魔女のレシピ

中原 緋色

魔女と秘密の香辛料

 魔女の里の、さらに外れ。

 小ぢんまりとした家の扉を、リズムをつけてノックする魔女の姿があった。

 聖人の名前がつけられた記念日に、甘ったるい匂いと雰囲気に満たされたピンク色空間が居た堪れなくて、逃げてきたともいう。


 魔女だって恋をする。

 それが判っただけでもうたくさんである。


 ある者は意中の人からプレゼントをもらい、またある者は自ら贈りものを渡しに行き、いつにも増して里は忙しない。

 ノックの音に応じ中からひっそりと顔を出した青年が、訪客をひと目見てほっと表情を崩した。

 この世界では、生まれつき魔法が使える者を魔女と呼び、素質がなくても努力次第である程度までは漕ぎつけられる職業である魔法使いとははっきり区別する。

 ゆえに、生まれたときから魔法が使えれば性別など関係なく"魔女"と呼ばれるわけである。

 魔力との親和性の関係で魔女のほとんどは名前の通り女性だが、ごくごく稀に男性の魔女というのが生まれることがあった。

 そんな希少種がこの青年────テオドールである。

 人間の両親から生まれた彼は、男の魔女であるという理由で周囲から迫害を受けている。現在進行形で間違いはない。

 魔女とは、その名称から判る通り女尊男卑が色濃く根づく組織だ。

 魔女として生を受けた男性には、この世界のどこにも居場所が存在しない。

 女性と見紛うほど整った顔に笑みを浮かべて、テオドールは客に話しかける。


「いつもありがとう、ステラ」


 亜麻色の長い髪を揺らして、いつもの憂いを帯びた表情とは一転した輝かんばかりの笑顔を見せるテオドール。

 黄昏の空のような、橙から濃紺へグラデーションを描く柔らかい髪をツインテールにまとめた少女────ステラと呼ばれた彼女は、別に、と笑みを淡くした。

「あたしにはあの、女の子女の子した空気が合わなかっただけ」

「でも毎日来てくれるよね」

「暇なんだよ。あたしってばほら、だから」

「……そうだね……」

 字が違う、とテオドールは苦笑する。

 確かにステラは仲間内からも人間からもと呼ばれているが、彼らは彼女のことを、ではなくてのつもりでそう呼ぶのである。

 生まれ持った魔力が強すぎるために下級魔法とは相性が悪く、炎の魔法を使わせれば森を焼き払い、水の魔法を唱えれば水たまりを湖にする、災禍の魔女。魔法を使うことを許されていない魔女である彼女の料理や裁縫の腕はプロ並みだ。

 だがしかし、ステラの真価は攻撃や回復ではなく、占星術の魔法を使わせたときにこそ発揮される。

 万にひとつも外さないことから、ついた異名は"星詠み"。

 ただ、彼女は気まぐれかつ刹那主義者であり、滅多に占ってくれないことでも有名である。

 曰く、「未来なんてわかってたら楽しくないじゃん」。

 また極度の男嫌いでも名が知れており、彼女とまともに会話をして罵倒されない男は血の繋がった親類とテオドールくらいのものらしい。

 ステラの好みの銘柄の紅茶を淹れてから、青年はテーブルについた。

 まったくといっていいほど外に出ないテオドールの唯一の情報源は、おしゃべりなステラの口から語られる話なのだ。

 今日はどんな話を聴かせてくれるのだろうか、と期待を込めた目で上目遣い気味に見つめれば、ツインテールの少女は楽しそうに含み笑いを零した。

「あ。そうだ」

 ふと顔を上げて、ステラが広がった袖のなかを漁る。

 ちら、とカレンダーに目をやってから、悪戯に笑ってテーブルの上になにかを差し出してくる。


 それは、綺麗にラッピングを施された、甘い香りのする小さな包みだった。


「……ぇ」


「余ったからあげる。……あんたにしか渡してないけど」


 彼女は嘘をかない。そのたったひとことに、ステラの気持ちが凝縮されていた。

 特別な意味をもつ数字が踊るカレンダーと、少女の顔とを交互に見て、青年は翠の瞳を潤ませる。

「……ほんとに、もらっていいの? ……今?」

「うん」

 あっさりと肯くステラ。

 生まれ育った環境から自己否定感が強く自分に自信がないテオドールは、「……ねぇ、今日がなんの日かわかってる?」と念を押す。

 ただでさえステラは二つ名を知られなければ、いや知られてさえ、引く手数多の美少女なのだ。

 彼女の手からこういったものを欲しがる輩は大勢いる。テオドールも実際にステラが男たちに声をかけられている現場を見たことがあるのだから間違いない。なかには貴き血を引く者もいた。

 そんな彼らを差し置いて、自分がこんなものを受け取ってしまってもいいものか。

 うじうじと甘味の享受を躊躇うテオドールにあぁもううるさい、とステラはしかめっ面をつくった。


自惚うぬぼれてよ。……あんただけ、なんだから」


「……っ」

 微かに目を見開いて、その包みを胸にきゅっと抱きしめ、青年は顔を伏せる。

 ほてる頬も、伝う涙も、彼女には見られたくなかった。

「ねぇ……。あたしに薄っぺらい愛の言葉を囁かないのも、占いを求めないのも、あたしのこと天災って呼ばないのも、あたしがさわれる男の人だってあんただけなんだよ。なんであたしが毎日懲りもせずあんたの顔見に来てると思ってんの」

 甘く、淡く、花の蜜のように微笑んで、ステラは云う。


「テオ。あんたが、あたしのなかで、だからだよ。……ここまで云えばわかるでしょ? 突っ返すなんて許さないから」


 必死にこらえていた嗚咽が、喉を滑り落ちる。

「……っ、僕、も」


 男の魔女であるという、ただそれだけの理由でテオドールを避けないのも。


 あんた綺麗だね、って笑ってくれたのも。


 どこにも居場所がなかった青年に、生きる理由を与えてくれたのも。


 すべてがすべて────目の前で微笑している、ステラという魔女だった。


「ぅ、……ステラっ……」

 伝えたいことが、たくさんあるのに。

 そのどれひとつとして、言葉にならない。

 くい、と顎を掬われて、紺色の瞳がこちらを覗き込む。

「綺麗な顔、ぐしゃぐしゃ」

 涙を拭う指が優しくて、とっくに決壊した胸の奥が甘く疼く。


「なんも云わなくていいよ。ひと月ぐらい待てるから」


 楽しみにしてる────と、少女は笑う。


 料理上手な彼女がこのお菓子に使った隠し味の香辛料スパイスは、きっと────






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魔女のレシピ 中原 緋色 @o429_akatsuki

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