をかけてきた。ついちょっと舌打ちをする。誰とも話したくない。これで夏休みがどうこうとか言われたらさっさと逃げよう。

「なに」

「一緒に帰ろう」

「方向逆じゃん」

「駅まででいいから」

 ゴリが話しかけてくれたことに対して喜ぶよりも真っ先に腹を立てた自分にまた腹が立って、そのいらだちをゴリのせいにして、そんな自分にまた腹が立つ。クソ。ゴミ。

「いいよ構わなくて」

「なんで」

「別に用もないだろ」

「用がなくちゃ話しかけられないなんて、友だちじゃないみたいだ」

「友だち?」訊き返しながら笑ったのがなんのせいだかはわからない。俺は何かが可笑しかった。「いくらでもいるじゃん。なんでわざわざ俺んとこ来るわけ」

 これはただの暴言だ。頭の何処か隅っこの方が正しくそれを理解している。でも俺は、ゴリがわざわざ俺を追ってきてくれたこの期に及んでなお、こんなことしか言えない。こいつの目を見ることもできない。一刻も早く立ち去りたかった。あるいは立ち去ってほしかった。でもゴリは俺の腕を放してはくれなかった。

「俺、もともとあんまり人と話すの得意じゃないし、人見知りはするし、だから中学ではクラスに馴染むのもすごい時間かかって、……でも高校では、亮が真っ先に声かけてくれて。嬉しかったんだ、普通に『おはよう』って言ってもらえたことが」

 ゴリは俯いたまま、震える声でそう言った。大きいはずの体が小さく見えるほどひどくうなだれている。

「俺が何か嫌なことしたなら、それで亮が怒ってるなら謝らせてほしい。……このまま、嫌われるのは嫌だ」

 なあ、クソだろ。なんでこいつにここまで言わせなきゃなんねえんだよ。自分がただビビってただけのくせに。お前なんかって言われるのが怖いからって自分は他人にそう言ってんだ。情けねえ。クソ。

「違うんだ、俺は、……勝手に」

 そうだ。勝手にゴリを恨んだのは俺だ。なんでもできて、優しくて頭が良くて、スイスイみんなの人気ものになったゴリ。俺が話しかけるまで机に一人で座っていたゴリ。なのに、

「俺が一番最初だったのにって、クラスの連中にゴリを取られた気がして、――嫌いなわけない、お前は謝んなくていい」

 情けなかった。悔しかった。でもここで意地を張って、これ以上のクソになっちゃいけない。

「ごめん、全部ごめん、許してほしい」

「亮」

 感極まったゴリに強く抱きしめられて背骨から鳴っちゃいけない感じの音がして、俺の意識があったのはそこまでだった。

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