エピローグⅠ 小さな幸福
*
間宮学園大学附属病院。
その個室のベッドの上に喜咲はいた。
悠馬は学園外の病院で入院。エルミールも学園の秘密ドックで修理中。誠二はかすり傷程度だったため、検査入院で一日だけ病院にいたが今は既に退院している。時間的には今頃授業中だろうか。
そして智貴と姫乃はと言えば、
「よ! 遊び気にたぜ、神宮!」
「来たよー」
威勢よく扉を開けて、智貴が病室にやって来た。その後ろには姫乃も一緒である。
姫乃は不死身の永久機であるため、簡易検査だけで済んでいる。智貴は数日間徹底的に検査を受けて、先日やっと安全だろうと判断が下されて自由行動が許されたらしい。
つまり今までずっと入院していた喜咲が智貴に会うのは、彼が学園に戻ってきてから初めてになる。
「……遊びにって、怪我人相手になに言ってるのよ。あと、病院では静かにしなさい」
「お? なんかえらく優等生然とした発言してるな。頭でも打ったか?」
「これでも学園内では優等生として認知されてるのよ。普段騒いでるのは基本的にアナタたちがなにかをしでかしてるのが原因でしょう」
「おいおい、なに言ってるんだ。しでかすって言うのはこの間捕まった時ぐらいのことを言うんであって、それ未満なら普通、あるいは日常茶飯事だろ」
「本気でそれを言ってるなら、脳の検査を受けることをお勧めするわ。いっそのこと頭を開いてもらった方がいいかもしれないわよ」
喜咲は呆れたようにため息をつく。
「それで。今日は色々と後片付けの報告をしてくれるんでしょ。ならさっさとなさい」
二人が喜咲のもとに来たのは彼女への見舞いも兼ねているが、主な理由は怪我のせいで病室から動けない喜咲に事の顛末を知らせるためである。
「ああ、喜咲ちゃんも随分トモ君の扱いに慣れてきたねえ……最初の頃はあんなにあわあわしてたのに。お姉さん寂しいなあ」
「……自覚がないなら教えてあげるけど。私がアナタたちの対応に慣れたのは、ほぼ毎日お見舞いにやってきては私をからかってきた姫乃のせいだから」
「なんのことだかわからないぴょーん」
明後日の方向を向いて妙な語尾で姫乃がしらばっくれる。
「本当にアナタたちは……ナースでも呼んで強制退去してもらおうかしら」
溜息をつきながら喜咲が半眼を向けると、「まあまあ、いつものことだろ」と智貴がなだめるようにそう言った。
「そんなことより、事の顛末を知りたいんだろう?」
話を逸らしたのはそちらの方ではないか。喜咲は文句を言いたい気持ちに駆られるが、これ以上話が逸れるのも面倒以外の何物でもない。
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、喜咲は話を促した。
「……それで、草薙財閥は結局アナタを使ってなにをしたかったの?」
「ああ、意図的に死都を作り出してそれを草薙財閥の手で収束させる。ようはただのマッチポンプだけどな。そうやって社会的信用を築き上げて、利益を生み出すのが草薙財閥の目的。で、草薙悠馬はそれに便乗して英雄になりたかったんだとよ」
「英雄?」
「そ。ジークフリートとかスサノオとかそう言う英雄。あるいは勇者的な存在になりたかったんだってよ」
「……なんていうか。意外と夢見がちだったのね、彼」
汚い手段を平常運転とばかりに使う悠馬はもっと現実主義者かと思っていた。意外な一面に、喜咲は素直に驚く。
「本人に言ってやればきっと半狂乱になって喜ぶと思うぜ」
そう言って邪悪な顔で笑う智貴。十中八九、皮肉だろう。
いや、この言い方からすると無理やり聞き出して、実際に悠馬を半狂乱にしたのかもしれない……これ以上深く掘り下げない方がいい気がする。
「じゃあ、草薙財閥や草薙悠馬に対しての処罰は?」
喜咲が話の路線を元に戻してそう聞くと、二人はなんとも微妙そうな表情を浮かべてみせた。
「一昨日、草薙財閥の重鎮と理事長で話し合いの場が設けられたんだけど、草薙財閥、及び草薙悠馬に対する処罰やペナルティの類は無しってことで決着したみたい」
「……なるほど。大方互いに弱みを握りあっているから現状維持でお茶を濁そうってところかしら」
草薙財閥は智貴を悪用しようとした弱みを。学園は智貴の正体を隠匿していた弱みを。互いに握られているのだ。
互いに相手を社会的に殺害できる切り札を持っていると知っているなら、下手に手を出すことはできない。いわば冷戦状態である。
「まあ、そう言う事だね。どう見ても向こう側のしでかしたことの方がとんでもないんだけど、そこは目を瞑ることで草薙財閥に借りを作るって方針みたい……実際あの現場に立ち会った喜咲ちゃんたちからしたら業腹かもしれないけど」
「でもだからと言って、あまり表沙汰にできるようなことでもないもの。それに下手なことをして、スポンサーに潰れられても困るんでしょう。なら仕方ないわ」
「まあね……ああ、でも悪い事ばっかりじゃないよ!」
そう言って姫乃が急にテンションを上げる。よほどいいことがあったらしい。
「苦労の甲斐あって、ヒナちゃんがうちのチームに入ってくれることになりました!」
ワー、パチパチパチと姫乃は自分で拍手して勝手に盛り上がっている。だがそれも当然だろう。姫乃は小向を救い出すために学園にまでやってきたのだ。はしゃいでしまうのも無理はない。
だが一体どうしてそうなったのか。喜咲は解説を求めるように智貴の方を見る。
「今更かもしれないけど、実は昨日、二人で草薙悠馬の所に行ってきたんだよ」
それはなんとなくわかっていた。
しかし姫乃と二人きりと聞いて、喜咲は唇を尖らせる。
「で、そこで事情聴取がてら交渉してきたんだけど……って、どうした。なんか変な顔してるぞ?」
「なんでもないわ。それより続けなさいよ」
「お、おお。で、交渉してきたんだけど、なんつーか、草薙の野郎が大分丸くなっててな。自分は英雄の器じゃないから魔術師は諦めて学園も去るんだと。で、そうなると獅童の奴があぶれるから、ありがたく貰うことにしたって訳だ」
「……彼、学園を辞めるの?」
「ああ、らしいぜ。それで大人しく親の会社を継ぐんだと。と言うか元々学園入り自体結構無茶を言って叶えた物らしいからな。親御さんからすれば願ったりかなったりなんじゃないか?」
「そう…………」
喜咲はなんとも言えない気持ちになってそう呟いた。
彼のことが好きだったわけではない。むしろどちらかと言えば嫌いな部類に入る。
傲慢で、自分本位で、自分の望みを叶える為に散々汚い手を使ってきたのだ。好きになどなれるわけがない。
だがその根底には並々ならぬ思いがなければ、あそこまでの行き過ぎた行為はできなかっただろう。
英雄になりたい。
どうして彼がそんなことを思ったのかはわからない。
だが結果的に、喜咲の始めたことによって彼の夢は潰えたのだ。
少しだけ。本当に少しだけだが、同情にも似た思いが沸いてしまう。
「神宮が気にすることはねーよ。言ってみればアイツの自業自得なんだし。それよりもこれで人数がそろったんだ。今はそのことを喜ぼうぜ」
確かにその通りだ。過ぎたことをいくら考えても過去が覆るわけではない。
それよりもこれで念願の五人がそろい、正式にチームを組めるようになったのだ。
「そうね、これも二人のおかげだわ。ありがとう」
喜咲が礼を言うと、姫乃が嬉しそうにはにかむ。しかしそんな彼女と対照的に、智貴の表情に影が落ちた。
「喜ぼうって言った本人が、なんで急に落ち込んでるのよ?」
「いや、なんつーか……その、なんだ」
智貴にしては珍しく、歯切れの悪い言い方だ。
喜咲が不思議そうに首を傾げていると、言葉に詰まっている智貴の代わりに姫乃が口を開いた。
「ほら、喜咲ちゃんってばトモ君を助けるために相当無茶したでしょ? だからお礼を言われて逆に心苦しいとか思ってるんだよー」
「勝手に他人の内心言ってんじゃねーよ……でもまあ、そう言う事だ」
苦々しい表情で智貴が姫乃の台詞を肯定し、喜咲も事情を理解する。
姫乃の言ったとおり、暴食の力を暴走させた智貴を助けるため、喜咲は相当な無茶をした。
帰還するなり六時間にも及ぶ大手術を行い、魔術によって回復速度を上げているにもかかわらず、もう半月は入院していなければいけないと言われている。その上、完治しても二度と魔術器官は使えないだろうとのお墨付きをいただいた。
今回の件で得た物は大きいが、同時に失ったものも小さくはないのだ。
「……その、俺のせいで色々悪かったな」
「気にしなくていいわよ。どうせ学園で過ごすには魔術器官は隠さなきゃいけないから、無くなったところで大差ないもの。むしろ隠す必要がなくなった分、気が楽になったわ。それにメンバーが揃ったなら、前みたいに慌ててメンバー集めをする必要もないし。ちょうどいい休暇だとでも思っておくわ」
「……わりぃ」
普段の智貴からは考えられない程のしおらしい態度に、喜咲の方まで調子が狂ってしまいそうだ。
いつも通り自分をからかいすぎるのも問題だが、これはこれでなんだか気持ち悪い。
可能であれば彼の抱く罪悪感を解消してやりたいところだが……そこまで考えて、喜咲は一つの妙案を思い出した。
「どうしたの、喜咲ちゃん? なんだかぜひ頼みたいことがあるけど恥ずかしくて言い辛い、みたいな乙女の顔して」
「みたいじゃなくて、その通りよ! なんでアナタはさっきから言わなくていいことをいちいち語りたがるのよ!」
喜咲が反射的に叫ぶと、姫乃は舌を出して実に楽しそうに笑って見せる。
駄目だ、これ以上姫乃の顔を見ているとぶん殴りたくなってくる。喜咲は精神の安寧の為にも姫乃から意識を外して、智貴の方に視線を向けた。
「え、えっと……そのアナタが私に対して本当の本当に悪いと思ってるなら、一つ、私の頼みを聞いてくれないかしら? その本当に悪いと思ってるならよ? ちょっとでも悪くないと思ってるなら聞いてくれなくてもいいし、と言うか用事とかがあるならなんなら後回しにしてくれてもいいんだけど……」
「……なんだ、その微妙過ぎる言い回しは? リストラを言い渡さなくちゃいけない気の弱い課長かなんかか? ん? あれ、でもその理屈だと俺、チームメンバーをクビになるのか?」
「違うわよ! 勝手に変な想像してブルーになるんじゃないわよ!」
「じゃあなんなんだよ?」
「そ、それは……」
頬を紅くさせて、喜咲はもごもごと口の中で呟く。
「え? なんだって」
「だから、その…………しと、……だ……なって……」
「ワンモアプリーズ。声が小さくて聞こえねーぞ」
智貴が耳を寄せると、喜咲はやけっぱちになったように頬を紅くして声を張り上げた。
「だから、私の友達になってって言ってるのよ!」
間近で怒声にも似た声を聞かされて、智貴が思わずのけぞる。
「いきなり耳元で叫んでるんじゃねーよ! 鼓膜が……って、なんだって?」
反射的に文句を言ってから、智貴は遅れて理解が追い付いたようで、真顔で喜咲に尋ね返した。
「だ、だから私の友達に、な、なって欲しいかなー、なんて…………」
想像以上に恥ずかしくて、台詞が進むにつれて声量が落ちていく。
予想外だったのか、智貴がポカーンとした顔でこちらを見ていた。
やはり吹っ掛けすぎただろうか? もう少し難易度の低いところから始めるべきだったかもしれない……友達の前段階と言うのはあるのだろうか? 文通から始めるとか?
喜咲がそんな風に明後日の方向に思考を加速させていると、そこでそれまで固まっていた智貴が反応した。
「……フ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
爆笑である。それも言葉の前に大が付きそうなほどの爆笑だ。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃない! そこまでおかしな要求をしたつもりはないんだけど!」
「いやいやいや、アンタ十分いかれてるだろ。つまり、アンタは友達でもない奴のためにそこまで体を張ったんだろ? ありえねーよ、マジ馬鹿じゃねーの」
そう言って智貴はまた爆笑する。
確かに智貴の言葉は正鵠を射ているのかもしれないが、助けられておいてその言い草はないのではないか。喜咲は不満そうにむくれて視線を逸らしてしまう。
「って、悪い悪い。そんな怒るなって、別に悪いことしたわけじゃないんだからよ」
「……本気でそう思ってるなら笑わなければいいじゃない」
「いや、それは無理だろ。あの不意打ちはわら……冗談だよ。だからそんな睨むなって」
謝罪してから、智貴は自分の目元を拭う。どうやら涙が出るほど笑っていたらしい。
非常に不愉快なことこの上ない話である。
どれだけ謝られても許してやるものか。喜咲が密かにそんな決意を固めていると、そんな彼女に向かって智貴は右手を差し出してきた。
「…………その右手はなに?」
「握手だよ。友達ならそれぐらい普通にするだろ?」
言われて、喜咲は目を見開いた。それはつまり――――
「まぁ、なんだ。なにはともあれ、これからもよろしくな、サキ」
「……最初からそうしなさいよ、このバカトモ」
悪態をつきながら、しかし喜咲は智貴の右手を取る。
絶対に許さないなんて決意は既にどこかへと飛んでいっていた。
そんな喜咲に智貴は実に楽しそうな笑みを浮かべてみせる。喜咲も眉を顰めてそっぽを向いていたが、その口元に浮かぶ笑みまでは隠しきれないのだった。
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