44. 障害者と障がい者、矛盾する感情

 私は、これまで何度も見てきた。


 『障がいを持つひとに、優しくしようと思いました。

 困っていたら、助けてあげたいと思います。

 身体の不自由があるのに、こんなに頑張ってて、すごい!

 障がいを持つ子のきょうだいは、きっととても優しい子に育つ。

 障がい児のおかげで、うちは楽しく明るい家庭になった。

 この子がいると、笑いが絶えない。』



 あちらこちらで、何度も耳にした言葉たち。良くも悪くも、たくさん聞いた。

 でも、あまり響かないのはなぜか。

 おそらくそれは、作者自身が障害者を「特別視」していないのが大きい。


 そもそも、この世の中。

 いつ、誰が、どんなことがあって本人が障害者になってもおかしくはないのだ。病気とも言える形も含めて。

 「障害」と「病気」の違いを聞かれて、何か答えられる人がどれほどの数いるものなのか。それも怪しいところではある。

 先天性、後天性の違いはあれど。


 もっと嫌いなのは、

「自分(あの子)は障がい者だ、もっと優遇されるぺき人間なんだ!!」

 と、特別扱いを声高らかに強要することだ。

 他人がそう言うのも少々首をかしげるし、本人や家族が言うのは、もっと疑問に思う。


 努力は、単純に凄いと思う。

 その人が居ることで成り立つ空気感もあるだろう。

 その人ひとり一人へ対するケアや配慮も、時に大切だとも思う。

 しかし、そこでそれを

「特別なことだ」、あるいは「これくらい当然の措置だ」

などと驕るのは、何か違う気がする。

 

 配慮は、その個人に適したものであることを望むが、その人だけの特権ではない。

 そこに対する感謝を忘れたり、おざなりになってはいけない。


 こう見ていくと、誰かに

「矛盾している」

と言われてしまいそうだが。

 元来、人間の「感情」というもの自体が矛盾を秘めているものだと、私は思う。


 赤子の泣く声を、

「微笑ましい」と思っていたら、声が大きくなってくると

「ちょっと静かにならないものか」

なんて、思う人もいるもので。


 作者にも、この題材らの「答え」というべきものは分からない。

 分からないから、分かりたいと願う。

 

 ──そう。人というのは、矛盾する生き物だ。

 きっと私のその考え方は、このシリーズを書き始めた10代の頃とそう変わらないのでは、と思うのだ。


 私たちは「矛盾」と共に生きている。

 「綺麗」が好きなわりに、「綺麗事」は疎む。


 なんとも単純なような、気難しいような、不思議な生き物だ。

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思うこと、感じたこと。 月凪あゆむ @tukinagi

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