43. 障がい者が親になること
令和4年8月。
日本でこの時期行なわれているチャリティーイベントがある。
24時間テレビ「愛は地球を救う」
この番組は、肯定派と否定派にぱっくりと別れやすい傾向がある。
肯定派
感動できる
普段見ることのない光景、イベントが成される
ひとの努力する姿に、元気や勇気を貰える
等
否定派
お涙ちょうだい的に感じる
芸能人が走ることになんの意味も感じない
障がい者の「一生懸命に頑張る姿」ばかりを、やたら魅せようとする
等
今回、特に感じたことがある。
それは、
「障がい者が親になること」
に焦点を当てたノンフィクションの企画があった。
すごい。
頑張ってほしい、と。
応援する声もあるとともに、……いや。
一部のコンテンツ、コミュニティでは、否定的な声が目立った。
どうやって、育てていけるものなのか。
子供は、一生のケアラーにされるだろう。可哀想に。
なんて無責任な親か。もっと考えろ。
どちらの意見も、否定はしない。
しかし、こうも考えたのだ。
自分の考えを、ひとに強要してはいけない、と、私は思う。
極端な話、良くも悪くもの「お節介」の一つかもしれない。
ほっといてほしい、という家庭もあるだろう。
人間、
「私はこう思う。あなたはどう?」
「……そっか。私と貴方は、考え方が違うんだね」
「お互い、上手くいくといいね」
それくらいの距離感でも、悪くはないと思うのだ。
ただ、これらは「私」の考えであるから、否定する人もいて当然であり。
「あなた」にはあなたの考えることがあるだろう。
そもそも。
昔からあるけど、発信する手段がなかった。だから、あまりこれまで広く聞くことのなかった考えなだけで。
感動するも、興ざめするのも人の勝手。
見るも見ないも、そのひとの自由なのだ。
大切なのは、それを「刃」に変えてよいものか。考えること。
物事の安全な解決策はやっぱり
「対話」しかない。
対話で解決できないと思ってしまう時、暴力が振るわれやすい
きっとそれが「戦争」のカタチにもなる。
そのようなものがきっと「負の連鎖」というのだろう。
私の結論としては。
平和のためには、コミュニケーションが欠かせない、というくらいか。
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