本命チョコから始まる異世界チート

寝る犬

前編「転移」

 2月14日。


 義理チョコをいくつかゲットし、なんとか体面を保った帰り道。

 俺は陸上部の後輩に呼び止められた。


 後輩の名前は三島弥生ヤヨイ

 部活で時々目が合う程度の後輩だ。

 男子だけで毎月更新する『陸上部かわいい娘ランキング』で上位に来ることはないが、俺個人としては毎回投票する推しメンだった。

 つまり、好きな娘だってこと。

 そんな彼女にバレンタインデーに呼び止められた俺の心臓は、どくんと大きく鳴り響いた。


ワタルセンパイ。これ……受け取ってください」


「み、三島……お、俺に?!」


 ふわふわのマフラーと、ミトンの手袋。

 マフラーと同じくふわふわの耳あて、キレイにまとめられたポニーテール。

 上目づかいに俺を見つめる、大きな瞳。

 少し震えながら「センパイ」と俺を呼んだ、つやのあるピンクの唇。


 そして、小さな両手で大事そうに差し出された、リボンのついた紙袋。


 これは……本命チョコ?!


 人生初めての経験に心臓が破裂しそうになりながら、俺は「……ありがとう」と、ゆっくり手を伸ばした。



――ドーーーーーン!!!!!



 その瞬間、俺たちをものすごい衝撃が襲う。

 居眠り運転のトラックだった。


 マジかよ! 人生初の本命チョコなのに!

 喜ぶ間もなくこれで終わりなのかよ?!

 なんなんだ?! なんだったんだこの人生?!

 神が居るのなら、俺は絶対許さないぞ!


 呪詛じゅその言葉を吐きながら、俺は、奈落ならくの底へと突き落とされた。



――暗転。



「あっははは! めんごめんごー☆」


 大理石で作られた、静謐せいひつな神殿。

 尻もちをついて辺りを見回す俺の前で片手を立て、全身がクリスタルで出来ているような、人間離れした美しさの自称女神は、ぺろりと舌を出して見せた。


「女神ちょっと間違っちゃった! ワタルはあそこで死ぬ運命じゃなかったのよー。お詫びにチートあげるから許して☆」


「許すか! チートとかどうでもいいから、今すぐ俺をあの時あの場所へ戻せよ!」


「いやぁ、さすがに女神でもそれは難しいって言うかー」


「出来ねぇのかよ! 間違えて殺すし、もどせねぇし、ほんっとクソだな!」


 俺の罵倒ばとうに、女神はさすがにちょっとムッとした表情をする。

 百パー自分が悪いのに、そんな顔をする女神にカチンときた俺は、スニーカーを片方脱ぎ、女神の頭を「スパーン!」とぶん殴った。


「お前自分の立場分かってんのか?!」


「いたぁい! だから謝ってるじゃないのよー」


「謝りゃ済む問題じゃねぇだろ! クソ女神! すぐもどせ! はやくもどせ!」


「だから、難しいって……」


「ほんと役にたたねぇ女神だな!」


「で……できないわけじゃないもん!」


「……なんだ、出来んならもったいぶらないで戻せよ」


 スニーカーを構えたまま、俺は女神を見下ろす。

 頭を抱えていた女神は、唇をとがらせ、涙目で俺を見上げた。


「でもそれには、えっと、あの、世界を救わなくちゃいけないって言うか……、あの、ちょっと大変なんだけど、魔王をね? 倒さなくちゃいけなくて……だからチートを……」


 ごにょごにょと歯切れ悪く、女神は何か言っている。

 めんどくせえ! こちとら人生初の本命チョコがかかってるんだぞ?!

 俺はイライラして、もう一度スニーカーを持ち上げた。


 女神は体を縮めて「まってまって!」と目をつむる。


「はっきり言えよ! こっちは急いでんだ!」


「はいっ! えっと、元の時間、元の世界に戻るには、異世界を一つ救わなくちゃダメです! ちょうど魔王が世界征服を始めようとしてる世界があるので、ワタルにはそこへ転移してもらいます!」


「おう、わかった! 魔王倒せばいいんだな?! そうと決まったら話は早い。はやく転移させろ!」


「ふ……普通の日本人が魔王倒せるわけないじゃない!」


「んだとコラ?! 無理な条件出すとか、詐欺かよ!」


「まって、まってよ! だから、チートをあげますから! ぶたないで!」


「急いでんだ! 話は一回で済ませろ!」


 スニーカーを構えた俺に向かって涙と鼻水を垂らしながら、美しい女神は「えいっ! えいっ! チート!」と何度か手を振る。

 虹色の光に包まれた俺は、体が軽くなり、どこかへ飛んでいく感覚に包まれた。



――ハレーション。



 まぶしい光に目を閉じていた俺が目を開くと、そこはファンタジーゲームで見たような城の、苔むした城壁の上だった。

 目を向ければ、見渡す限りの草原。

 山の向こうに隠れようとしている太陽が、すべてを茜色あかねいろに染めていた。


 ふと違和感を感じ、俺は目を凝らす。


 草原と空の交わる地平線に、それは居た。


 はる彼方かなたに居ると言うのに、ここからでも形の分かる、ドラゴン。

 等間隔に10頭ほどの巨大なドラゴンが並ぶその周囲には、ゴマ粒ほどの大きさの生き物が、数を数えることも出来ないほどうごめいていた。


「なんだあれ? もしかして……魔王の軍勢か?」


 おもわず独り言が漏れ、少し膝が震える。

 だってそうだろう?

 クソ女神の話では「ちょうど魔王が世界征服を始めようとしてる世界」って言ってたじゃないか。


 ゲームとかだと魔王は弱い敵からだんだんと強い敵を出して、最後は勇者との一騎打ちになるもんじゃないの?


 それなのに世界征服の第一歩が、大軍勢で世界を蹂躙じゅうりんするだなんて……理にはかなってるけど、なんかずるいじゃないか。


 呆然としている俺の背後に人の気配がし、俺は慌てて振り返る。

 そこにはいかにも「王様」って感じの服を着たじいさんと、近衛兵たちが膝を折り、頭を低くしていた。


「その天空の鎧……予言はまことであったか……勇者よ」


 天空の鎧と言われて、俺は改めて自分の姿を見る。

 高校の制服と着心地は全然変わらないけど、確かに俺は白と銀でゴテゴテと飾られた鎧を身にまとっていた。

 そして、右手にはスニーカー。


 そのあまりにも不釣り合いな装備に、俺は思わず笑ってしまった。


「なんと不敵な……あの魔王の軍勢を前にしてなお、笑ってのけるか」


 王様はなんだか感じ入っている。

 俺はちょっと申し訳なくなって、王様に頭を上げるように勧めた。


 王様は立ち上がり、大臣と言う痩せたおっさんが現状を説明し始める。

 今欲しいのは情報だ。

 俺は立ったままその話を聞いた。


「昨夜遅く、魔王軍は全世界へ向けて宣戦布告を行い、無条件降伏をしない国を、次々とりにしていったのです」


 どうやらクソ女神の情報通り、魔王軍は昨日の夜に世界征服を始めたらしい。

 しかし、今までの魔王(この世界は何度も魔王の脅威に襲われているのだとか)のように、少しずつ魔物を増やし、世界全土をじわじわと支配してゆくと言う戦略は取らなかった。

 最大戦力の集中による各個撃破で、周囲の小さな国々はあっという間に魔王軍の領土になってしまう。


 特に恐ろしいのは、魔王の特殊な能力だった。


 何とか生き残った斥候せっこうの報告によると、魔王の視線を受けただけで、全ての生き物は茶色くつややかな土くれに姿を変えると言うのだ。


 ある王国などは、突然城に現れた魔王ただ一人に全ての兵士を土人形に変えられ、降伏したと言う。


「なんだよそれ、見られただけで土にされたら、勝ち目ないじゃん」


「……こちらがその土人形の一部です」


 兵士の一人が茶色い棒を差し出す。

 茶色くつやつやしたそれを、俺はガントレットを外して受け取った。


「あれ? ……これ……」


「何かわかりましたか? 勇者様」


 槍の一部だと言うそれは、俺の体温で容易く溶ける。

 指に付いた茶色い液体の匂いを嗅ぎ、俺は確信した。


「チョコだ。これ」


 見ただけでチョコに変えてしまう能力。

 なんてバレンタインにぴったりな、それでいて恐ろしい能力なんだろう。


 俺は兵士が渡してくれた布きれで指先を拭き、背後に迫る魔王軍へと向き直った。


 そう。

 バレンタインなんだ。

 ポニテのかわいい後輩が、そっと差し出してくれた本命チョコ。


 俺は、あのチョコを受け取るために、魔王を倒す!


 ふつふつと燃えたぎる決意。湧き上がる勇気。


 俺は本命チョコに突き動かされ、10階建てのビルくらいある城壁を蹴り、宙へ身を躍らせた。

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