後編「帰還」

 体が軽い。

 これはこの天空の鎧とやらの力なのか、俺は黄昏たそがれの空を飛んでいた。


 魔王軍の斥候であろう、翼を備えた数十匹の魔物が俺へと襲い掛かる。

 手に持った唯一の武器であるスニーカーを「ぶんっ」と音を立てながら、俺はおもいっきり振った。


 周囲50メートルくらいの範囲で、魔物がゴキブリのようにつぶれる。


「なんだこれ?! スニーカーつええ!!」


 くうを蹴り、自在に空中を舞いながら、俺は何度もスニーカーを振り回し、魔物をつぶしていった。


「おりゃぁぁ!!」


 オーガ、サイクロプス、トロル、ガーゴイル、ヒュドラ、ダイアーウルフ。

 ゲームで見たことのある魔物を次々とつぶす。


 周囲に魔物が居なくなるまでスニーカーをふるっては、魔王軍の中心へ向けて進むことを、俺は何度も繰り返した。

 俺の勢いに引っ張られるようにして、王国の兵士たちもなだれ込む。

 これなら俺の本命チョコまでもう少し。


 そう思った瞬間だった。


 目に見えない衝撃波のようなものが俺を通り抜ける。

 足を踏ん張り、目をつむる。


 そっと目を開いた俺の周辺では、今まで戦っていた魔物と王国の兵士たちがチョコレートに変わり、動きを止めていた。


「なんで?! なんでチョコにならないの?!」


 頭上から女の子の声がする。

 チョコにする能力を持っているってことは、この娘が魔王なんだろう。

 魔王って女の子だったのか。


 それはさておき、魔王の疑問ももっともだ。

 なんで俺はチョコにならないんだろう?

 また天空の鎧のおかげなんだろうか?


 自分自身でも分からないものは説明できないが、とにかく、魔王の『生き物をチョコにする』能力は俺には効かないっぽい。

 俺は、魔王が居るであろう頭上に向かって、おもいっきりスニーカーを振った。


――ぶぅぅん!


 スニーカーは唸りを上げ、周囲の魔物チョコがつぶれる。

 勢い余って体ごと宙に浮いた俺と、魔王の目があった。


 そう、ひどい話で、魔王のチョコ化攻撃が俺に効かないように、スニーカー攻撃も魔王には効果が無いようだった。


「スニーカー効かないのかよ! 魔王を倒すためのチートじゃねぇじゃん!」


「それはこっちのセリフよ! チョコ化は世界を征服するためのチートなのに!」


 恐竜の骨を模したような、黒と茶色の大きな衣服を着た魔王は、チョコ化が効かないと分かると素手で殴りかかってきた。

 しかしそれも、天空の鎧を着た俺には全く効果が無い。

 女の子魔王を直接ぶん殴ると言うことに抵抗があった俺は、しばらく殴られるままにしていた。


「世界征服しなきゃ! センパイにチョコ渡せないの! この王国で最後なのよ! お願いだから降伏してよ!」


 叫びと共に、周囲に衝撃波が走る。

 今までで一番強力なチョコ化の衝撃波は、周囲一帯の生物と言う生物をすべて、魔物も兵士も動物も、チョコに変えた。


 それでも当然ながら、俺には全く効果は無い。

 ぽかぽかと何度も俺を殴る魔王の目には、いつの間にか涙があふれていた。

 顔は恐竜の頭蓋骨のようなマスクで覆われているが、この瞳には見覚えがある。

 俺は魔王の細い手首をつかみ、その眼をまっすぐに見つめた。


「ちょっと待って、魔王ってもしかして三島?」


「え? ……え?! ……センパイ?」


 魔王の手首を離し、俺はかぶっていた純白のかぶとを脱ぐ。

 彼女は俺の顔を見ると、その眼にぱっと喜びの表情を上らせた。


「ああっ! センパイだ! ワタルセンパイだ!」


 魔王マスクをもどかしそうに脱ぎ捨てる。

 そこから現れたのは、いつものあのかわいらしいポニーテールだった。


「センパイっ!」


 三島が抱きつく。

 俺はこの時ほど天空の鎧が邪魔だと思ったことはなかった。

 とにかく、小柄な三島の倍以上は体積がありそうな魔王の衣装ごと、俺も三島を抱きしめる。


 抱きしめあい、空中を漂いながら、俺たちはここまでの経緯を話し合った。


「じゃあ三島も、神様って名乗るやつにチートをもらってこの世界に来たのか」


ってことは、センパイもですか?」


 どうやらあのチートをよこす神とか女神とか言うやつらは、お互いに対決するために、俺たちみたいな人間を捕まえては異世界に送り込んでいるらしい。

 俺は世界を救うこと、三島は世界を征服することを使命として、それぞれ別の神に送り込まれたらしかった。


「でも、それじゃあ私かセンパイか、どっちかしか元の世界に帰れないじゃないですか……」


 三島が泣きそうな顔をする。

 俺は以前から憧れていたように三島の頭を優しくなで、にっこりとほほ笑んだ。


「俺に考えがある。この国の王に会いに行こう」


 抱きしめあったまま、俺たちはこれからの相談をする。

 いつの間にかすっかり暮れていた空は、冗談みたいな数の星が輝いていた。


  ◇  ◇  ◇


「この国の王様! 私は魔王よ! 最後の通告に来ました!」


「王様! 俺だ! 勇者だ! 俺は魔王に協力することにした! すぐ出てきて無条件に降伏しろ!」


 この俺の言葉を聞いた衝撃はどれほどだったろう。

 空中に漂う俺たちに向けて、矢や魔法がいくらか飛んできたが、魔王にも勇者にも全く効果がない事が分かると、彼らも諦めたようだった。

 しばらくして、さっき見た王様が現れる。

 俺に向かって苦々しげな視線を送ると、王様は膝を折った。


「魔王よ……そして魔王の手に落ちた勇者よ。私はこれこの通り首を差し出そう。その代わり、他のものに手出しはせぬと約束してくれ」


「首なんかいりません。それより、降伏するんですね?」


「むろんだ」


「やった! センパイ! これで世界征服完了です!」


 三島が俺に抱きつく。

 鼻の下を伸ばしながら、俺は三島の目を見つめた。


「じゃあ、世界を征服した魔王に、勇者の命令だ」


「はい、センパイ」


「世界中の人間を解放し、魔物を退却させろ」


「はい、センパイ!」


 嬉しそうな三島の言葉と共に、強力な衝撃波が世界を覆う。

 その衝撃波に当たったチョコたちは、次々と元の姿に戻ってゆく。

 動き出した魔物たちは、魔王の号令一下、魔界へと帰って行った。


「これで俺は、魔王の手から世界を救った勇者って訳だ」


 なにがなんだかわからないと言う顔をしている王様を尻目に、俺と三島は、何かに導かれるように天に上る。

 この異世界の人間が判別できないほどの上空で、くだんのクソ女神と、もう一人同じような姿の男がふわりと現れた。


 二人は何やら言い争っている。


「――最終的に世界を救ったのはワタルだかんね! あたしの勝ちよ!」


「何を言っている。最初に世界征服を成し遂げたのは弥生ヤヨイさんだ。ぼくの勝ちに決まってるだろ!」


 ……心の底からどうでもいい。

 俺は三島の腰を抱いたまま、二人を睨みつけた。


「どっちの勝でもいいけどよ。約束通り俺と三島をあの時、あの場所に帰せよ」


「センパイと私を帰らせてください!」


 三島が俺の言葉に唱和する。

 顔を見合わせた神たちは、困ったように俺たちに視線を戻した。


「それはさぁ、難しいって言うか……」


「勝利した方の願いしか聞けないんだ、ぼくたちは」


「めんどくせぇな。どっちも勝ちでいいじゃんかよ」


「そうですよ! みんな勝ちでいいじゃないですか!」


 俺と三島の提案に、神たちは目を丸くする。

 その口元にじんわりとニヤニヤ笑いがのぼるのを見て、俺は勝利を確信した。


「しょ……しょうがないなぁ。今回はどっちも勝ちってことで」


「そうだね。ぼくもそれでいい」


「でも、つぎはあたしが勝つかんね!」


「それはぼくのセリフさ!」


 これ以上神たちの痴話げんかを聞いてやる義理は無い。

 俺は咳払いをして、神たちに今やらなければならないことを思い出させた。


「あぁ、はいはい。んじゃもどれ~っと」


弥生ヤヨイさんも、いい働きだった。戻っていいよ」


 存外ぞんがい適当に、俺たちは光に包まれる。

 しっかりと抱きしめあった俺たちは、周囲の景色がぐるぐる変わり、少しずつ元の世界に近づいているのを感じた。


「あ、そうだセンパイ! じゃなかった、勇者さん!」


「なんだよ、三島」


「三島じゃないです。魔王です! 魔王の軍門に下った勇者に、魔王から最後の命令があります」


「はいはい。なんですか、魔王様」


「えっと、これからは『魔王様』でも『三島』でもなく、あの……『弥生ヤヨイ』って……呼んでほしい……です」


 三島のほおが真っ赤に染まる。

 負けず劣らず真っ赤になっているだろう俺は、照れ隠しで視線を外し、わざと少しいじわるな言葉を吐いた。


「……命令なんだろ? ちゃんと命令しなよ」


「あ、はい! センパイ、これからは『弥生ヤヨイ』って呼んで……あ、呼びなさい!」


「ああ、わかったよ。……弥生ヤヨイ


「はい!」


 弥生ヤヨイは俺の体に手を回し、ぎゅっとしがみつく。

 そして俺たちは、放課後の通学路へと戻った。


  ◇  ◇  ◇


 2月14日。


 義理チョコをいくつかゲットし、なんとか体面を保った帰り道。

 俺は陸上部の後輩に呼び止められた。


ワタルセンパイ。これ……受け取ってください」


「……ありがとう。弥生ヤヨイ


 チョコの入った紙袋を受け取る俺の横を、大型のトラックが通り過ぎる。

 二月の空は青く晴れ渡り、冷たい空気は火照ほてほおを冷ましてくれた。


 生まれて初めての本命チョコ。

 しかも、今まで『同じ部活の先輩後輩』と言う程度の仲だった三島弥生ヤヨイからのチョコだ。


 それなのに、何かがおかしい。

 俺たちは、今までと何か違っていた。


 それが何かは分からない。

 ただ、自然に出た「弥生ヤヨイ」と言う名前と、同じく自然に抱き寄せた彼女の体の温もりが、俺に違和感を抱かせた。

 困ったような表情で俺を見上げた弥生ヤヨイも、同じことを感じていたのだろう。


 それでも俺たちは、やがてそんな違和感などすべて忘れ、バレンタインの街へと歩きだした。


――おわり

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本命チョコから始まる異世界チート 寝る犬 @neru-inu

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