エピローグⅡ この醜くも美しい世界






 *




 とあるバー。


 暗い店内のカウンターにその男は座っていた。


 白のスーツに、整髪料で整えられた黒の短髪。彼女に気付いて振り返った男の胸元は赤いネクタイで彩られており、他のスーツ姿の客に比べるとやや目立つ格好をしていた。


「やあ、待っていたよ。間宮理事長」

「……相変わらず私より先に来ているんだな。忙しいと聞いていたが実は社長業は暇なのか?」

「まさか。非常に忙しくて月一ぐらいでしかデートできないぐらいさ。だが女性と会うなら、可能な限り相手を待たせないようにするのが僕の主義でね。ほら、その方が相手のために時間を作ったように見えて印象がいいだろう?」

「そうやって女を落とすのが貴様の手口か、草薙乱馬」

「手口だなんて人聞きが悪い。私はただ単に世の中の美しい女性、頑張っている女性を尊重しているだけさ。敬意と言ってもいい。敬意を持った相手を待たせるのは失礼に当たるだろう?」


 気取った台詞に、初は呆れたように鼻を鳴らしてその男の隣に座った。


 草薙乱馬。草薙財閥が一角、草薙コーポレーションの社長を務める男であり、同時についこの間、世界を滅ぼしかけた悠馬の実の兄である。


「スコッチを一つ頼む。君もどうだい?」

「生憎と私はバーボン派だ」

「それは残念」

「私は貴様と趣味が合わなくて清々しているよ。そう言うわけでバーボンを頼む」


 少しして二つのグラスがそれぞれ差し出される。


 乱馬は乾杯しようとグラスを差し出してくるが、初は無視してグラスに口を付けた。

 そんな初の態度に乱馬は肩を竦める。


「君の方から誘ったというのに、随分とつれないな」

「当たり前だ。世界を滅ぼそうとした男と、なにが楽しくて乾杯をしなければならんのだ」


 初が刺々しく言い放つと、乱馬の動きが止まる。そしてそれまで浮かべていた柔和な笑みの温度が、かすかに下がった。


「……なんのことかな」

「しらばっくれるな。『暴食』を発動させたのは貴様の入れ知恵だろう」

「確かに助言をしたのは私だが、私の目的は草薙財閥の社会的地位の向上だよ。あとはついでに夢見がちな弟の手伝いさ」


 スコッチを口に含んだ乱馬を、初が流し目で見る。


 乱馬の表情は柔和な笑みを浮かべたままで、ぱっと見嘘を言っているようには見えない。


「……では逆に聞くが、貴様は本気で魔王の断片を制御できると思っていたのか?」

「そうだ……と言ったところで、君は信用するのかな?」

「できるわけがない。貴様の言葉はいつも嘘ばかり……いや、違うな。事実を口にしているが、全てを語らないのが貴様と言う人間だ」


 草薙財閥とは学園設立時からの付き合いで、横にいる乱馬との付き合いも同じ長さだ。

 だからこそこの男のことはある程度わかっている。


 見た目こそ、優秀な軟派男だが、その内心はどうしようもないほどにイカレテいるのだ。


「ほう? では君は今回の件について、私には裏の目的があったと思っているのかい?」

「裏の目的、なんていうほど大層な物じゃない。ただ単純に貴様はこう思っていたんだろう。『暴食』の制御が上手くいけばそれでよし。うまくいかずに地獄変が起きても、それはそれで構わない、と」

「その心は?」

「貴様は世界を心底嫌悪している。それが理由だ」


 事も無げに初がそう言うと、乱馬は笑みを変質させる。柔和なそれから実に楽しそうなそれへと。


「なるほど。君は私の家族以上に私のことを理解できているらしい。いやはや、そんな人物と会話できるのは久しぶりだから実に嬉しいね」

「私はクソみたいな気分だがな。それで、なにか反論はあるか?」

「ないが……そうだな。一つ聞きたい。私が何故世界を嫌悪してるかまではわかっているのかな?」

「生憎とそこまでは知らないな。興味もあまりないが……恋人や友人でも理不尽な目で亡くしたか?」

「だったら実にロマンチックでよかったんだがね。理由はもっと下らなくてつまらない物さ」

「興味はないが聞いてやろう。私も貴様には言いたいことがあるからな」

「等価交換と言う事か。なるほど、なかなかビジネスライクじゃないか。そう言うのもなかなか悪くない」

「いいから早くしろ。私は早く帰ってメイドを修理したいんだ」


 そう言う初のグラスはすでに空になっている。どうやら本当に早く帰りたいらしい。


「なに、簡単なことさ。私が世界を嫌っているのは、人間が醜いからさ。君や私を含め、皆が皆自分の欲に突き動かされて生きている。自分のために他者を傷つけ殺し、それを悪びれながらも正当化して生きている。他人事であれば、ひどいことをされていても見て見ぬ振りをする。度し難いまでに汚い生き物だ。地獄変で世界が震撼すればもう少しまともになるかと思ったが、それもない。そして世界を構成する要素の大部分が、その人間によって成立している。だから私は世界が嫌いだ。世界を構成する人間が嫌いだからね」

「……だがその割には、『暴食』を確実に暴走させようとはしなかったんだな」

「汚いものを壊したり蹂躙するのは気分がいいだろう? 『暴食』を制御できれば、世界を好きな様に蹂躙できるからね。世界など滅べばいいとは思っている。だがその過程を楽しみたいと思うことは別に矛盾しないだろうさ」

「趣味の悪い男だ」


 心底嫌悪するように初が言うと、乱馬は楽しそうに口の端を吊り上げてみせた。


「そうは言うが、君も似たようなことを思っている口だろう?」

「……何故そう思った?」

「同族の勘と言う奴さ。君が僕の思考を見抜いたのも似たような理由なんじゃないのかな?」

「………………もう一杯。同じものを頼む」


 初は苦々しい表情でバーボンをもう一杯頼むと、胸に沸いた嫌な感情ごとグラスを煽った。


「なんだ、図星を指されたのが気に障ったのかな?」

「フン、貴様と私を同じにするな」

「ほう。では君は世界に対して私と違う意見を持っていると?」

「そうだな」


 つまらなさそうに初は残ったバーボンを飲み干すと、ドンとグラスをテーブルに置いた。


「基本的な考えは貴様と変わらない」

「やっぱりそうなんじゃないか」

「だが細部は微妙に違う」


 初の言葉に乱馬は怪訝そうに眉を顰める。


「世界のほとんどは醜いが、中には美しいと思えるものがあると思っている。例えば今回の件で抗ってみせた、うちの生徒たちがそうだ」


 最後まで希望を諦めずに智貴を救おうとした喜咲。そしてそんな彼女に力を貸した誠二たち。


 そしてそんな喜咲を最終的に助けた智貴。


 彼らの存在は悪意にさらされながらも、それに抗っていた。そういった者たちの在り方は美しいように初は思うのだ。


「ふむ。それはわからないでもない。しかしそういった者たちは少数派で、しかも時には悪意ある物たちに苦難を与えられたり殺されたりする。ならば大局的に見ればやはり世界は醜いと判別すべきではないのかな?」

「生憎と私が注目しているのは最終的な結果じゃない。私が気にしているのはそう言った醜い世界に抗っている者たちがいるというところだ」

「……どういうことかな?」

「そういった者たちが必死で抗いながら傷ついていく様と言うのは、最高にそそるものがあるだろう?」


 あまりにもあまりな台詞に、乱馬は呆れたように言葉を失う。


 初を口説くために用意していたと思われる笑みも、完全に忘れて呆れかえっているほどだ。


「だから私はこの世界は醜くも美しいと、好感が持てると思っている」

「……さっき私がイカレていると言っていたが、君も結構な物だと思うよ」

「なにを言っている。同族だと言ったのは貴様だろう。同族の貴様がイカレているのなら私がイカレているのも当然のことだと思うが」

「なるほど、正論だ」


 降参だ、とばかりに乱馬が両手を上げると、初は満足したように笑みを浮かべる。


 そして酒代をテーブルの上に置くと、そのまま席を立つ。


「なんだ、もう行くのかい?」

「ああ。貴様の意図を確認するのが目的だったからな」

「私はてっきり贖いに腕の一本ぐらい持っていかれるかと思っていたんだが」

「それを予想した上で独りで来たのか……そうしてやってもいいが、貴様には借りがあるからな。今回は見逃してやる」

「借り?」

「今回の劇は実に見物だったからな。その礼だ」

「……趣味が悪いな」

「貴様に好かれるよりはよほどましだ。ああ、それともう一つ。言っておきたいことがまだあった」


 出口に歩いていく途中、初は思い出したように顔だけで振り返る。


「面白い劇を作るのは構わないが、次にうちの者に手を出したら容赦はしない」


 底冷えするような声でそう言うと、初は今度こそ振り替えずにバーを後にする。


 取り残された乱馬はしばらく初の消えた出入り口を眺めていたが、やがて小さく溜息をついてグラスをあおった。


「なるほど、この醜くも美しい世界、ね」


 どうやら初も、彼女の言うところの「美しい側」の人間らしい。


 乱馬はスコッチを飲み干すと、満足そうにしながら席を立つのだった。









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剣と魔女と魔王の輪舞 知翠浪漫 @yaki-iwaki

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