最終話 誰かの魂が削られるたび

1.


 俺は心を決めて、だからすっきりした気持ちで純と会えた。彼女は最後の光でまた意識が回復していたんだ。

 純が見つけたっていう二人きりの場所で、最初は気まずかった。なんたって、ケンカ別れした記憶が戻るまで、仲良くやってたんだから。

 でも、俺は決めたんだ。抗わず、捨て去らず。そう決めたんだ。

 だから素直に頭を下げて、仲直りをした。純がその時見せた照れまくった笑顔は今も変わらず、あれから彼女とは一度もケンカをしていない。

 ケンカなんて、できるわけがない。

 深那美のおかげで今があるんだ。

 そういえば、籾井家の一件は結局迷宮入りになった。

 あの捜査情報をバラしまくった刑事は、俺が真犯人ホンボシだとにらんでいたようだ。その後も時々やってきて、微妙に細部を隠した情報を開示してきた。そうすることで、俺が知らないはずの情報を漏らせば、それを足がかりに追い詰めるつもりだったんだろう。

 でも、こちらには親父がいた。

 レクチャーを受けた俺は完璧な受け答えをし、付け入る隙を与えなかった。

 結局、俺があの日あの森にいた証拠も無く、刑事は断念した。

 あとで親父に指摘されたんだけど、森のあの場所へ行くルートは、あの付近の数箇所に設置されていた監視カメラに引っかかることなく行けるんだそうだ。

 あいつはすごい奴だ。親父の同僚の人曰く、『世界的損失』だとさ。

 ところで、警察からの嫌疑は晴れたものの、俺は『かなり濃い灰色の男』として、周囲から疑いの眼で見られたこともあった。そりゃそうだよな。

 そんな俺を、純は寛大にも許してくれた。目一杯つねられたあとだったけど。彼女の全面的な信頼の表明により、疑いの眼は少しずつ晴れていった。


 そして、11年が経った。


 引越しの荷物をようやく積み終えると、俺は業者のトラックに同乗した。

 目的地は、2つ向こうの街。そこの賃貸マンションに、純と一緒に住むんだ。

 『ようやく』というのは、彼女の荷物を先に積んできたからで、業者と4人でやったのに、思っていたより時間がかかってしまった。

 今日は平日。純は朝から出勤で、『あとよろしくね』なんて軽く言ってくれたもんだ。荷造りはさすがにちゃんとしてあったが、大量の衣類が我々の時間を奪ったわけだ。

 助手席で揺られながら、業者さんとの会話も途絶えた時、俺はふと、今日に至るまでの道のりを追憶していた。



 俺は大学を出た後、親父に紹介された企業に就職した。

 そう説明すると、『いいなぁコネがあって』なんて言われるんだけど、そもそもその企業へ就職するための試練を受けるためには、誰かの紹介が必要なんだ。

 そこはULLという外資系企業で、俺は日本支社員として勤務している。招集がかからない限り裁量労働制なので、今日みたいにプライベートが忙しい時は本当に助かる。

 もちろん招集された時は、必要によっては日本全国――文字どおりの津々浦々――を飛び回ることになるんだけど。

 そんな俺のモチベーションを維持するものは、2つある。

 1つ目はもちろん、純だ。今の俺はとても幸せだ。今日から同居することで、さらに仕事がはかどる助けになってくれると思う。

 もう1つは、深那美の最期の動画だ。これは彼女のスマホを隠滅する前にデータを抜き出して、今も持っている。ULLへの就職目指して修行中、あれにどれだけエネルギーをもらったか。

 今も、あの動画は欠かせない。今日からは家で見ることができなくなるな。それだけがちょっと寂しい。



 時間が押して焦る業者さんに、お昼の弁当を取ることにした。その注文をしていると、新着通知あり。純のブログだった。

 あちらもお昼らしい。会社の近所に新装開店したレストランのランチとやらを、写真付きでアップしてる。

「メンドクサ」

 そうつぶやいて、業者に打ち明けてひとしきりそのことで盛り上がって。ああもちろん、『おいしそうだね! こっちはお店の弁当さ!』ってコメントしてあげるんだけどな。

 メンドクサ。

 お昼をみんなで食べて、荷物をいっぱい運び入れて、一息ついたらもう4時だぜ。

 カフェオレブレイクといきたくても、コーヒーメーカーはどっかのダンボールの中。そもそも牛乳がないじゃん。

 近くのコンビニで買ったのを飲みつつ荷解きをしていたら、純が帰って来た。

「お帰り」

「ただいま……なにこれ!」

 なにって、新生活の諸道具ですが。

「もー、これはここじゃだめなの!」

 そんなの、聞いてないよ。

「包丁は? まだ出してないの?」

 ……こういう時にいつも思うんだが、彼女はなぜ10の内、できている8を褒めず、できていない2を責めるんだろう。

 そういえば昔、親父にそう愚痴ったことがあったな。親父は苦笑いして、

『母さんもそうだぞ。逆に俺が責めた時は、がんばったんだから褒めてくれ、だからな』

 黙って指示どおり片付けをして、ようやく1時間半後に夕食となった。

 彼女は料理好き。何を作らせても玄人裸足の腕前さ。

 でも、

「この野菜炒め、もう少し塩が効いてたほうがいいな」

 って言うと、目の色が変わる。

「なんで? これ、ゲンタロー先生のレシピだよ?」

 そう、彼女にとって美味しいのはレシピであって、現実ではないんだ。レシピによく書いてある『適量』の意味がよく分かるよ。十分美味しいんだから、いいけどね。

「ねぇねぇ」

 純がお茶碗を置いて、話しかけてきた。

「同期の子から、あなたの仕事のこと訊かれたんだけど」

「インフラ関連の補修工事全般だよ」

「えーでも、検索してもよく分かんないって……」

「ん、そーゆーとこに力入れてないから。そんなことしなくても仕事来るし」

 もちろん、表向きカバーはそういうことになってる。裏向きには、やっぱり補修工事だ。この社会の綻びをつくろい、ときには障害為すものを浄却する。

 あの黒幕の野郎みたいな、ね。

 純は常識的な女だ。ゆえに、本当のことを話しても理解できないだろう。俺のお袋のように。

 あの日、釘を刺されたのだ。

『母さんに進路を相談したり、本当のことを打ち明けても無駄だぞ』

 反発したさ、息子として。

 そしたら、

『お前、スタージョンという作家を知ってるか?』

 展開についていけないことも含めて首を振ると、親父は小首を傾げた。

『あらゆるものの9割は、カスである。これをスタージョンの法則と言う』

 親父はそこで首を戻し、やるせない顔つきになった。

『のぞみは常識的な女だ。料理を含めた家事全般に上手だし、人付き合いもそつなくこなし、他の男に色目を使うことも無い。実に常識的だ。

 ゆえに、のぞみは俺の話の9割を理解できない……』

 純は常識に満ちた女だ。まったくもって。



 2人でお皿を洗って、一緒に風呂に入ると、もう8時だった。

 かねて用意のビーズソファに身を沈めて、テレビを見る。俺の前に彼女が座って、指を絡み合わせながら。

 さりげなく触れた彼女の肢体は、あの時より確実にふっくらとしている。太った太ったと毎日大騒ぎさ。

 このくらいでちょうどいいのに、って言ってやったら、涙目で指差した先には、未だに名前を覚えられないモデルさんの写真があった。

 ああなりたいらしい。またまたご冗談をとは言わず、無茶するなよと暗に止めるにとどめたよ。

 純を失いたくない。無茶をさせるなんてとんでもない。

「ねぇ、あなた」

「ん?」

 反応するのにあわせて髪を優しくなでると、ゆったりとした表情で上目づかいの言葉が来た。

「あたし、今すごく幸せ」

「ん、俺もだよ」

 そう答えて軽くキスをすると、彼女の勢いが増した。

「それでさ、式場、そろそろ選びに行こうよ」

「お、おう。そうだな……」

 結婚式か。それもいいな。上司役は誰にしようかな。同期入社の役は候補がいっぱいいるけど、上役らしく見えるオッサンかオバサンとなると……やっぱジェイムズか。会長職は暇だとか言ってたしな。

 俺の楽しい想像と、純の楽しげな未来像と。微妙にずれてるからこそ、この指と指のように絡めあうことができるんだ。最近よくそう思う。

 また髪をなでて、テレビを消す。彼女の瞳が潤いを帯び始めたのだよ。雑音は去れ。

 だがその時、電話が鳴った。確認すると、親父からだった。腰を上げて、窓辺へと向かう。

『現れたぞ』

 一言。それだけで十分だった。

「あんたなぁ、同居したその日に呼び出すなよ」

 などとフェイクの抗議を入れて、何分かしゃべった後、電話を切る。

 察したのだろう、拗ね始めた純に、心から謝る。

「ごめんな、親父が呑みに来いってよ」

 んもう、と言いながら頬を膨らませて、ビーズソファの上にうずくまる彼女。いつものことながら、ついてくる気はさらさらないようだ。

 そう、それでいい。お前はそこにいてくれなきゃ、困るんだ。

 俺は純に向かって、軽く手を挙げた。


2.


 いろいろな準備と連絡に時間がかかってしまって、俺が現場――家から車で30分かかった港の倉庫についた時には、戦いがすでに始まっていた。

 サングラスをかけて、奴のところへと歩いていく。赤いジャケットの左ポケットには空の弾倉の厚みを感じ、右には銃弾をジャラジャラ言わせて。

 途中で倉庫の窓ガラスにふと目がとまった。月明かりに照らされた俺が映っていたんだ。

 そして初めて、あることに気づいた。

 カフェ・ゴエティア。あれは、家に戻りたくない深那美が、俺とお茶をして過ごすために作り出した幻影だったのだろう。女性店員はよく似ていたから、たぶん成長した深那美で。

 そしてそこで増殖し続けた、すかした男。

 それが今、俺の目の前にいた。

「あれは、俺だったんだな、深那美……」

 カッコつけて、そのくせ深那美がいないと何一つできなかった。

 俺のことを好きだった女の子一人護れやしなかった。

 そもそも、その気持ちに応えてやることすらできなかった。

 カッコばっかの、ダメな男。

 俺があの男――深那美の使い魔に嫌な感じを持ったのは、同族嫌悪だったんだな。

 この戦い、彼女の仇討ちでダメ男を卒業できるかどうか、それは分からない。

 でもよ、深那美。

「お前はまだ、地獄にいるのか……?」

 ならば、見ていてくれ。

 そうつぶやくと、鏡像の向こうに向かって敬礼を決めた。

 再び歩き出した俺はポケットから弾倉を取り出し、銃弾を装填していく。

 フルロードしたそれを、腰から抜いたマカロフに叩き込んで、角を曲がったところで立ち止まった。

 奴だ。黒幕だ。

 俺の同僚2人と戦うその姿には、翼が欠けていた。

 だが、飛んで逃げることはできなくても、俺たちを返り討ちにすればいいわけだ。

 そうはさせない。

「 № 13,unlock. 」

 戒めを全て解き放つつぶやきの次に、力が体内に満ちてくる。

 その時だ。奴はこちらを視認して、にやりと笑いやがった。

 覚えていたか。結構結構。

 さあ、ぶちのめしてやるぜ。

 俺は奴に向かって歩き出すと、マカロフの遊底を音高く引いた。



3.


 俺はマカロフを撃ち、あるいは殴る。

 黒幕は長い爪を振り回して引き裂かんとする。

 俺が戦闘に加わって、20分ほどやり合っただろうか。俺たちはようやく奴の動きをとめることができた。

 倉庫の壁に崩れ折れるようにへたり込んだ奴のもとへ、歩を進める。爪で引き裂かれた右の太ももが焼けるように痛いが、こればかりは他人には任せられない。

 歯を食いしばり、足を引きずりながらたどり着いた先では、奴が星空を眺めていた。両脚と両腕を撃ち抜かれた無様な姿だが、顔は涼しげと言ってもいいくらいの無表情だった。

 これは儡偶。いわば操り人形だ。人形に痛覚を与える馬鹿はいない。

 一方の俺は荒い息で、マカロフを構えた。残弾は1発。それをこいつの眉間に叩き込めば、こいつは消える。

 俺の脳裏に突然、11年前の出来事が蘇った。

 病室のベッドに横たわる純。

 初めてマカロフを撃った時、深那美がこぼした涙。

 スマホをのぞき込む深那美の感触。

 戻った純の笑顔。

 森の手触り足触り。

 深那美にヤーさんが蹴られた瞬間の、まるで自分が食らったような衝撃。

 そしてあいつが消滅した時、俺の左手に残った青いリボン。

 眼を閉じ、記憶の全てを追悼して、声を絞り出す。

「11年間、長かったぜ」

 俺の台詞に反応して、奴のあごが下がった。そして、あの満面の爽やかな笑顔で言ったのだ。

「道化よ、何を為すのに11年も使ったのだ?」

 痛みに引きつる頬を無理やり曲げて、俺は笑い、答えた。

「道化なりの仇を取る準備さ。それと――」

 引き金を絞る。撃ち出された赤い弾丸は奴の眉間を貫き、奴は光の粒となって消えていった。

「魂を削る練習さ」

 身体の抜けた衣装に向かってつぶやくと、だらんと下がるマカロフから顔を背けるように、俺は夜空を仰いだ。

 深那美がいるわけがない夜空。そこにかかる三日月が、ゆっくりとぼやけ始めた。


オレが魂を削るたび カノジョは愛を取り戻す 終

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オレが魂を削るたび カノジョは愛を取り戻す タオ・タシ @tao_tashi

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