最終話 かみさまと、ねがい

 かみさまは人の子を片腕に抱えてお出かけなさった。かみさまはかみさまだから、女といえどやせっぽちの子どもを抱えて飛ぶなんて、気まぐれに大地を割ることくらい簡単なことなのだ。 

 大きな時計塔のある街を越え、領主のお城のような家が目立つ街も無視し、山も海も越えていく。

 めずらしい景色が後ろに流れていくたび、人の子はキャッキャきゃらきゃらはしゃいだ。

 

「かみさま、今の見ました? クジラの群れが陸上に顔を出して泳いでました! 島が移動してるみたいです! 昔絵本でこんなの見たなー、うわー、わー!」


 人の子はうるさい。飛ぶ時の風圧で髪が乱れて愉快なことになってるのが面白くなかったら、海に落としましょうかと脅していたところだ。

 ちなみにかみさまは特に髪は激しく乱れていない。なぜなら神だからだ。他に理由などない。

 人の子を抱えて風を切り。雲に潜って視界を真っ白にしながら、神は飛び続け、やがて新たな大地に着いた。


「かみさま、ここは?」

「世界の端の、端の端と言ったところでしょうか」


 雨もなく、夜の帳もかかっていないのに空が暗かった。真っ黒な雲が天を覆いつくしているのだ。人の子が地面に手をつけ、土を確かめている。

 いやに固くて、死に伏した老婆の髪のように灰色だった。草も生えぬ大地。

 その固さ、死の色、不毛さに人の子の目が見開かれる。草木豊かな緑色の田舎で育った人の子にとってはありえないものだったのだろう。

 土いじりもほどほどに、手を払わせてから、神は人の子の手を引いて歩く。

 真っ黒な水面が二人を迎えた。飛んできた海の青とはえらい違いだ。吐しゃ物に泥土と排泄物と悪意を混ぜたような悪臭と色を持っている。

 そのくせ小さな湖くらいの面積は持っていた。

 黒い水面は水鏡のように風景を移すようにはみえなかったが、ふいに、よく磨かれたガラスのように透き通り、景色を映し出した。


「わー、かみさま、なんかこれ、すごい、すごいですよー!!」


 人の子は学のなさそうな感想を興奮気味に訴える。無理もない。ここに移る映像は本来人の子が見れるはずもない、大昔の超古代文明だ。

 そこでは土よりも硬い物質で大地が覆われていた。その上には来る途中で見た時計塔よりも高い建物が何十男百何全と立っており、またそのはるか上を空飛ぶ乗り物が睥睨しているのだ。

 

「この景色ってなんなんですか!?」

「今よりはるか昔のむかしの大昔の景色です。超古代文明の一角といったところでしょうか。人口過密と跳ね上がる科学コストによる土地と食料・資材不足、それによって起きた汚物のように醜い争いで滅んだ場所です」

「かみつ……? こすと……?」

「……まあ人の子には関係のない話です。考えなくてよろしい」


 はい、と良い返事が来たが、人の子はまだううーんと考え込んでいるようだった。


「かみさまはどうしてはるばるここまで飛んできて、ボクにこんな不思議なものを見せてくれたのですか?」


 どうして? にかみさまは答えられなかった。ここは行き止まりの場所だ。古代文明のカケラ達が湖と混じり合い過去を移すものになったところ。そこに発展はない。

 消えることもなくただここにあるだけ。

 

「わたし達に相応しい場所だったから、でしょうか」

「ここが?」

「発展もなく、いつかの終わりもない。似ていませんか」


 約束は約束だ。人の子の生が終わっても、人の子は神のお膝元に永遠を過ごすだろう。

 神と人、女と女の間に何かが生まれることもない。終わった景色によく似ている。始まる前から終わりが見える。


「……そっかあ、ここは永遠の国なんですね! そしたらなんか素敵な場所に見えて来ちゃったなあ」


 小さな人の子が腰に抱きついて喜ぶので、戯れに抱き上げて膝の上に乗せてやった。太陽など差さないのに、陽だまりに眠る野生生物みたいにもう目がトロトロとしている。

 神のお膝を枕に転がった人の子の髪に触れ。伸ばすよう命じた、二つに編んだ髪もずいぶん長くなったことに気づく。

 それだけの時間を、かみさまと人の子は一緒に過ごしたのだ。


 ……死んだ大地の寝台はさぞ硬かろう。眠る人の子が横たわる場所に草を芽吹かせた。柔らかい葉はつるりとした表面で人の子の身体を包み込む。

 恵みの雨も降り注ぐ太陽もない空は寒かろう。黒い雲に穴をあけ、そこから陽が注ぐようにした。

 久々に差す喜びに震える太陽の光は眩しかろう。ちょうどよく光が注ぐよう、レース模様のごとき木漏れ日を作る樹を生やした。

 人の子は寝息を立てている。かみさまがそれを見下ろしている。二人の周りで、小さな小さなカケラのような森が繁茂している。

 神と人、女と女の間に何かが生まれることもない。

 反面かみさまはなんでも出来る。

 世界一贅沢な枕で眠りこける人の子を驚かすためだけに、この大陸を果実たわわに実り葉と枝睦み合う植物の楽園にすることだって出来る。

 即席の寝台と日光の暖房。ささやかな場所を提供するだけで十分、人の子の眠る顔は穏やかに見える。


 その髪を引きちぎり、細い首を絞め、骨を折って殺すこともできる。

 やわらかな光そそぐ樹の傘の、栄養分にすることだってできる。


 だけど、喜ばせてみるのも一興かもしれない。

 人の子がコロコロ転がるように笑うであろう、死んだ大地からの創造を。


 やせっぽちの身体を抱きしめただけで喜びに打ち震えた人の子を、かみさまは知っている。

 そばにいると言っただけで微笑んで見せた人の子を、かみさまは知っている。

 翼を枕に、穏やかに昼寝をする人の子の寝顔を、かみさまは知っている。

 プレゼントのリボンで不器用に髪を結ぶ姿を、髪を梳かされながら、神を綺麗だと言う様子を、かみさまは知っている。


 かみさまは、大切な子をあやす母のような優しさも持っている。 

 

 願えば続く。願えば出来る。

 予感のような、始まりの創造を。

 童話の魔法使いのような、手をかざす動作さえ本当はいらない。

 けれどかみさまは手をかざした。膝の上の子をあやすように。

 終わりを終わらせるように、神さまは楽園の光景を願った。

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